第168話 玲愛と首輪Ⅸ
翌朝目を覚ました。気づけば玲愛さんは俺の隣りで眠っていて、昨日から何もかわっていないように見える。
しかし、彼女の首に巻かれていた首輪が外れていることを確認して、全てを悟った。
恐らく昨夜俺が寝た後に内海さんがやってきて、ペア変更の件でもう一度玲愛さんに誘いをかけたのだろう。そして首輪が外れている事が意味することは、受理した……そういうことだろう。
だらしなく外れた手錠を見て、俺は小さなため息をつく。
全てがどうでもよくなった。
手錠を片付けて、サイドボードの上に置かれている首輪を手にとった。
その下に玲愛さんの女性用ポイントカードが置いてあり、5ポイント分のスタンプが押されていた。これで確定的になったな。
「もう、これは玲愛さんには必要ないですよね……」
首輪をゴミ箱に捨ててやろうかと思ったが、捨てきれずに手首にくるくると巻きつける。
我ながら未練がましい。
独り身になった俺は、自分のポイントカードを手に取り部屋を後にした。
◆
夢を見た。一瞬でこれが夢とわかる、繰り返し見たことがある明晰夢。
登場人物は小さい頃の私と同じく小さい頃の悠介。
夢でありながら夢じゃない、実体験の記憶をつなぎ合わせたダイジェスト。
この夢を何度も見るのは、よっぽど私の心の深い部分に影響を与えているからだろう。
昔は悠介と家族ぐるみの付き合いをしていた。
とても仲がよく、特に母親は悠介のことを可愛がっており、口癖のように「悠介がウチの子だったら、後継問題は解決していたのにね」とぼやいていた。
そんなあるとき悠介の両親が事故で亡くなれられた。悠介はイマイチ何が起きたのか理解できておらず、お葬式でも泣いていなかった。
その後すぐに、彼の引き取り先について親族会議が行われた。
当初母さんは伊達で引き取る姿勢を見せていたが、分家からは男の養子をとることに対して猛反発にあっていた。それでも母さんは、家族として悠介を迎え入れるつもりでいた。
そんな母の姿に私は不安を感じていた。伊達には今私と火恋がいる。そして産まれつき体が弱く入院している雷火がいる。
母さんはもしかして、体の弱い妹のかわりに悠介を引き取ろうとしているのではないか?
今思えばなんて見当違いな心配なのか。
しかし当時はそのことに気づかず、私は母に反発した。伊達に養子なんていらない、悠介を家族にするのはやめてと。
母は私の反対に酷く驚き……酷く落ち込んだ。とても悲しそうな目だったのを今でも覚えている。
分家の反対と私の反対、父さんも母さんを諭すように、悠介の受け入れを諦めるように説得した。
そして母は折れた。
後日悠介の引取り先が決まった。分家でもあまり力を持っていない高城家だった。
この家が最悪だった。
高城夫妻は母さんが悠介を気に入っているのを知っていて、点数稼ぎの為に引き取ったのだった。
そのことに気づいたのは、次に悠介にあった半年後の親族会議だった。
あれほどいたずら好きでうるさかった少年は、色を無くしたように静かになっていた。
私が悠介に話しかけると、彼は「お姉ちゃんと僕はあんまり喋っちゃダメなんだって」と答えた。
言葉の意味がわからずにいると、ただ普通に話していただけなのに悠介は高城に叱られていた。
いや叱るというよりあれは折檻だ。高城は躊躇なく悠介の頬をひっぱたき、私にぺこぺこと頭を下げてきた。
なぜそこまできつく叱るのかと聞くと、理由は喋る時の言葉遣いが汚いとのこと。後私のことを”姉”と呼んだ事。以降悠介は私のことを”玲愛さん”と呼ぶようになった。
高城家の悠介への接し方に違和感を感じる。
私は何か大きな間違いをしたのではないだろうか? そんな気になっていた。
更に半年後。
親族会議に来ていた悠介は、別人のようで自分から口を開くことはなくなっていた。
変わったのは性格だけではなく、その体はげっそりとしてやつれており、ゴホンゴホンと咳を繰り返している。
私は彼の手に腕がとれた古いロボットの玩具が握られていることに気づく。
「その玩具が気に入っているのか?」と聞いてみると、彼は「これしか持っていません」と答えた。
つまり玩具を与えられていない。
恐らく壊れた玩具を自分で修復して使っているのだ。
もう一つ気になるのが、シャツの隙間からのぞく打撲痕。
これに対しても聞くと、彼は「わからない」と、まるでケガのことを聞かれたらこう答えなさいと仕込まれているように、無機質な声で答えた。
まずい
間違いなく悠介はネグレクトにあっている。
一週間後、私以上に敏感だったのはやはり母だった。
母は高城を怪しんでいて、あるトラップを仕かけた。
悠介が風邪を引いている時に高城夫妻を呼び出すというものだ。
悠介が風邪を引いているので行けません。もしくは妻は、夫は悠介の看病で行けませんと断るのならそれでも良しとしたが、高城夫妻は二人そろって本家の屋敷にやってきた。
勿論風邪の悠介を自宅に残したまま。
