第49話 オタと例の件

 それから数日、締切間際になっても原稿は終わっていなかった。

 それと言うのも、何度描き直してもリテイクをくらい続ける為、静さんのペンが完全に止まってしまったのだ。


 俺たちは連日アシスタントとして静さんの部屋へとお邪魔していたが、完全に頭を抱えてしまった彼女を見て無力感を感じる。

 邪魔にならないようにと、仕事部屋の外から見守っているのだが、本当に辛そうだ。


「ママ先生気の毒すぎますよ……スランプになっちゃってるじゃないですか」

「有名マンガ家が潰される一部始終を見ている気分ね」

「嫌なこと言わないでくださいよ」


 でも言いたいことはわかる、あれだけ担当にダメ出しをくらえば何を書いていいかわからなくなってしまうだろう。

 ひかりは没になった原稿を見やる。

 静さんはあまりにも通らないため、この土壇場で原稿を最初からやり直したのだ。

 できあがったネームは3っつ。男目線から見ても面白い内容だと思う。


「どれもほんと面白い。筆も早いし、話作りも上手い。ママ先生はほんとに一流だと思う」

「ならなんで通らないんですか?」


 答えは単純である。


「あの編集通す気ないのよ。断言できる、これはただの嫌がらせよ」

「……だろうな。俺もそう思う」

「ママ先生って、webコスモスの代表と言っていいくらいの看板作家ですよね? そんな人に嫌がらせする意味ってあるんですか?」


 俺は一つ、その嫌がらせに思い当たるフシがあった。


「多分だけど……例の件が原因かもしれない」

「「例の件?」」

「静さん、月刊コスモスの巻頭グラビアに出てくれって言われてるんだよ」

「巻頭グラビア? 週刊誌でよくあるやつですか?」

「そう。WEBじゃなくて、書店で売ってる本の方の月刊コスモスでやる企画らしいんだけど」


 月刊コスモスは、紙媒体の月刊コスモスと、WEB掲載のWEBコスモスが存在する。

 一応紙と電子の姉妹書籍という位置づけで、静さんが関わっているのはWEBコスモスの方だ。


「紙の方のコスモスには、ママ先生の作品って掲載されてませんよね?」

「されてない」

「じゃあママ先生のグラビアが、いきなり巻頭で出てきたら意味不明じゃない。まぁ恋夜の作者って言えば、わかるかもしれないけど……」

「だから本人は断ってるんだよ」

「まさかそれが嫌がらせを受けてる原因?」


 嘘でしょと顔をしかめる月。


「多分な。それ以外に理由がない」


 つまりグラビアの仕事を受けないと、このリテイクは終わらない。


「あの悠介さん、グラビアってもしかして水着写真ですか? ママ先生すごいですし」

「いや、さすがに普通の写真だと思う。ただそのグラビアのタイトルが、美人すぎるマンガ家特集らしくて……」

「うわ、それはハードル高い企画ですね……」

「そんなのどんな美女だって嫌がるわよ。オタメガネがイケメンすぎるオタク特集に載せられるようなものでしょ」


 なんで俺は唐突に言葉で殴られたんだ。


「ママ先生は美人なので、ちょっとニュアンス変わりますけどね」


 なんで雷火ちゃんも俺を傷つけるんだ。


「もしかして説得するように頼まれたのってそれなの?」

「そう。俺も出たくないなら出ないほうが良いって派だから、説得する気もない」

「自分の企画に出るまで、作家にストレス与え続けるってクズすぎない?」

「まるでブラック企業ですね……」

「全部憶測だし証拠はないけどね」


 俺たちが話していると、静さんのスマホが鳴る。


「はい、三石です……明日ですか? はい……はい……ですが原稿がまだ。すみません、すみません」


 どうやら通話相手は賀上のようだ。


「悠介さん」

「オタメガネ、ママ先生謝罪botになってるわよ」


 二人からのなんとかしてやってほしいと訴える視線。

 本来は外野がガチャガチャ言うことではないが、そろそろ出ないと静さんがストレスで壊れる。

 俺はソロリソロリと後ろから近づき、彼女からスマホを奪い取った。


