第157話 キスシーン

 静さんにお隣に越してきたお友達のところに行って来ますと言って、俺と玲愛さんは逃げるように外へと出た。


「完全に丸め込まれてるじゃないですか……」

「すまん。彼女と話していると、逆らってはいけない人間と会話している気分になるんだ」


 その気持ちはよくわかる。

 とりあえず501号室のアマツの部屋へと入った。中は引越ししたてなのに綺麗に片付いている、と言っても内装は座卓とベッド、ノーパソ、液晶テレビくらいしかなく、新生活始めましたって感じの物の少ない部屋だった。

 その中で、天は相変わらず男か女かよくわかんなくなる私服に着替えて俺たちを待っていた。


「ようこそボクの部屋に」

「意外と物が少ないんだな」

「そんなことないよ。実は秘密があって、ほら」


 彼女は上階へと続く階段を指さす。あれ? 俺の部屋にはあんなのないが。


「実は上の階も借りてるんだよね。マンションのオーナーに頼んで天井に穴開けてもらっちゃった」

「へー、じゃあ荷物は上か」

「うん、見てもいいよ」


 上の階に上がってみると、キャンバスやイーゼルが並んでいて、描かれた風景画が飾られていた。他にもヴァイオリンケースや、ギターケースらしきものも置かれていて多彩な趣味が伺える。


「ボクの秘密部屋ってところかな。ここで絵を描いたり、音楽を奏でたり、役者の練習をしたりするつもり」

「ほ~すごいな……あれ? 壁の材質が違うな」

「一応防音仕様にしたから、大きな音を出しても大丈夫なんだ。するならここでしようね」

「あぁそうだな」


 ん……? 何をするんだ?

 一緒に音楽でも弾くのかな(とぼけ)

 下の部屋にベッドがあるのに、なぜかこちらにもベッドが置かれていることに気づかぬふりをしつつ、周囲の絵を見やる。


 どれも趣味で片づけられるようなレベルじゃなかった。油彩や水彩で描かれた風景画は、空気感というのだろうか? 透き通るような世界が描かれていて、天の才能の片鱗が見える。


「ほんとプロレベルじゃないのか? 大きなコンクールで賞をとったりしてるんだろ?」

「まぁそれほどでもあるよ。絵はいいよー精神統一するときとか、無心になれるし、自分で世界を作れるし」

「は~……それがクリエーターの心理なんだろうな」


 世界作るなんて発想普通出てこないしな。

 俺は緑が生い茂る天空城の絵を見て、その迫力にため息がでた。

 眩しげな日差しを浴び、小鳥が空を飛び、木の上でリスが木の実をつつき、様々な色の花が咲き誇る。この天空城で色々な生命が誕生していったんだろうなと、まるで絵の中の息遣いが聞こえるようだ。


「語彙力なくて申し訳ないがマジで凄い。感動した」

「ありがと」


 隣にいた玲愛さんも、なんだこれ人が描けるものなのかと驚嘆の声を上げていた。


「これだけの技術があると、魔法とさしてかわらんな」


 玲愛さんの言う通り、これだけのものを真っ白なキャンバスから生み出してしまう人の手は魔法と変わらないだろう。

 自分の想像の範囲を超えるものを人は魔法と呼ぶんじゃないかと思う。

 すげーすげーと言いながら絵の鑑賞をしていると、階下からチャイムが鳴る。


「あっ、ネット工事の人来たかも」


 全員で下の階に降りると、予想通りインターネットの工事業者が玄関を開けて待っていた。

 作業中俺の部屋に行こうかと思ったが、どうやらモデムなどの機材を設置すれば終わりなようで、回線工事はものの数分で終了した。


「兄君、ボクちょっと業者さんに聞きたいことがあるからネットつながるか見ておいて」


 天はノートPCの電源だけ入れて、帰ろうとする業者を追って玄関へと向かう。

 俺は言われた通り、デスクトップ画面からブラウザを選択してネットが開通しているか見てみる。


「おや?」


 天の使っているブラウザは、前回開いていたページを記憶しているタイプらしく、いきなり海外の動画サイトに繋がった。

 エロ動画でも再生されたらどうしようかと思ったがそんなわけもなく、途中から再生された字幕映画には男装した天が映し出されている。

 歳は15,6くらいの時のモノだろうか? 登場人物は皆中世貴族のような格好をしており、天だけが少しみすぼらしい格好をしている。


「これって……」


 もしかして彼女が出演しているという映画なのだろうか?


「フランス語だな。どうやら階級差の恋愛をテーマにした作品らしい」


 玲愛さんは役者の話す言葉で、言語と内容を判断する。

 そのまま二人で動画を見続けていると、貧民役の天と貴族の娘役とムーディーな雰囲気が漂う。

 あっ、これラブシーンにはいるのでは?