悠介は高城夫妻が家を出た直後に伊達の人間に保護され、病院に連れて行かれた。
診断結果は肺炎で、もう少し遅ければ死んでたとのこと。
それともう一つ、医者から「極度の栄養失調、自然ではない打撲痕、タバコを押し付けられた跡があり、日常的な虐待が疑われる」と告げられる。
高城夫妻がなぜ悠介を病院に連れて行かなかったか理由がわかり、母は怒り狂った。
虐待を隠蔽しようとした高城家から悠介の親権を剥奪し、警察へ通報、分家追放処分にするまでその怒りはおさまらなかった。
その時母は泣きながら自分が引き取るべきだったと悔やんでいた。
そのことが直接関係あるかはわからないが、以後母は体調を崩し入退院を繰り返すようになった。
体調の安定しない母に世話をさせるわけにはいかず、悠介はまたどこかの分家に引き取られることになった。
しかしながら何処も彼を愛してくれる場所ではなかったようで、悠介は分家をたらい回しにされ続ける。
それから一年後、私はもう一度彼と会った。
今は一体誰が悠介の親なのかわからなかった。その頃には雷火も退院していて、母の容体も安定していた。
幸せそうな伊達家族を見て、悠介はこう漏らした。
「僕も”そっち”が良かったな」
そう言って、葬式でも泣かなかった少年はポロリと涙を零した。
あの言葉は私の胸に大きな楔を撃ち込んだ。私が悠介の伊達入りを反対しなければ、きっと彼は我々の弟として暮らすことができた。
両親を失い不幸のどん底にいる少年を、ただの母親への独占欲の為に拒んだ。これは私の罪だ。
それから数ヵ月後の事だった。海外への長期出張から帰ってきた三石家が、親族会議にて悠介の引取りを決めた。
また悠介の親がかわるのか……と思っていたが、珍しく母さんが何も意見を出さなかった。
後で聞くと、三石さんは母さんが信用している数少ない分家だったらしい。
次に会った時、悠介は元気を取り戻していた。相変わらずいたずら好きで、声が大きくて、強情で、優しい少年だった。
三石家の義姉によって、精神が回復したらしい。
だが悠介は元気になっても、私のことは玲愛さんとしか呼ばなくなってしまった。
彼をどん底に突き落とした私への罪だ、受け入れよう。
私に贖罪が出来るとすれば、彼を守り幸せにしてやることだろう。
私は真っ先に彼を伊達家に入れることを考えた。その手段として自分と悠介との結婚を思いついた。私と彼が結婚すれば、家族になることができる。
そう思ったが、すぐに自分の厚かましさに素にかえる。
私のせいでどん底に落とされたのに、どの面を下げて結婚なんて提案するのか? 彼は私を許しはしない。
だから私は悠介と妹との結婚を思いついた。
ウチの妹なら心配ない、火恋も雷火も真面目で優しい子に育っている。
それに脂ぎった大人の貢物として、政略結婚に使われる可能性が高い妹を守ることにも繋がる。
私の悠介と妹を婚約させる許嫁計画が始まった。
どうか、火恋と雷火が悠介を好きになりますように。
悠介が妹を好きになりますように。
そう願いながら私は妹に伊達を背負わせないため、伊達の全てを受け継いできた。
もし、私の願いが一つだけ叶うとすれば、悠介と妹が幸せな家庭を築いてほしい。
例え世間の倫理から外れようとも、この子たちが幸せになるためなら私は手段を選ばない。
そこで夢は幕を下ろし、目を覚ます。
体がだるい。自分の目元を拭うと泣いていた。なにか変な夢でも見ていたらしい。
全ては悠のせいだ、あいつが私に見合いなんてさせるから気疲れした。
昨日は水咲姉妹とも揉めるし、そんなにほしいならくれてやると心にもないことを言った。そのせいで胃がむかついて仕方ない。
「悠、そろそろ起きろ。イベントの時間……」
いつもどおり手錠がついている腕を引っ張ると、そこに重い金属の感触はなかった。
「はっ?」
手錠が……ない? 確か昨日の夜にバッテリーは切れたが。
なんだ……朝くらい一緒にいてくれてもいいじゃないか……。そんなに私から離れたかったのか。
理不尽な怒りを覚えていると、テーブルの上に手錠が置いてあるのが目に入った。
「何しても外れなかったくせに、簡単に外れやがって……」
物言わぬ手錠に恨み言を呟いていると、その下に何かが書かれた紙が置かれていることに気づく。
紙を手に取り目を通す、それは残された私に対するメッセージだった。
『内海さんとのペア、頑張って下さい。俺は今回のイベントリタイアさせていただきます』
「はっ?」
つい素っ頓狂な声が出てしまった。
なぜリタイアするんだ……?
確かに私は昨晩内海とのペア変更を了承したが、お前は他の女とペアを組みなおせばいいだけだろう。
お前には火恋も雷火も、その気になれば水咲からだって選びたい放題じゃないか……。
頭の中に嫌な焦りを感じ、疑問符がいくつも浮かぶ。
なんなんだ、この全てを諦めたような感じ。
やめろ、私から離れるな。
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