第97話 さよならショーヘー

「あっえっ?  綺……羅星?」


 口を開いたのは山野井だった。コイツも突如雰囲気のかわった綺羅星に驚いているのだろう。


「あんさぁ、そういうのやめてくんない? 正直超目障りなんだけど」


 綺羅星は気だるげに俺たちを指差す。


「いやっ、えっ? これは……」


 綺羅星一人だったらそのままだったかもしれないが、取り囲む黒服のプレッシャーが尋常ではなく、山野井は俺の胸ぐらから手を離した。


「あーしさぁ、そう言う野蛮なの嫌いって前言ったよね? 今時喧嘩とかバカなの? 死ぬの?」

「いや、お前には関係ねぇし……」

「は? ウチの遊園地で殴り合いしてて関係ないわけないっしょ」


 腕組みした綺羅星は、カツカツとロングブーツの音を鳴らして近づいてくる。


「その先輩さぁ、あーしの友達なんだけど、わかってんの?」


 細い眉尻を吊り上げ、ギロリと山野井を睨みつける綺羅星。

 いつもと雰囲気が全く違うけど、よく考えればゲーセンで初めて会った時はこんな感じだった気がする。

 もしかして今までがおかしくて、これが彼女の普通なんじゃ……。


「いや……友達ってお前に友達なんか……」

「あ゛ぁっ!? あんたにあーしの何がわかんの!?」


 知った口きいてんじゃんじゃねーぞと、怒りをにじませた口調に山野井は閉口する。

 こえぇ……ヤンキーや、ヤンギャルがおるで。


「ちょ、先輩頬切れてるよ。大丈夫?」

「あ、はい……」


 大丈夫ですと敬語になりそうだった。


「ほんと?」

「全然大丈夫」


 というか見た目的には、俺より鼻血垂らしてる山野井の方が酷いと思うんだけど。


「ほんとにほんと?」

「う、うん……」


 何この甘ったるいっていうか、縋るような可愛い声。これが女子の裏表だったら俺何も信じられなくなるよ。

 綺羅星は心配げに瞳を潤ませ、顔を寄せてくる。

 そんなにグイグイ近づかないでほしい。なぜ陽キャにはオタクのATフィールドが通用しないのか。

 そしてベタつく綺羅星を見て、山野井の顔がどんどん怖くなっていく。

 どうやら散々彼女を虐げておきながら、嫉妬だけはいっちょ前にするらしい。

 俺がドギマギして俯くと綺羅星は今が好機と見たのか、下段から潜り込み、俺の口にちゅっと口づけた。


「!!!?」


 一瞬何されたかわからなかった。

 自身の思考が全く追いつかず、柔らかな唇の感触だけが残り、それが夢ではなく現実だと告げる。

 山野井も月も時が止まったかのようにぴったりと静止して、石のように固まっている。


「お、オイ綺羅――」


 山野井が唇を震わせながら何か口に出そうとしたが、それを遮る怒声が飛んできた。


「あんた何してんのよぉぉ! こんのクサレ妹がぁぁぁぁっ!!!」


 姉はブチギレである。


「キス、しちゃった」


 外の声なんて聞こえないのか、ペロっと舌を出してやってやった感のある笑みを浮かべる綺羅星。


「友達ならキスくらいするっすよね?」


 欧米か?