「あっ、賀上さん弟の三石です。原稿できてるんで、明日取りに来てください」

「ユ、ユウ君原稿できてないよ……」

「場所は静さんのマンションじゃなくて、近くに鈴蘭っていう喫茶店があるんですよ。そこでお願いします。……はい、時間は夕方17時で」


 そう言って俺は通話を切った。


「ユウ君……」

「原稿ならあるでしょ、この前没になった奴が」

「えっ?」


 多分俺の予想だが、賀上はちゃんと原稿読んでない。

 それにどうせ奴はどんな原稿を持っていったところで、リテイクを言い渡すだけだとわかってるしな。



 翌日――喫茶鈴蘭


「婆ちゃん、今日は手伝いが来てくれてるから、お店任せてくれていいよ!」

「ほあ~? なんだって~?」

「お手伝いが来てくれてるから! 店任せてくれて大丈夫だよ!」

「よしてくれ絶世の美女だなんて」

「言ってねぇよ!」


 ダメだ、相変わらずの耳の遠さ。

 そこにエプロンに着替えた、雷火ちゃんとひかりがやってきた。


「悠介さん、大丈夫そうですか?」

「ダメだ。多分もう棺桶に片足突っ込んでると思う」

「突っ込んどらんわ!! 失礼な子だね!」


 相変わらず悪口には敏感なようだ。

 そんな妖怪婆さんに雷火ちゃんは優しく話しかける。


「お婆さん、今日はわたし達が手伝いますから、安心してください」

「おぉ……あんたは」

「申し遅れました。わたし三石さんの許嫁の伊達雷火と言います」

「ほぁー許嫁? ほんにユウ坊のコレなんけ?」


 婆ちゃんは目をパチクリさせながら小指を立てる。


「ま、まぁ、はい……そう露骨に表現されると恥ずかしいですが」

「そうかいそうかい、あたしゃこの店を任せられる子が出てきてくれて嬉しいよ」

「あ、あのお婆ちゃん?」

「静に任せようと思ってたんだけどね、あの子最近忙しくてちっとも来てくれなくてね……」

「……おばあさんも寂しかったんですね」

「あたしゃほんとはユウ坊が喫茶店ここで働いて、静が美容院で働く姿を見たかったんだよ」

「婆ちゃん……」


 義祖母の小さな夢を聞いて、ほんの少し胸に痛みが走った。


「そんじゃ、若い子がいるならあたしやぁ失礼するよ。家帰って愛棒2見にゃならんのさ。ユウ坊サボるんじゃないよ!」

「サボらねぇよ」

「お家までお送りしますよ」

「そうかい、ありがたいねぇ。あたしゃぁあんたみたいな可愛い子が、嫁に来てくれて嬉しいよ」


 嫁に行くのは俺だがな。

 雷火ちゃんは婆ちゃんを連れて、店の外へと出ていく。

 その様子を見て、月から肘でドンと突かれる。


「ねぇ、あたし今から彼女だってお婆さんに伝えにいっていい?」

「やめてくれ、ややこしくなる」


 婆ちゃんが帰った後、俺は店のドアに本日貸し切りのプレートをかけて客払いを行う。


 それからしばらくして、待ち合わせ時間の17時になった。

 時間と同時にカランコロンとドアベルの音を立てて、静さんが喫茶店へと入ってくる。


「あっ、静さん」

「ユウ君ごめんね、お店の方頼りっきりにしちゃって。皆もごめんね」

「全然大丈夫ですよ。楽しくやってますので」

「静さん、奥の席とってあるから」

「ほんとごめんね」


 静さんがテーブルにつき、それから30分ほど遅刻して、賀上さんがやってきた。

 どこで買ったんだと言いたくなるサーモンピンクのスーツを着崩し、髪は茶髪の軽薄そうなスタイル。

 年齢は20代後半ってとこだと思うが、もうちょっと落ち着いた格好した方がいいと思う。

 遅刻してきたというのに反省の色は全く無く、爽やかな笑顔を浮かべながら静さんに手をふる。


「いやーすみません先生。急な用事が入りましてね。こういう待ち時間にフィーバーしちゃうんですよね」


 パチンコかよ。

 俺たち三人は視線を合わせて頷く。

 なんとかこの爽やかな疫病神から、静さんを救出しなければならない。

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