第110話 静とスランプ作家Ⅰ

 試験も終わり、静さんのアニメ関連の話も一段落ついたとかで三石家には平穏が戻っていた。

 夕食をとりながら、静さんは我がことのように試験結果を喜んでくれる。


「ユウ君、この前のテスト凄かったわね」

「まぁ、それほどでもないよ」


 そう言いつつ、俺はオール80点代のテストを見せびらかす。

 答案用紙はいつその話題になってもいいように、常にポケットに忍ばせてあるのだ。


「ユウ君ってほんとやれば出来る子ね」

「いやいやいや、そんなことないよ」


 傍から見ると、一回良い点をとっただけで天狗になるアホの子と、凄い凄いと褒めすぎて子供がダメになるタイプのママである。

 そんな話をしていると、不意に玄関のインターホンが鳴る。

 静さんは「は~い」と返事をしてから玄関へと走った。

 俺も誰が来たのだろうかと気になって覗いてみると、玄関先で土下座している伊勢さん(静さんの担当編集)の姿があった。


「え、えぇ~……」


 何があったら担当編集さんが土下座することになるのか。

 まさかアニメ化ポシャったとか、そんな話じゃないだろうな。

 不安になって聞き耳を立てると、二人の会話が聞こえてくる。


「ほんとごめん。三石先生が忙しいってわかってるんだけど、締切守って余力あるのウチであなただけなの! これ落とすと雑誌が一つ潰れちゃうから、もう編集部全体が修羅場っちゃってて」

「いえいえそんな」

「埋め合わせは必ずするから」

「は~い、わかりました」

「ほんとあなたはウチのメシアよ!」


 伊勢さんはガシッと静さんの手をとって感謝すると、ペコペコ頭を下げて帰っていった。


「何かあったの?」

「マンガ家さんのヘルプを頼まれたの」

「あーなるほど。そんな切羽詰まってる?」

「連載持ってる作家さんを休ませようとヘルプを頼んだんだけど、ヘルプのマンガ家さんに逃げられて、代わりに頼んだ人が胃潰瘍で倒れちゃって」

「地獄だね」

「結局休む予定だった人に無理やり描かせることになったんだけど、その人がスランプにハマってて未だに原稿が上がる気配がないんだって」

「静さんがかわりの原稿を描くの?」

「さすがに今から短編のネーム切るのは無理よ。それに雑誌の媒体が違うから」

「あっ、そっか」


 その雑誌が少年マンガだったら、静さんの少女マンガは完全に浮いちゃうもんな。


「それなんて雑誌の奴なの?」

「えっと月刊ラフレシアかな? コスモス系列の雑誌なんだけど」

「へー……」


 ん? なんかその雑誌聞き覚えあるような。

 俺のベッドの下に隠してあるエロ本が、そんな名前だったような気がする……。


「え、えっと、その手伝いに行くマンガ家さんってなんて名前なの?」

清汁郎せいじゅうろう先生かな」


 ほほー清汁郎先生とな。

 確か同人マンガで腕を買われて商業誌デビューした作家さんのはず。

 名前に反して、凄まじく美麗な絵を描くことでSNSで有名。

 エロ漫画なのに異常なまでに背景を描き込んだり、派手なアクションがあったりで技術力の高さで知られる。


「静さん、この話断ろう」

「えっ!?」

「この人の手伝いに行くってことは、静さんエロ漫画を描くことになるんでしょ?」

「そうだと思うけど、ユウ君成年誌を描く人は嫌い?」

「いや、そうじゃない。エロ漫画家さんは尊敬しているし、いつもお世話になっておりますと三指ついてお礼をしたいくらいだ。でも! 意図的に静さんにエッチな絵を描かせることができちゃうじゃないか!」


 俺の勝手なイメージの清汁郎先生が「静先生ここのトーンお願いしますゲヘゲヘ」と男のアレにトーン張りさせたりできちゃう!


