第46話 オタは生原稿にビビる

 2DKのマンションは寝室と仕事部屋に分かれており、俺たちは仕事部屋の方へと通してもらう。


「うわ……これがマンガ家さんの部屋なんですね」


 壁際にL字型の広いデスクが置かれ、スペースの半分がパソコンと液タブ、プリンター、スキャナーが並ぶデジタルエリア。もう半分がトレス台、筆、羽ペン、定規、トーン、生原稿が並ぶアナログスペース。

 そのL字型のデスクの後ろに、アシスタント用の座卓。

 本棚には少女マンガや、デッサン資料が並ぶ。


「あ、あの、恋の夜が来る! いつも見てます!」

「わ、わたしも見てます。すごく面白いです!」

「ありがと~読者さんね」

「は、はい! 全巻持ってます! も、申し遅れました。わたし伊達雷火と言います!」

「水咲ひかりと言います!」

「ユウ君の可愛いガールフレンドさんね。ペンネーム三石メイで活動している、三石しずかです」


 静さんが頭を下げると、二人は土下座した。


「「ここここ、こちらこそ!」」


 まるで神や教祖と対面したような反応だ。


「二人共静さんのファンで、原稿手伝ってくれるって」

「まぁお姉さん嬉しいわ」


 静さんは片手で頬に触れながら、柔らかな笑みを浮かべる。

 その様はおっとりとした人妻、雰囲気のお姉さん。


「た、大変恐縮なのですが、よろしければサインください!」

「あ、あたしもお願いします!」

「あらあら、私のでよければ」


 静さんはペンを取り出し、キャップを開ける。


「えっと、どこにしましょうか?」


 二人はなにか書いてもらえるものがないか、スカートのポケットなどを探す。だが何も見つからなかったようで、二人は上着を脱いでブラウス姿になると、背中を差し出す。


「せ、背中にください!」

「わ、わたしも!」

「ロックバンドのサインみたいだ」

「そ、それはさすがに、お洋服が汚れちゃうから……」


 静さんはデスクの引き出しを開けると、恋の夜が来る! コミック最新巻を取り出し、裏表紙にサラサラとヒロインの顔イラストとサインを描く。


「はい、どうぞ」


 二人に優しく手渡す静さん。


「「…………」」


 雷火ちゃんと月は受け取った単行本を見て、しばらく固まると。


「「三石先生、一生ついていきます!!」」


 と声を揃え、再び土下座した。

 (※)両者共に日本経済を牛耳る、伊達財閥と水咲グループの娘です。


「じゃあ二人共、作業お願いしていい?」

「えっ、わたしたちが原稿に触っていいんですか?」

「あたしたち本物の素人ですよ?」

「なに慣れればすぐだよ。俺も一日で慣れた」

「ごめんね二人とも。ユウ君と遊びにきたのに~」

「いえ、ぜんぜん大丈夫です!」

「やります、やらせてください!」


 静さんは仕上げ前のアナログ原稿を二人に手渡す。


「うわうわ、線画って奴ですね……」

「これが生原稿……」

「月ちゃんは、この鉛筆の線を消しゴムで消してほしいの」

「わかりました!」

「雷火ちゃんは、こっちのバツをつけてる背景にベタを塗ってほしいの。ベタってわかるかな?」

「わ、わかります! 真っ黒にすればいいんですよね?」

「そうそう、お願いね」


 二人は作業用の座卓に向かい合って座り、それぞれ作業を行っていく。


「俺先にコーヒーと、軽く食べれるもの作ってくるね」

「お願い~」



 悠介がキッチンへと消えた後、生原稿を前に緊張しまくる雷火と月。


「うわうわ、めちゃくちゃ緊張する……はみ出したらどうしよう」

「はみ出しても乾いてから修正できるから、あんまり気にしないでね」

「わ、わかりました」


 雷火は筆ペンを使って、指定された場所を黒く塗っていく。


「(無呼吸)………………。はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ」

「あの、息しながらやってくれて大丈夫よ!」

「は、はい! 塗ってる最中、息するの忘れてました」


 それを見て肩をすくめる月。


「雷火ちゃんちょっと緊張しすぎよ」

「消しゴムかけと、コマに描くのってプレッシャーが全然違いますよ!」

「大げさね」

「じゃあかわってくださいよ!」

「いいわよ。こういうのは大胆にやればいいのよ」


 ひかりは雷火とベタ塗りを交代し、筆ペンを持つ。


「………………」

「めっちゃ手震えてますよ。ダイナマイト腹にくくりつけたテロリストでも、そこまで震えんやろってくらい震えてますよ」

「ちょっと黙ってて。精神統一してるから」

「大胆にいくのでは?」

「そうね……こういうのは大胆にいかなきゃ。あたしも文芸にはそこそこ自信が――」


 シャッ←コマからベタがハミ出る。

 青ざめる二人。


「「!!」」

「はっはっはっはっ!(過呼吸)」

「ひ、月さんなんてことを! 大胆にいった結果がこれですよ!」

「先生申し訳ありません。お金払うんで許してください!」


 月は土下座しながら札束を差し出した。


「あ、あのそんなに気にしなくていいから! 大丈夫よ!」

「原稿汚してしまった分足なめます! 足なめますから!」

「ホワイトで消しちゃえばいいだけだから! 月ちゃんが汚れみたいなことしないで!」

「先生の作品に修正液を使わせてしまい、誠に申し訳ありません!」

「普通だから! 誰でも修正液くらい使うから!」


 それから二人は、修正液などは印刷すると映らなくなるから大丈夫と説明を受ける。


「先生によっては原稿をコマごとにバラバラに分解して、アシスタントさんに割り振って、描き終わったあとに合体させることもあるのよ」

「それ継ぎ接ぎだらけになるんじゃ……」

「印刷するとき画像データに取り込むと、そういったのは見えなくなるから大丈夫なの。逆に修正液絶対許さない先生もいらっしゃるけど、私はそういうの気にしないから大丈夫よ」


 ニッコリと微笑む静。

 月と雷火は彼女の後ろに後光が見えた。


「「あなたが……神か……」」

「だから気にしなくて大丈夫よ。頑張って」


 ファイトと静が体を揺らすと、ほんの少しの振動で爆乳がたぷんと揺れる。 


「先生の娘に産まれたかったです」

「あたしも」

「な、なんかそれよく言われるのよね……」

「ママみがえぐいです」

「母性の化け物ですよ」



「みんなコーヒー持ってきたよ」


 俺が全員分のコーヒーとサンドイッチを持って仕事部屋へと戻る。


「ママ、ここどうしましょう」

「ここも塗っちゃおうか」

「はーいわかりました」

「ママぁ~間違えたよぉ~」

「大丈夫よ。すぐに直しましょう」

「ありがとうママ~」


 2、30分足らずで、なぜか静さんが先生からママ呼びになっていた。


「なぜ保育園化しているのか……」

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