第52話 オタは美容院に戸惑う

 数日後――


 今月の恋夜も無事WEBコスモスに掲載され、担当編集も前の担当に戻ることが決定。

 静さんのもとに平穏が戻った。

 怪我の功名とでも言うのか、賀上のおかげで没にされた原稿がたまっており、数カ月は漫画業務が楽をできそうとのこと。

 また近日中に恋夜は重大発表があるらしい。一体ナニメ化するのか今から楽しみだ。


「ほんと大変でしたね」

「地雷マンガ家って言葉よく聞くけど、地雷編集ってのもあるのね。水咲アミューズメント文庫ウチもちゃんとやってるか見とこ」


 喫茶鈴蘭に今日は客としてやって来ている、雷火ちゃんとひかり

 ちなみに婆ちゃんは家で愛棒2(再放送)を見ている。

 俺はカウンターでグラスを拭きながら、彼女たちを見やる。


「二人共ありがとう。アシスタントから、担当交代に協力してくれて」

「いえいえ。わたしは本当に見てただけですから。月さんがすべてやってくれました」

「月は編集長まで呼び出してくれて、ほんと助かった」

「まぁ、あんな奴に有望な作家さん潰されてたまるかって思ったし」

「ほんとありがとう」


 素直に感謝を伝えると、ツーンとそっぽを向く月。


「ってか、あんたもよくコーヒー引っ掛けたわね。普通はらわた煮えたぎってても出来ないわよ」

「褒められた行為じゃないから、罪悪感凄いけどな」

「でもいざって時、誰かのために怒れる人ってわたしは素敵だと思います」

「そうね、波風立ててほしくない時もあるけど、思いっきり怒ってほしいときもあるわ」

「そういうもんか……ごめんな、カッコよくて……」

「今思いっきりあんたの顔面に、コーヒー引っ掛けてやりたくなったわ」


 ホットコーヒーを片手に持つひかり


「ほんとすぐ調子乗る。ねぇ雷火ちゃん?」

「わたし意外と調子乗ってる悠介さんも好きです」

「あんたほんと何でもいいのね……」


「そういやあの編集長、君も文筆家だって言ってたけどほんとか?」

「すごいですね。もしかして売れっ子作家さんとか?」

「無名よ無名」

「またまた~、ペンネーム教えて下さいよ。何書いてるんですか?」


 雷火ちゃんはツンツンと月を突っつくと、彼女はフフンと意地悪な笑みを浮かべる。


「どんなの書いてると思う?」

「「バトルモノ」」

「違うわよ! ってかあんたらが、あたしをどういう目で見てるかよくわかったわ」

「逆にお前がバトルモノ以外書くのか?」


 想像できん。


「も、もしかしてサイコホラーとかですか?」

「違うわよ! もう言わない!」

「冗談ですよひかりさん」

「あーもう知らん知らん。オタメガネコーヒーおかわり」

「はいはい」


 三人で話していると、奥の美容室エリアからお客さんが出てくる。

 綺麗にカットしてもらった女性は、満足げに喫茶エリアを抜けて店を出ていく。


「ありがとうございました~」


 お客さんが出てからしばらくして、今度は静さんが外に出てくる。


「おつかれ静さん」


 マンガ業に余裕ができた静さんは、久々に美容室を開きカットを行っていたのだった。


「久しぶりで緊張したけど、お客さん喜んでたから良かったわ~」

「開けた甲斐あったね」

「ええ。ほんと良かったわ」


 嬉しそうに糸目を更に細める静さん。


「ママ先生美容師免許まで持ってるんですね」

「天は二物を与えるわね。一つも貰えない義弟もいるけど」


 チラリと俺を見やる月。

 仕方ねーだろ神が才種くれなかったんだから。


「二人にもお世話になったお礼に、なにかしてあげたいんだけど何がいいかしら?」

「あっ、じゃあそれならわたし髪切ってもらいたいです!」

「あたしも」

「おっ、いいんじゃないバイト代ってことでタダで」


 俺がそう言うと静さんは嬉しそうに頷く。


「ええ、勿論。じゃあ一人ずつ入って来て~」

「はーい」


 雷火ちゃんがヘアサロンに入って、40分後――

 キラキラサラサラの髪になった雷火ちゃんが出てきた。


「…………」

「おー、すごくキレイなってるよ」

「ほんと、ピカピカじゃない」


 髪型自体は変わっていないが、彼女の長く綺麗な髪の毛先が整えられ光沢を放っている。

 だが、とうの雷火ちゃんはずーんと沈んでいる。


「…………」

「あれ? もしかして気に入らなかった?」

「そうじゃない、そうじゃないんです……。髪はもうこれ以上ないくらいの大満足なんです……」

「じゃあどうして?」

「やってもらえばわかりますよ。月さん、次どうぞ」

「な、なによ脅かすわね……」


 恐る恐る月がヘアサロンに入る。

 40分後、キラキラツヤツヤの金髪ツイン縦ロールになった月が出てきた。

 雷火ちゃんと同じく、髪はピッカピカなのに、ずーんと沈んでいる。


「あれはナチュラルセクハラよ……」

「なんだそれは?」


 再び静さんが出てくると、今度は俺を手招きする。


