第112話 静とスランプ作家Ⅲ
2時間後――
ガラガラや哺乳瓶、避妊具が転がるベビーベッドの上で、俺はおしゃぶりを咥えさせられながらクスンクスンと涙を浮かべる。
「酷いこと……されちゃった」
それとは反対に、静さんは先程のことを思い出して艶めかしい吐息を吐く。
「ユウ君凄くよかったわ。帰ったらまたしましょうね……」
「もうしない」
ママンが急に女の顔になるのやめてほしい。
マジでこの人、ゴム有りならノーカンとか普通に言い出しそうで怖い。
俺のちっぽけなプライドとか尊厳とかが吹っ飛んだ代わりに、清汁郎先生は怒涛の勢いで原稿の執筆を行っている。
「原稿……上がりそうです」
「それはなによりです。俺もこの歳でバブーと言った甲斐があります」
清汁郎先生はクスリと笑う。本来なら何わろてんねんと言うところだが、今日一回も笑顔を見ていないので笑顔が戻ってきたのはいいことだと思う。
「原稿上がりそうなら、俺たち残って手伝おっか?」
「そうね、それがいいと思うわ」
胸の前でパンと手を打つ静さん。
「あう……あり、ありがとうございます……。ご迷惑……おかけします」
よし、今日中に仕上げるぞという気概で、俺達は結束する。
まぁ俺ができるのはベタだけなんですが。天国ドア使いの静さんがいるからなんとかなるだろ。
「じゃあ調子よくデスメタルでも流しますか?」
俺がオーディオに手をかけようとすると、先生は首を振る。
「……デスメタ苦手です」
「えっ? そうなんですか?」
あれ? 今日来た時、バリバリにかかってたからてっきり好きなんだと思ってた。
「サクラかけてください……」
オーディを操作すると、初代サ○ラ大戦のオープニングソングがかかる。
俺も作業するときこの曲聞くとテンション上がる。
「今朝なんでデスメタかかってたんですか?」
「デスメタは葉瑠ちゃんの趣味……」
「あっ、そうなんですか?」
柚木さんの趣味意外だな。
「ちなみに柚木さんとはどういう関係なんですか?」
「葉瑠ちゃんは元同人サークルのリーダー。……凄く面倒見がいい人です。今回も、すぐに助けに来てくれて」
「いい人ですね。柚木さん、先週アシスタントデビューって言ってましたけど、商業誌で描かれてないんですか?」
「葉瑠ちゃんは同人畑の方が自分にはあってるって言ってました。最近はプロのお手伝いとかしてるみたいです」
「なるほど」
商業誌がいいか同人がいいかなんて人それぞれだもんな。
商業誌やってから、やっぱ同人で伸び伸びやんのがいいわって言う人も結構いるし。
締切に追われるが、確約された原稿料が貰え、印刷費、宣伝費は出版社持ちの商業作家。
締切はなく売上のほとんどが自分に入るが、売れなかった時自分で在庫を引き取らなくてはならない。ある程度の知名度がないと食べていくことは難しい同人作家。
どちらもメリット、デメリットは存在するし、イラストレーターやりながら同人もやってますっていうハイブリット型作家も多い。
「創作にもいろいろな形があるんだな……」
厳しい世界だが、クリエイティブな仕事って憧れるよね。そんなことを考えながら、全力で原稿を進めていると、なんとか区切りが見え始めてきた。
「三石先生すごいペースです……」
「下書きがしっかり書き込まれてるから、こっちもやりやすいわ」
俺から見ると両者化け物地味たスピードで描いてるんだが。
二人は高速で筆を走らせ続けていたが、深夜に差し掛かって疲労が出始める。静さんは健康優良児なので、大体11時位には寝てるし、清汁郎先生は何徹目なんだって言うくらい目の下が黒く、傍から見ても完全にグロッキー状態。
清汁郎先生がエナジードリンクに手を出しかけたのを見て止める。
「ぁう……それ……下さい」
取り上げられたエナジードリンクに手を伸ばす先生。その手はヘロヘロで、砂漠で水を求めているようにも見える。
「明らかにカフェインの摂取過剰です。集中力を回復させるなら10分でも仮眠したほうがいいですよ」
「締切が……」
「締切守って体壊したら、次号休まなきゃいけなくなりますよ」
「ぁう……正論ビンタ……」
「そうよ。頑張りすぎてもダメだから、しっかりお休みもしましょうね」
「はい……じゃあ、少しだけ休みます……。皆さんも休んで……お風呂とか使って……くだ、さい」
ヘロヘロな清汁郎先生は、ベッドに倒れるようにして寝転がる。
すると数秒経たずに寝息を立て始めた。
「限界だったんだろうね……。マスクしたまま寝ちゃってるよ」
「ええ、神経すり減らしてたのがわかるわ。可哀想」
「静さんお風呂はいる? 沸かしてあるっぽいけど」
「そうね、ちょっとお風呂借りようかしら。ユウ君も一緒に入る?」
「そうだね、入……入らないってば!」
ナチュラルに風呂に誘わないでほしい。
「ユウ君のイジワル」
「は、早く入ってきなよ」
静さんもリフレッシュの為にお風呂へと入る。
「俺もできるとこは終わってるし、ちょっと休憩かな」
デスクに置かれた原稿に目を通す。実はベタ塗ってたけど、ちゃんとは見てないのだ。
パラリパラリと原稿をめくると、爆乳人妻エルフがゴブリンたちに激しく陵●されるシーンが描かれている。
俺の体張ったバブーはどうなったんだよ。異世界モノになってるじゃねぇか……。
ストーリーは悪魔の魔法によってエルフの王子がゴブリンにされてしまい、理性を失った王子は