「日本では……しな、しな、しないかな……」

「じゃあ仲良しフレンズのオーラルコミュニケーションってことで」


 綺羅星が言うと卑猥に聞こえるのはなぜだろうか。


「あっ、先輩て呼ぶのもなんか他人行儀なんで呼び方かえていいっすか? 確か下の名前悠介ですよね。ん~悠たんとかどうすか?」

「ダメです、たんはヤメテください」

「えー、たん可愛いのに。ゆうぽんとか?」

「絶対嫌です」

「ゆうっちは古いか。オーソドックスに悠? えっ、でもいきなりそれは彼女ムーブすぎっすよね?」

「それは伊達家の皆さんと、あなたのお姉さんも怒ると思うのでやめた方がいいと思います」


 勢いに押され、何故だか敬語になってしまう。


「わがままっすね。もう考えるの面倒なのでダーリンでいいですか?」

「勘弁して下さい」


 異端審問会どころの話ではない、即絞首刑台送りだろう。


「綺羅星! あんた何してくれてんのよ! そいつはあたしのなの!」


 月は肩を怒らせながら、テメーぶっ殺してやると言わんばかりにヤキモチ全開で駆けてくる。


「いやぁ唾つけとこうかって思ったんでぇ。なんか見た感じ、あーしがつけ入る隙、全然ありそうだなって」


 綺羅星は含みのある視線をこちらに向ける。

 あっ、これ俺と月が偽のカップルやってるのバレてるな。

 他人のコイバナに敏感そうな彼女のことだ、どこかしら俺たちに違和感を感じてカップルじゃないと判断したのだろう。


「ちょっと和解したかと思えばすぐこれ、あんたには学習能力がないの!?」

「ごめんね月姉、ちょっとダーリンの味見しただけじゃん」


 てへぺろと不死身家のペコちゃんのように舌をぺろっと出して謝る綺羅星。


「このクサレビッチ、その頭の悪いダーリン呼びを今すぐやめて!」

「それを決めるのは月姉じゃないし~。ねっ先輩はダーリン呼び、どう思う?」

「はは……(乾いた笑い)」


 綺羅星、勢いが凄いな。なんというか、これが彼女本来のペースな気がする。


「はは、じゃないわよ! あんたもちゃんと断りなさいよ!」

「ダーリンは困るかな……」

「えー、じゃあなんて呼べばいいんですかーせーんぱい♡」


 ウザかわ綺羅星の煽り性能が凄い。


「お、オイ! 綺羅星何言ってんだお前!」


 完全に蚊帳の外に置かれていた山野井は、困惑と怒りを綺羅星にぶつける。


「あっ? 何? ショーヘーまだいたの? 帰ったと思ってた」


 素でキョトンとする綺羅星。

 酷すぎる。


「お、お前は俺の女だろうが、何考えてんだ!?」

「はぁ? あーしが? アンタの? 彼女?」


 寝ぼけるのは寝てからにしてよ。冗談はあんたの顔だけで十分よと言いたげな表情で山野井に切り返す。


「何でアンタみたいな奴とあーしがカップルにされるのよ、やめてよ気持ち悪」

「お、おま……」

「アンタあーし以外に好きな人いるじゃん。アンタはアンタで勝手にやれば良くない? あーしはあーしで勝手にやるし」


 冷たく言い返す綺羅星。

 女の子の手のひら返しが恐い。まぁこれまで山野井にやられた分を考えると可愛いものだが。


「あーしは誰のものでもないしぃ。強いて言うならぁ、今気になる人みつけちゃった、みたいな♡ やっぱ守ってくれる男の人ってサイコー♡」


 何故こちらを見る。体を押し付けるな。肩に頭を擦り寄せるな。

 俺は綺羅星の熱視線を必死に身をよじってかわす。

 このマイペースでガンガン攻めてくるのが、綺羅星本来のスタイルな気がしてならない。


「せんぱい尻軽とか思わないでね。あーしどっちかって言うと誠心誠意尽くすタイプっすから」

「知ってる」


 俺がぶっきらぼうに返すと、やーんと恥ずかしがりながら頭から大量の♡マークを飛ばす綺羅星。

 何だ俺が今日見ていた綺羅星は幻影か? それとも残像なのか? 今ここにいるのは年相応に頭お花畑のスイーツじゃないか。

 その様子を見て怒り心頭なのが山野井だった。


「ざけんなよ、綺羅星! 俺が友達になってやらなきゃお前はずっとぼっちだったんだぞ。それを俺が救って、お前の軍団まで作ってやったんだ! 恩を仇で返す気か!?」


 ヒートアップする山野井と正反対に、綺羅星は冷め切った目で見返す。


「最初に声をかけてくれたのは今でも感謝してる。でもね、アンタはあーしの友達でも、まして彼氏でもない。ただあーしを利用してただけ。軍団を作ったのもあーしの為じゃなくて、自分の手駒と権力を大きくしたかったから。それを恩着せがましくあーしの為とか言わないで」

「お、お前みたいなバカな女、俺が救ってやらなきゃ一生友達なんかできやしねぇ!」


 山野井の罵声を遮ったのはパンという渇いた音だった。


「あたしの妹、バカって言うのやめてくれる?」


 綺麗な平手打ちが決まり、山野井の顔は明後日の方を向く。


「こんなバカな妹でも、あたしの肉親だから」


 月は視線を鋭くすると、山野井を睨む。


「綺羅星への罵倒は水咲への罵倒と解釈するわ。この子をバカにするなら水咲を敵に回す覚悟を持って言いなさい」


 今の月には、大企業水咲を背負う経営者の一人としての貫禄があった。

 人間いくら腕力に自信があろうと、動物は本質的に負けを認めた相手に歯向かう事はできない。

 山野井の視線は気まずげに下がり、目の前で仁王立ちする月に屈服したのだった。


 何だお姉ちゃんやってるじゃん。これでこの姉妹は無敵だ。

 何も心配はいらない。


「ほっ本当にいいのかよ! 軍団は解散しちまうんだぞ! それどころか明日から孤立するぞ。それでもいいって言うのかよ!」


 綺羅星は無表情で山野井の目の前に立つと、パンと月が打った方と逆側の頬を打った。


「これはあーしを散々バカって言ったり、殴ったりしてきたお返しだから。これだけで許してあげる。軍団も好きにすればいい。あーしはあんたの物じゃない」


 覚悟を決めた少女は強く「あんたとはこれで終わり」と言い放つ。その瞳には一片の迷いも感じられなかった。


「あーしはあーしの友達を傷つける人間を許さない。ショーヘー今までありがとう、さよなら。二度とあーしに近づかないで」


 彼女は冷たく決別の言葉を言い渡し、山野井に縋る弱い自分を切り離した。

 最後に小さく、後ちゃんとお金返してねって聞こえた気がする。

 水咲マジこえぇ。

 山野井は呆然と立ち尽くし、真っ白になってその場に膝をついてかたまっていた。

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