第137話 冷たい飴

「じゃあこのエントリーシートに名前書いてね」


 俺はひかりから手渡された、参加規約が書かれた用紙をまじまじと見つめる。

 俺は意外とこういう契約書関係は、よく見るタイプの人間だ。

 ザッと文章を読んでいくと、下の方に小さな文字で気になることが書かれていた。


「……今後水咲グループ主催のイベントに無条件で参加します?……またそのイベント等のトラブルで、伊達家との許嫁関係が解消された場合、水咲家次女、水咲月と許嫁関係になることを認めます?」


 何コレ? 俺このイベントで許嫁クビにされたら、自動的に水咲家の許嫁になるってこと?


「あぁ別にその辺は気にしなくてもいいわよ。それより早く署名して」


 やたら急かしてくる月。不審に思い、更にもう一ページあったのでめくってみると、婚姻届と書かれた紙がくっついていた。しかもご丁寧に、前のページがカーボンシートになっていて、イベント参加に署名すると婚姻届の方にも署名されることになっている。


「あの……婚姻届って書いてるんだけど……」

「そこも気にしなくて大丈夫よ。事務処理で使うだけだから」

「大丈夫じゃない! 婚姻届事務処理されたら結婚しちゃうだろうが!」

「「チッ」」


 月と剣心さんから露骨な舌打ちが漏れた。

 郵便局に転居届出すときの、N◯Kみたいなことしてくる人たちだ。

 すると障子の奥で話を聞いていたと思われる雷火ちゃんが乱入してきて、俺からエントリーシートを取り上げる。


「月さん、やっぱり変な事してましたね!」

「あら雷火ちゃん、一応この書類は剣心さんを通してるのよ?」

「パパ!」


 雷火ちゃんに睨まれると、剣心さんはわざとらしくゴホンゴホンと咳払いした。


 エントリーシートの婚姻届は削除され、雷火ちゃん監督の下怪しい条件が修正されたものに署名を行った。


「あの、玲愛さんは本当に大丈夫なんですか? あの人鋭いですから、いきなりこのイベントに参加してくれと言っても無理な気がしますが」

「ワシが話をすれば簡単に納得させられる、貴様が心配する必要はない」

「本当ですか?」

「疑り深い男だ。見ておれ」


 俺の不安そうな声が気に入らなかったのか、剣心さんは印籠みたいなスマホを取り出し、何処かに通話を始めた。


「ワシだ、話がある。何? 今忙しい? 少しくらい時間をあけれるだろう。ワシだぞ?」


 通話相手は恐らく玲愛さんなのだろうが、今電話から舌打ちが聞こえたぞ。大丈夫か。


「今度伊達と水咲の共同事業で進めておる……そう、それだ。そこで催し事がある、それに参加…………ワシじゃない、お前が参加……嫌じゃない」


 即答で断られてんぞ、大丈夫か。


「その日はワシが入る、お前が気にする問題ではない……。ワシには無理? 馬鹿にするな、引退したわけではないのだぞ…………何? また取引先が増えた上に問題? そんなものはお前が解決することではない、下に対処させればいいだけのこと。……何か企んでる? そ、そんなわけないであろう、何も企んでなぞおらんわ!」


 一発でバレかけてるぞ、大丈夫なのか。


「それは違う、いや……お前の為を思ってだな……。余計なお世話はないだろう」


 色々白状させられてるっぽいんですけど。


「お前がいつまでたっても、男を見つけてこんからだな」


 その言葉は玲愛さんの逆鱗スイッチを押したようで『そんな事言われなくてもわかってる! これは私の問題だ、例え父上でもとやかく言われる筋合いはない!』と物凄い怒号が返ってきた。

 これはもう取り付く島もない感じで、剣心さんですら首をすくめている。

 玲愛さんが出ないとなると、この話根幹からひっくりかえるんじゃないか?