「ユウ君も髪伸びてるし切っちゃいましょう」

「そりゃ助かるよ」


 やったぜ、美容院代浮いた。


「ダメダメダメ!」

「男はダメよ!」


 なぜか二人に猛反対に合う。


「いいだろー別に。君等だけずるいぞー」

「ど、どうしても行くというのならこれをつけなさい!」


 ひかりはどこから取り出したのか、アイマスクを俺に差し出す。


「なんでこんなの持ってんだ」

「いいから椅子に座ったら絶対つけて!」

「絶対ですよ! とっちゃダメですからね!」


 雷火ちゃんまで一体なんだと言うのか。


「こんなのつけたら鏡見れねぇじゃん」

「見なくて!」

「いいんです!」


 どうでもいいが息ピッタリだなこの二人。一応ライバル企業の娘同士だろ。

 しょうがなく俺はヘアサロンエリアに入って、スタイリングチェアに座るとアイマスクをつけた。


「はーいユウ君始めるわよ~」

「お願いします」


 散髪の段々カットが仕上がっていくのを見るのが好きなのに。

 マスク越しではなんにも見えなくて、凄まじくつまらん。


「ユウ君髪洗うね~」

「はい」


 寝るのもなんだかなぁと思っていると、静さんは椅子を回転させて後ろに倒す。

 シャーっとシャワー音が響き、髪が濡らされていく。

 シャンプーで髪を洗われている最中、あることに気づいた。

 ここの洗髪台は、正面の鏡の前に固定されている。

 椅子を半回転させ、仰向けになって洗ってもらうのだが、当然美容師は客に少し覆い被さるポジションで洗髪を行う。

 多分なのだが、今静さんの胸が俺の顔を何度も撫でつけているのだ。

 普通の胸のボリュームならそんなことにはならないのだが、なにしろ彼女のは規格外。当たり判定がでかすぎるせいで、何度も何度も顔に接触する。


(なるほど、これがアイマスクしろと言った理由か)


「♪~♫」


 本人は全く気づいていない。この辺が隙が多いって言われる所以ゆえんだな。


「ねぇ静さん、ここって男性客って来るの?」

「う~んカットには来ないわね~。子供がたまに来るかも?」


 子供がこんなことされたら性に目覚めてしまうぞ。


「女子高校生は結構多いのよ」

「あぁ、静さん優しくて丁寧だからね」


 安心感がすごい。洒落た美容院が苦手という人にはいいだろう。

 洗髪が終わり、チョキチョキとハサミを入れてもらっているのだが、静さんが右に左に移動する度に後頭部に乳が当たる。

 目隠ししているせいで余計に感覚が鋭くなって、胸の柔らかさがわかってしまう。

 このままではまずいと思い、なにか話題を振ってみることにした。


「そ、それにしても担当が元の人に変わってくれてよかったね」

「うん。前の担当さん体調を崩して休養をとってたらしいんだけど、担当してる作家さんに心配をかけないように内緒にしてたみたいなの」

「なるほど、仕事復帰できて良かったね」


 やっぱり編集という業務は激務なのだろう。

 賀上さんが異常なだけで、ほとんどの編集さんは日夜弛まぬ努力をして良い作品を作り上げている。

 マンガコンテンツがあるのは、作家は当然ながらそれを支える出版社と編集ありきということを忘れてはならないだろう。

 無料コンテンツが流行っているが現在だが、コンテンツを生み出すにはコストがかかっている。完全にタダのものなんて存在しない。

 俺たちはそのことを頭の片隅に置きながら、好きな作家さんクリエーターにお金を払って買い支える。

 これがオタの使命というものだろう。


「ユウ君の許嫁可愛い子ね。なんかいろいろ揉めてるって聞いてたけど、仲良さそう」

「当人とは仲良いんだよ」


 剣心さんにめちゃくちゃ嫌われてるだけで。

 よく考えると義父に嫌われてるって、許嫁として致命的じゃね?


「水咲さんはお友達?」

「彼女」

「……ユウ君いつの間にかプレイボーイになったのね、お姉さんちょっとショックを受けてるわ」

「そっちもいろいろあるんだ。それの兼ね合いでバイトしてると言っていい」

「ユウ君……真面目なお話なんだけど、お金困ってるよね?」

「生きる上では全然困ってないよ」


 ただプラスアルファの出費がかさんでるだけで。


「お父さん学費と家賃しか払ってないから心配だって言ってたよ」

「それだけ払ってもらってたら恵まれてる方だよ」


 幸い毎日新聞配達に出なきゃいけないってほど切羽詰まってないし。

 ただバイトは別に苦にならないけど、生活はわりかし終わってたりする。

 俺の部屋のシンクとか、今見せられないほど汚れきっているし、ゴミ箱なんかコンビニ弁当の山だったりする。

 まぁ男の一人暮らしなんか、わりとそんなものである。


「ユウ君……よかったら同居しない?」

「…………え?」


 この乳と?

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