「ユウ君、あくまでお仕事だから。それに清汁郎先生って女の人だから。一回会ったことあるの」

「えっ?」


 まじで?

 いや、綺麗な絵を描く人だなとは思ってたけど。


「それに伊勢さんユウ君にも来てもらってって」

「えっ、いいの?」

「うん、アシスタントのアシスタントとして」

「あっ、はい、じゃあOKです」


 なんで俺もOKなのかはわからないが、エロ漫画家さんのところに行けるというのは楽しみすぎる。



 翌日――


「こんにちはー」

「こ、こんにちはー」


 昨日の話の通りアシスタントとして、清汁郎先生のマンションに静さんと共にお邪魔しているわけだが。

 数回インターホンを鳴らしても、全く反応がない。


「入りましょうか」


 静さんはカードキーを取り出し、ドアに差し込む。


「鍵持ってたの?」

「清汁郎先生、トランスすると外の音が全く聞こえなくなるらしいから。伊勢さんが合鍵渡してくれたの」

「ほー」


 なるほど、こうクリエーター的に降りてきた瞬間っていうのがあるんだろうな。

 何かが憑依した瞬間、音も聞こえなくなるくらいマンガに集中してしまう。

 プロのクリエーターという感じがしてカッコいい。


『アイシテルンDEATHアイシテルンDEATHアイシテルンDEATHアイシテルンDEATH! オマエノ臓物ヲ喰ライ俺トオ前ハ一ツニナル!! WOOOOOOO!! Yeeeeeee!!』


 部屋に入った瞬間俺と静さんの顔が引きつった。

 スタジオには爆音のデスメタルが響き、耳が痛い。いやこれトランス状態とかじゃなくて、単に音がうるさすぎて聞こえてないだけだろ。

 外に音が漏れていないところを見ると、恐らく防音仕様の部屋なのだと思うが、よくこの状況で集中できるなと思う。


「あのー!! アシスタントでやってきた三石ですけど!!」


 俺がなんとか声を張ると、デスメタルが止まる。

 危うく鼓膜がいかれるところだった。


 部屋の中では二人の女性が作業をしており、オーディオを止めてくれた女性が俺たちを迎えてくれる。


「あー助かりますぅ。私アシスタントの柚木葉瑠ゆずきはると言いますぅ」


 黒縁メガネにフェルトのベレー帽を被った柚木さん。年齢は20くらいだろうか? キャミソールの上にデニムのジャケットを羽織った姿で、今どきの大学生っぽいオシャレさだ。

 とてもデスメタル響く空間で働いている人とは思えない。


「セーンセ! アシスタントの三石先生来てくれましたよ!」


 言われてデスクに座っていたジャージ姿の女性が振り返る。

 歳は20? いやもっと若く見える。18か19くらいだろうか?

