第170話 玲愛と首輪Ⅺ
「あ~流される~」
俺は一人人工ビーチで、レンタルしたドーナツ型の浮き輪にお尻をはめて水面を漂っていた。
本物の海にしか見えない造波プールでは、朝早いこともあって人影もなく、まるで貸し切りにも見える。規則正しく寄せては返す波に身を任せ、木の葉のように揺れる。
もうなーんにもやる気が起きん。
人生なんて流されるものであって、抗うものではない。例え抗ったとしても大きな波に足をとられ、大怪我をするだけだ。
人生クールにニュートラルに生きろ~。一時の熱量に任せて暴走したら一生引きずるぞ~。
「あ~プール楽しいー(棒)」
沖まで流されてはまた浜に戻されてを繰り返す。一寸法師って茶碗の船で川を流されたっていうけど、三半規管よっぽど強くないと鬼が島につくまえにグロッキーになりそう。
いや、鬼が島に行ったのは桃太郎で、一寸法師って何やった人だっけな? まぁなんでもいい、多分なんか鬼倒したんだろ。そんな雑なおとぎ話を考えていると、ビーチに真紅の水着に身を包んだ火恋先輩の姿が目に映った。
火恋先輩は昨日と同じように腰にパレオを巻いて、俺の方に手を振っている。
俺は火恋先輩に近づく為に、両手でちゃぷちゃぷと水をかきながら陸地を目指した。
「あれ? 火恋先輩、イベント始まってるんじゃないですか?」
時刻は9時過ぎ、二日目の第一種目水泳が開始しているはずだ。
「水泳は三組に分けられているんだ。私は最後の組で10時からだ」
確かに昨日見た50mプールに100組のペアを全員放り込むことはできないだろう。
「それに水泳はタイムだけで順位を決定するから、別に他の選手を見る必要もない」
「なるほど、だから時間まで遊びにきたんですか?」
「いや」
火恋先輩は首を横に振った。
「君と話をしにきた」
「俺と……ですか?」
「あぁ、君が沈んでいるように見えてね」
「そんなことないですよ、比較的元気ですから」
俺はおどけて見せたが、火恋先輩は何か可哀そうなものを見る目でこちらを見ていた。
「空元気ほど見ていて痛ましいものはないよ」
おかしいな、結構頑張ったんだけどな。
「姉さんのことだね」
「まぁ……どうでしょうね」
言葉を濁しながら曖昧な笑み返すと、火恋先輩は唇を噛んで切なそうな表情を浮かべる。
「姉さんは君があまりに女子から人気があるから、君への思いに無理やり決着をつけて身を引こうとしている。それで姉さんが幸せになると思うかい?」
「わかりません、なるかもしれません」
内海さんなら幸せにしてくれるかもしれない。
少なくともそのことに関して俺がとやかく言えることは何もない。
「姉さんは君に好意があるよ」
「厚意の間違いでは?」
「姉さんの性格上、ある一定以上の好感度がなければ厚意すら与えない。それが伊達玲愛という人だ」
それには納得する。
「姉は自分を切り売りして伊達を守ってきた人だ。分家の有力者からも、父より姉を恐れる声が多い。敵対企業を徹底的に追い詰め、身内の裏切者には容赦なく制裁を加える。血も涙もない氷の女帝」
「あんまり俺はそう感じたことないんですけどね。むしろ人より温もりのある方だと思います」
「そう感じるのは姉が君を信頼している証だろう。あの人は身内には甘い。ただ血縁以外で身内のラインに入れるのは、君が唯一と言ってもいい」
「…………」
「姉さんは度々私と雷火に脅しをかけていた。君と結ばれなければ、我々は望まぬ結婚と出産を強要されるだろうと」
「嘘ですよ。あの人が自分の妹にそんなことさせるわけがない」
「あぁ、私もそう思う。きっと姉さんは我々を守るだろう。でも、その守るの中に姉さん本人は含まれていない」
「玲愛さんを守るのは彼女の伴侶となる男性の務めでしょう」
「君がなろうとは思わないのかい?」
「俺は火恋先輩や雷火ちゃんの間で揺れ動いてるクズですよ。それに水咲にもちょっかいかけられてますし」
俺では彼女の盾にはなれない。むしろ敵に隙を与えてしまう穴だ。
「もう二人も三人も一緒だろう?」
「世間一般でそんなこと言ったらぶん殴られますよ」
「君の立ち位置はもはや異常なんだよ。今更一般論に逃げるのはよくない」
そう言って火恋先輩はズイっと顔を近づけてくる。
「あの人は我々の幸せのためには自分を顧みない人だ。だが姉さんだけ不幸になって、私と雷火が幸せになれると思うかい?」
「それが玲愛さんの望みなんじゃないでしょうか」
玲愛さんの許嫁計画は、あの人が嫁に行って初めて完遂されるように思える。
「私も少しオタク文化をかじって、こういうとき良い文化があると聞いた」
「なんですか?」
この状況に相応しい文化なんかあったっけなと首をかしげると、彼女はタメを作って話す。
「……ハーレムボテ腹エンドと」
誰だ! そんな悪い文化を純粋な火恋先輩に教えた奴は!!