「む、むぅ……」

「貸して下さい」


 頼りなく唸る剣心さんから、雷火ちゃんがスマホをすぱっと奪い取った。

 その拍子にスマホの音声がスピーカーに切り替わり、玲愛さんの音声が聞こえて来る。

 何やらバタバタと忙しそうで、仕事の話がひっきりなしに飛びかっている。


「あーもしもしわたしです。姉さん仕事穴開けられないんですか?」

『開けられるわけないだろ、ただでさえ海外にいた分の仕事が滞っているのに』


 玲愛さんは気が立っているようで、どんどん言葉が刺々しくなっていく。

 仕事の邪魔をするな、早く電話を切らせろと、そんな空気がひしひしと伝わってくる。


「これ、カップルで出場するらしいんですけど」

『雷火私は忙しい、くだらないイベントに何故私が参加する必要がある?』

「悠介さんが一緒に出たいんだってー」

「………………」


 雷火ちゃんがそう言うと、スピーカー越しの声が沈黙する。そのかわりに玲愛さんに指示を求める数多の声が響いた。


『伊達さん、住友事業部よりお電話です』

『伊達さん、内田PMより伊達航空の損失について銀行を交えた緊急のMTGを開きたいと』

『伊達さん、目黒商事からブラックリスト入りは不当と申し出があり、解除に応じなければ裁判も辞さないと』

『伊達さん、セクハラで解雇された香川常務から焼き土下座の動画が送られてきています!』

『『『『伊達さん!』』』』


『うるさい! 少し黙ってろ!!!』


 玲愛さん超こえーー!

 一瞬で向こう側の音が何も聞こえなくなった。恐らく電話越しの現場は、物音一つたてることすら許されない状況になっているのだろう。


『雷火、それはお前か火恋で行けばいい。何故私にそんなことを言ってくる』

「悠介さんがね、お泊りで遊びたいんだって。この施設凄いんですよ、遊園地だけじゃなくて、屋内ビーチや、スポーツ施設まで入ってる。まるでリゾートみたい。姉さんも一度視察に行ったほうがいいんじゃないですか?」


 俺は唐突に雷火ちゃんからスマホを耳に当てられた。


『雷火私を困らせるな、行かないと――』

「その、なんとかならないですか?」

『………………』


 玲愛さんはいきなり話し相手が俺にかわったので、驚いているのか押し黙った。

 その間に雷火ちゃんは自分のスマホに文字を打つと、俺に読み上げるように言った。


「えっと、俺の為になんとか仕事空けてもらえませんか? ……って、えぇ!?」


 わがままを言う恋人みたいなことを言わされて、雷火ちゃんに抗議しようと思ったが全力で口を塞がれた。

 怒号が飛ぶかと思われたが、しばらく沈黙が続いた。

 やがて向こう側で何やらヒソヒソと声が聞こえる。


『………………(来週までに今ある全てのタスクを片付ける。スケージュールをたてろ)』

『(無茶です! 一日24時間働いても終わりませんよ!)』


 泣き言を言う部下らしき人。


『黙れ。私の問いには、はいかイエスで答えろ』

『(無理ですよ)!』

『無理じゃない、やるんだ(威圧)。わかったな?』


 暴君だ、電話越しに暴君が降臨されておる。


『……雷火にかわれ』


 俺はスマホを雷火ちゃんに戻した。


『行けるかどうか、まだわからん』

「姉さんならやれますよね?」

『……妹のくせに姉を試すな』

期待してますから・・・・・・・・

『まったく』


 玲愛さんは雷火ちゃんに乗せられているとわかっているのに、声は楽しそうだった。


『これから一週間家には帰らないから、火恋に言っておけ』

「まだもう少し時間あるから、そこまで詰めなくてもいいと思いますけど?」

『…………学生の時から水着買ってないんだぞ。準備がいるだろう』


 伊達家の最強は、恥ずかしげにそんな可愛らしい事を言った。


「おっけ、わたしも付き合いますよ」

『じゃあな。お前らのせいでちょっと様子見のはずが、デスマーチになった』

「頑張って~」


 雷火ちゃんはニコやかに通話を終了させ、剣心さんにスマホを返した。


「聞いててわかると思いますけど、おっけー出ましたよ」

「………………」


 一同沈黙が続く。

 実は伊達最強って雷火ちゃんじゃないのか?。

 そしてすっかり立場がなくなってしまった剣心さんは、わざとらしくゲフンゲフンと咳払いしている。


「そ、そういうことだ。水咲よ後は頼むぞ。ワシは体調が悪い」

「はい、かしこまりました」


 月はイベントの案内を終えると「じゃあまた連絡するわね」と、あっさり帰っていった。

 あの感じ、何か裏があるような気がしてならない……というか多分裏あるんだろうな。

 月が帰り、自称風邪の剣心さんもそそくさと撤退したので、客間には俺と雷火ちゃんだけが残されていた。


「どうして玲愛さんは了承してくれたのかな?」


 俺の為に仕事を終わらせてくれって、不遜どころか失礼にあたると思う。お前は私の彼氏かってキレられてもおかしくない。


「悠介さん、多分今姉さん嬉々として仕事してると思いますよ」

「どうして?」

「それは……秘密です」

「?」

「どうかそのまま朴念仁でいてくださいね」

「?」


 悪戯っぽく笑う雷火ちゃんに、首をかしげるばかりだった。






――――――――――

すみません。痛恨の名前間違いしました。

三石→伊達に修正しました1/19

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