 長い黒髪に紫のメッシュ、耳にはシルバーのピアスがじゃらつき、真っ黒い立体マスクをつけている。

 なんというかパンクギャルの部屋着みたいな格好をしている。

 失礼ながら、柚木さんと清汁郎先生を対比すると本当に同じ職業なのか? と問いたくなるくらい見た目が違う。


「あのぉ、どちらが三石冥先生ですかぁ?」


 柚木さんの目がこちらに向く。その疑問は当然だろう。


「私の方です。こっちはアシスタントをしてくれてる義弟なの」

「ど、どうも三石悠介です」

「へー、よろしくね。先輩」

「先輩?」

「アシスタントの先輩じゃない? わたし先週アシスタントデビューしたとこだしぃ」


 ウィンクする柚木さん。コミュ力高そう。ベタしかできない先輩とか、裏でくっそ罵られそう。


「ってか三石先生超おっぱいデカイね……」


 柚木さんはハハっと乾いた笑みをこぼしながら、静さんのセーターの縦縞を大きく湾曲させている部位を見やる。

 そりゃそうだな。多分100人中100人がそこに目が行く。


「ウチの先生と多分いい勝負ですよ」

「?」

「センセイ自己紹介くらいしてください!」


 柚木さんに言われて、肩をビクッとさせた清汁郎先生は、座っていた椅子を半回転させてこちらを向く。


麻倉あさくら真凛亞まりあです……ペンネームは清汁郎です……よろしく」


 以外なことに、清汁郎先生は引っ込み思案のようだ。

 こんなデスメタルを聞いているくらいだから「ガハハハ、よく来たな。吾輩が魔界の王である」とか言うキャラ付けくらいほしかった。


 とりあえず俺たちはアシスタント用のデスクで仕事をさせてもらうことになったが、俺は飛び入りだったのでデスクが用意できておらず、みかん箱の上で作業をすることになった。


「大丈夫ユウ君?」

「大丈夫、どうせ俺消しゴムかけるのとベタしかできないし」


 やるぞと意気込んで作業が始まったのだが、一向に仕事が来ない。

 柚木さんはデジタル着色でカラーページをやっているのだが、肝心のマンガページが一向に回ってこない。

 やっと一枚回ってきたかと思うと、静さんが音速で仕上げまでやってしまう。

 完全に置物と化していると、執筆中の清汁郎先生は頭をかきむしって自分の髪をグシャグシャにする。そのまま泣きそうな顔で、描いていた原稿を破りゴミ箱に捨ててしまう。


 どうやら執筆がうまくいっていないようだ。

 確か編集の伊勢さんも、本来清汁郎先生はスランプに陥っていて休む予定だったって言ってたしな。

 俺は大丈夫かなと心配していると、柚木さんがずいっと体を寄せてきた。


「弟君、なんで清汁郎先生がスランプになってるか知ってる?」

「えっ? 理由あるんですか? スランプって特に理由なくてもハマるって聞きますけど」

「それがあるのよねぇ」


 柚木さんは含みのある言い方をしながら、スマホを取り出す。


「清汁郎センセイのツイッター見たことある?」

「いえ、多分見たことないと思います」


 柚木さんがスマホをツイツイくぱぁすると、清汁郎先生公式アカウントが表示される。その中でツイートを一つピックすると、リプ欄には。


『絵が綺麗!! でもエロくない!! 不思議!!』

『絵は良いんだけどね……肝心のあれがね』

『別の雑誌で原作つけてやられた方がいいと思います』


 などのエロに対する苦言が続く。更に清汁郎先生が発売しているコミックの通販レビューも


『これはエロ本ではなく画集と思いましょう』

『清汁郎先生ファンにはいいと思います』

『エロ本と思ってみると痛い目を見る』

『マジで絵が上手いだけの人』


 などの微妙な評価が続く。

 星も5段階中2.5とあまり芳しくない。


「清汁郎先生は、エロ漫画家なのにエロくないってのが世間の評価なの」

「なるほど……」


 確かにエロ本なのになぜかエロくない本って存在するんだよな。

 通称ヌけない本という奴で、絵は綺麗なんだけど、あまり興奮しない。その逆もあり、あまり絵はうまくないがやたら刺さるものもある。


「じゃあスランプにハマってる理由って」

「エロいものが描けなくて、思考がループに入っちゃってるんだよね~」

「迷宮入り込んじゃってる感じですか?」

「そゆことぉ。ツイッターとかにも変なアンチとか湧いちゃってるし、それもメンタルにきてるみたい」


 荒らしを受けてるエロマンガ家か……。

 何か協力できればいいんだが。

 技術的なものではなく、例えばアイデアとかインスピレーション的なもので……。


「ちなみに清十郎先生ってどんなジャンルを描かれるんですか?」

「姉×弟か、ママ×息子のゴリゴリの近○モノが多いかなぁ」

「……近○とな?」


 俺は一瞬静さんをチラリと見やった。


「…………」


 なんで俺も来ていいって言われたか理由がわかった気がする。

 謀ったな伊勢さんめ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る