ラスト息子がゴブリンからエルフに戻った時、母はただのビッチになっていたというのも闇が深くて面白かった。
「この爆乳エルフのモチーフは明らかに静さんだよね……ってことはこのゴブリンのモチーフは俺なの?」
考えるのはやめよう、心が壊れてゴブリンになってしまう。
原稿を机に戻すと、静さんのスマホがピリリリリっと音をたてる。
やばい、先生が起きてしまうと咄嗟に通話ボタンを押してしまった。
『あっ、もしもし三石先生?』
「もしもし」
『あれ? 弟君? あたしあたしコスモス編集部の伊勢です』
「あっ、こんばんは?」
すげー時間にかけてくるな。今深夜一時だぞ。
『三石先生どうしてる?』
「今清汁郎先生の家でお風呂入ってますよ」
『あれ一緒に入ってないの?』
「入りませんよ!」
なんで皆一緒に入ってると思ってるんだ。
「それでどうしたんですか? 深夜に茶化しにきたわけじゃないですよね?」
『一応ラフレシアと部署は違うんだけど、進捗を聞こうかと思って』
「それなら清汁郎先生、軌道に乗ったみたいですよ」
『ほんと? 良かった~。清汁郎先生レール乗るまでは大変だけど、乗せたら早いって聞いてるし』
「静さんも手伝ってますから」
『それなら大丈夫かなぁ。一応連絡しておいてほしいんだけど、かわりの作家さん見つかったのよ。だから最悪落としても大丈夫よ。原稿料は払えなくなっちゃうけど』
「わかりました。伝えておきます」
落としても大丈夫になったというのは、一番最悪の雑誌を刊行できないという可能性を免れたということなのでそこは良かった。
でも作家にとって生命線である原稿料が払われないというのは、痛手であることには違いない。
『じゃあ、あまり無理しすぎないように頑張ってちょうだい』
「はい、わかりました。連絡ありがとうございます」
通話を切ってふと後ろを振り返ると、目を開いた清汁郎先生が不安げな表情でこちらを見ていた。
「編集さん……ですか?」
「あっ、はい、そうです」
「もしかして……打ち切りの連絡ですか?」
「ち、違いますよ! 一応代わりの作家さん見つかったそうなので、最悪落としても大丈夫とのことです。ただ落としちゃうと原稿料は払われないんで、やったーってわけじゃないと思いますけど」
「そうですか……」
「もう少し寝ときます? まだ10分も経ってませんし」
「起きます。起きて描かないと」
ベッドから立ち上がろうとすると、よろっとバランスを崩す先生。
それを咄嗟に支える。
「大丈夫ですか?」
「あり、がとう……ございます。お世話になりっぱなしですみません……」
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
「…………三石先生は良い弟をお持ちですね」
「そんなの初めて言われました」
クククっと笑ってしまう。
「な、なにかおかしなこと言いましたか?」
「いえ、こんな真面目な人がエロ漫画描いてるってギャップ萌えですね」
俺がちょっとからかうように言うと、清汁郎先生はボンと顔を赤らめた。
「……今考えると、男性に原稿を手伝ってもらうの初めてです。大変なセクハラをしていますね」
「できればそれは、俺がベビーベットでバブーと言ってたときに気づいてほしかったですね」
「す、すみません。必ず何かお詫びと御礼を致します」
「気にしなくていいですよ。俺ほんとなんにもやってないんで」
「いや、あのベビーベッド……」
「ガラガラ、哺乳瓶、うっ……頭が……」
「なんでも良いので言ってもらえれば、自分も何かやります……」
ん? 今なんでもって……。
と言っても俺の望みなんて、後でサインくださいくらいしか本気でない。
俺はふーむと考えて、ジッパーを下ろす動作をしてみせる。
「清汁郎先生のジャージじゃなくて、普段着が見てみたいです」
「そんなので?」
「はい」
「わかりました」
清汁郎先生はジャージの前を開けると、飛び出せ3D。黒のタンクトップに包まれた、ふてぶてしいメロンが露わになる。
「えっ……でかっ……」
あまり大きくないと思ってた人が脱いだら凄いという衝撃。
彼女は俺の目の前で生着替えを行う。
「ほとんど家ではジャージしか着てないんで……。高校の頃の制服でもいいですか?」
「全然OKです」
彼女はワイシャツに青のチェックスカート、ガーター付きのストッキングを履く。
「あっ、ちょっとキツイ……」
胸元の成長が著しいのか、シャツのボタンがとまらないらしい。
おへそもチラリと見えており、銀のへそピアスが光っていた。
「こう言ったら失礼ですけど、清汁郎先生ってファッションはかなり派手ですよね? 髪色も紫のメッシュ入ってますし」
「ゴシックパンクみたいなのが好きなんですけど、胸囲があるからほんと何着ても似合わなくて……結局ジャージに」
巨乳には巨乳の悩みがあるのか。
確かに静さんもゆったりとしたセーター着てること多いもんな。
「で、きました……」
無理やりシャツのボタンはとめられたが、ギチギチと引き裂けそうだ。
「やば……弾け飛びそ――」
先生の不安は的中し、ボタンはパーンと弾け飛び俺の顔面に命中した。
「たわわなマンデー!!」
「ご、ごめんなさい!!」
慌てて平謝りする清汁郎先生だったが、俺は幸せな気持ちに包まれながら後ろのめりに倒れた。
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