 俺の予想通り、ベッドに倒れこんだヒロインと、その上に覆いかぶさる天。

 一見イケメンと美少女の組み合わせに見えるが、実は♀×♀なんだよな。


「キ、キッスしますね」

「言わなくていい」


 ヒロインらしき少女と、天が見つめあうとゆっくりと顔が近づいていく。


「ぎにゃあああああああ!!」


 ドキドキしながらディスプレイを眺めていると、丁度いいところで天がノートPCを取り上げる。

 どうやら自分がどのページを開いたままだったか思い出したらしい。


「そんな面白い悲鳴あげんでも……」

「…………見た?」

「見た。ちゅーしてたなちゅー」


 俺がタコみたいに口をすぼめてみせると、天は顔を赤くしてちょっと怒っていた。


「してない」

「えっ、でも……」

「してないの! うまいことカメラアングルかえてもらってしてないの!」


 確かに絶妙なところでアングルがかわったので、ちゃんと唇が接合したかは見てないけど。


「いや、別に映画の中のキスシーンくらいで冷やかしたりしないぞ?」


 むしろこんな見せ場のある役をやっててすごいと思う。


「キス相手が男優だったら?」

「ちょっと横になる」


 幼馴染がイケメン俳優とちゅーしてたら、そりゃ具合も悪くなるだろ。


「言っておくけど、ボク映画出演時はキスNG、濡れ場NGにしてるから」

「それ監督になにか言われない?」

「言われるよ、やれって。その役は水咲天じゃないから、キスはノーカンだって」

「まぁよく言うやつだな。演じる役と本人は別物だって」

「他にもキスしたら300万ドルギャラ上乗せするって」

「300万ドル……」


 今1ドル105円くらい?


「約3億2千万だな」


 玲愛さんが補足すると、俺はあんぐりと口が開く。


「キス一回3億!?」


 さすが銀幕役者は次元がちげぇや。


「でも無理」

「よく断れるな……」

「無理なものは無理なの」

「それってやっぱり、いつかできる恋人のために操を立ててるのか?」

「そうだよ。ボクはこんなに律儀なのに、君ときたら彼女作ってるんだもん。信じらんないよ」

「いや、過去に結婚の約束したフラグ立てたみたいな反応しないでくれ」


 何度も言うが、俺幼少時はお前のこと男だと思ってたからな。


「ちなみにだけどさ……もし、彼女が役者でキスシーンあるんだけどって言ってきたらどうする?」

「恥も外聞もなくキレちらかす」

「あぁそうなんだ、彼女の出世を阻むタイプの彼氏だね」

「彼女が他の男とキスするの嫌がるのは普通だろ」

「そうだね……じゃあボクの選択は間違ってなかったってことだ」


 後半ゴニョゴニョ言って聞き取れなかった。

 キスか……キスなぁ。恋愛感情のない仕事でってことはわかってるし、男のわがままで役者として成長できないのも可哀そうだからな。


「考えてみたけど、彼女がそれで高みに上るならやった方がいいよって言うと思う」

「ボクそれで大スターになるけど、男は身を引いて女は富と名声を手に入れたけど、死の間際までスターになんかなるんじゃなかったって後悔してる役者さん見たことあるよ」

「お互いの選択だからな。彼氏とるか仕事とるかだったら、俺は仕事とりなよって言うよ」


 現実問題スターやりながら釣り合わない男と付き合うって、めちゃくちゃしんどいと思う。きっとスターにはスターに見合う人間がポコポコ出てくるし、それを全部遮断しながら付き合うってめちゃくちゃストレスじゃないかな。

 だからそれを理解した上で男が身を引くってのもわかる。あれ、なんか俺の状況に刺さってるな。


「ボクは嫌だよ。それって君に我慢させてるってことでしょ?」

「我慢というか割り切りな気がするが」

「同じだよ。ボクならキレちらかしてほしい。変な割り切りより、そっちの方がよっぽど愛を感じる」

「でもそう言うと今度は重い男って言われるんでしょう?」

「言わないよ。女は独占欲発揮されると嬉しくなるものなんだよ。お前は俺のモノだ。ほかの男とキスなんて許さないってね」


 白馬の王子様みたいなイケボで囁く天。多分俺が女だったら一瞬で恋に落ちて財布差し出してたと思う。


「イケメン顔で女心を語るな」

「照れてるねぇ」


 頬をついてウザがらみしてくるんじゃない。

 すると、ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。

 天が外に出る前に、ドアが開いて玄関先で複数人の声が聞こえる。


「ちっすちっす! 引越し祝いに来ました!」


 この何も考えてなさそうで何も考えてない声は……。


「綺羅星だね。どっか寄ってから来るって言ってたんだけど、早かったね」

「ってことは雷火ちゃんたちも一緒か」

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