確かに一昔前のADVゲームならそういうエンディング多かったけど。
「実にオスの本懐を果たしたエンディングだ。最後懐妊したヒロインが並ぶCGは爽快感すらある」
「絶対よそで言っちゃダメですからね、それ」
普通に炎上案件ですから。
「なぜだ? 雷火のプレイしているゲームには、標準でそのエンディングが実装されていたが」
エロゲーですねわかります。それと同時に犯人も明らかになる。
「あれはフィクションだからですよ」
「自然界でもライオンはハーレムを作るが」
「人間と野生動物を一緒にしないで下さい」
「綺麗ごとを言ってはいけない。人間も昔は側室や妾を当たり前のようにとっていた。日本でも明治時代まではその流れできている」
「昔の話でしょう」
後に悪と判断されたから社会からその制度は消えた。
「火恋先輩が何を言っても無駄ですよ。玲愛さんはもう内海さんを選んだ。それが答えです」
「内海さんか……。悠介君はあまり接点がなかったと思うが、彼は分家の中でも実力者だよ」
やっぱり。玲愛さんの婚約者候補に選ばれるくらいだから、力がある人だとは思っていた。
「…………いろいろ考えたら、家柄や能力もきっと必要です。自惚れるなら、玲愛さんもきっと気持ちより家を優先したんだと思いますよ。だから……多分このまま内海さんと一緒になる方が幸せになれます……」
俺がウジると、火恋先輩はニコやかに距離をつめてくる。
「どうかしました……?」
スパァァン!
火恋先輩は笑顔のまま、俺の首がひん曲がるほどの鋭いビンタをした。目玉から星が出そうな威力に、俺は砂浜に倒れこむ。
火恋先輩は、倒れた俺に覆いかぶさりキスできそうなくらい顔を近づける。
「悠介君、女の幸せを勝手に多分で決めつけちゃいけないよ」
火恋先輩の甘い息がかかりくらっとするが、その表情は決して笑ってはいなかった。
「私が好きになった三石悠介は、そんな負け犬みたいな男じゃない。間違っていることや悪に対しては戦える男だ」
「…………内海さんは間違ってませんし、三姉妹を手籠めにしようとする俺の方が悪なんですが」
「いーや、好きでもない人と結婚しようとしている姉さんは間違っているし、それを仕方ないとする流れは悪だ。あの人は呪いにも近い伊達の呪縛を受けている」
「…………でも、玲愛さんは――」
「今更姉さんの気持ちがわからないなんて野暮なことは言わないでくれ。私と雷火は公認許嫁なのに姉さんは自分だけ蚊帳の外に身を置き、そのくせ首輪を肌身はなさずつけていた。姉さんはクールに見えてメンヘラ女だよ。あれは間違いなくシンデレラ願望がある」
「シ、シンデレラ願望?」
「白馬に乗った君が、いつか自分を助けてくれるんじゃないかって思ってるんだよ」
「そ、そんなバカな……」
「あの人は理性の怪物だ。恨まれることに慣れ過ぎている。だからこそ自分の中にいるシンデレラを幽閉し、君に恨まれる形で遠ざけた。まぁ若干やり過ぎたと思ってるかもしれないが」
「……」
「牢屋にいるシンデレラはナイフを片手に、誰もかれもを遠ざけているんだ。寄るな寄るなと」
確かにそれはメンヘラムーブ。
「私なら王子が待てずに自分から捕まえにいってしまうけどね」
火恋先輩はウインクしつつニコリと笑う。
「自信をもちたまえ。君は世界を牛耳る伊達財閥と、水咲の令嬢から追いかけまわされる男だ。それは内海さんには出来ないことだ」
「…………」
「きっと君なら玲愛姉さんだって落とせるよ」
「俺世間一般から見るとただのクズですよ? もし俺がここまでやって水咲選びますって言ったらどうする気ですか?」
「まぁ……第三次世界大戦は免れないだろうね」
ワールドウォー3はまずい。
「我々は水咲とならバチバチに殴り合っても構わないのだが、その時は3対3で殴り合いたい。伊達の長女が戦線離脱してると分が悪いのでね」
「…………」
「これだけ言ってもダメだろうか?」
「いえ、これだけ言われないと立ち上がれないのが情けないなと思いまして」
打倒内海さんかぁ。多分今まで出会った人の中で一番の強敵だろうな。
「それでも君は頑張ってくれるんだろ?」
「俺、水泳もテニスもからっきしなんですが」
「それでも君は頑張るんだろ?」
火恋先輩の何かを期待するような目に、俺は……
「当たり前じゃないですか。玲愛さんを奪還して、姉妹ハーレムを作りますよ。ええ、もう何人でもかかってこい!」
半ばやけくそで最低な返しをした。
毒食らわば皿までである。
「それでこそ君だ」
「気合も注入してもらいましたしね」
ヒリヒリする頬をさする。
「あぁすまない、少し本気でやってしまった」
「いえ、それのおかげで視界がクリアになった気がします」
「やはり私はぶつよりぶたれる方が好みだ」
「聞いてませんが」
「君さえよければ、この場で私にビンタしてくれても構わないが。フルスイングで」
「しませんが!」
いきなり性癖を出さないでほしい。
「じゃあ、おっぱい……揉むかい?」
「うぐ……全部にカタがついたら」
真紅のビキニから覗く胸の谷間をチラ見しつつ超小声で言うと、火恋先輩はクスクスと笑う。その笑いを吹っ切るように、俺は立ち上がる。
「さて、玲愛さんに宣戦布告に行きますか」
「なんて言うつもりなんだい?」
なんて言おう、俺玲愛さんも嫁に欲しいですなんて正直に言ったら蹴り殺されそう。
まぁでも……。やると決めたからにはそれに近しいことを言いに行こう。
内海さんには負けません。
あなたたちに優勝はさせませんと。
◇
5分前――
あまり運動の得意でない真凛愛は、イベントに参加せず悠介を探してアリスランド内を彷徨っていた。
「いない……確かこっちに来たって……」
ビーチに顔を出すと、そこには悠介と火恋が真剣な表情で話し合っていた。
『……ハーレムを作りますよ——何人でもかかってきなさい!』
「! ハーレム……宣言。先生に伝えないと」
第三勢力は盛大に勘違いを起こしていた。
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