第44話 オタとバイトと意地悪ババア

 ひかりと雷火はカランコロンとドアベルの音を立てて喫茶店へと入った。

 そこそこ年期の入った建物の中は、手前がカフェ、奥がヘアサロンのエリアに分かれている。


 カフェエリアはボリュームを落としたジャズがかかっていて、モダンな雰囲気が漂う。手狭ながらも落ち着いていて、リラックスできる空間になっている。

 客席では女性客が数名、コーヒー片手に雑誌を開いたりノートパソコンでなにか作業をしていたりと、ごくごく普通の光景。

 奥のヘアサロンは電気が落とされており、今日は営業していないようだ。


「普通のお店ですね」

「気を抜いちゃダメよ雷火ちゃん。実はこの地下で闇の勝負エンゲージが行われてるかもしれないわ」

「闇の勝負って何ですか……。むしろわたし的には、美人のお姉さんとか出てきそうで、ソッチのほうが怖いです」


 二人は空いているテーブルに座ると、腰の曲がった店主らしきお婆ちゃんがヨタヨタと歩いてくる。


「いらっしゃい~。ご注文はなんにするんだい?」

「え、えっと……」

「あたしはホット」

「わ、わたしも同じので」

「ほあ~? なんだって~?」


 老婆の店員は耳に手を当てて聞き返す。

 どうやら見た目相応に耳が遠いらしい。


「おばあちゃん! ホットねホット!」

「あ~? ホットメロンなんかないよ?」

「メロンなんか誰も言ってないわよ!」

「お婆さんホットコーヒーお願いします!」

「あぁ、そっちのホットね。悪いね~、耳がよくなくてね」


 耳の遠い老婆は、ヨタヨタしながらカウンターへと戻っていく。


「なかなか趣のある店主さんね……」

「ですね」


 しばらくすると、マンゴーラテを2つ運んできたお婆ちゃん。


「はい、ホットね」

「この店ではホットはマンゴーっていう隠語なの?」

「単に間違いだと思います……」

「あーん? なんだってー? もしかしてまーた間違えちゃったかなー?」

「だ、大丈夫です。これでいいですよ」

「そうかえ、ほなゆっくりしていきんしゃい」


 ばっちり注文を間違っているのだが、二人は我慢することにした。


「美味しいじゃないマンゴーラテ……」


 間違った注文が美味しくて、複雑な表情を浮かべる月。


「いいんですかね? 伝票にはおもいっきりホットって書いてますけど」

「値段一緒だからいいんじゃない?」


 二人は今どき珍しい手書きのメニュー表を見やる。果たしてこのメニュー、何割くらいの確率で正しい商品が出てくるか……。


「それにしても悠介さんはどこに……」

「聞いてみる?」

「あのおばあさんにですか?」

「……聞いても死んだおじいちゃんの話とかしそうね」

「ご健在でしたら失礼ですよ」


 二人でマンゴーをすすっていると、エプロンを身に着けた悠介が、でかいダンボール箱を抱えて裏口から現れる。


「おばあちゃん! これどこかな!?」

「えー? なんだってー?」

「コーヒー豆ここに置いていいかな!?」

「えー? あたしゃ鳩じゃないんだから豆なんか食べてないよ?」

「そうじゃなくてコーヒー豆!」

「はー? なんだって? もうちょっとはっきり喋っとくれ」

「コー・ヒー・豆! ど・こ・置・く・の!?」

「ほあー? 昼ご飯ならもう食べたよ」

「ババァ、コーヒー豆どこ置くんだって聞いてんだよ!!」

「誰がババアだい! せがれのドラ息子が!」

「聞こえてんじゃねぇか!」

「豆はバックヤードだよ! さっさと運びな!」

「クソババアめ(超小声)」

「口の減らない子だね!」

「耳良いじゃねぇか!」


 悪口だけは的確に聞き取れるらしい。悠介は再び重そうなダンボールを抱え、裏へと引っ込んでいく。


「完全に介護ね……」

「もしかして悠介さんのお婆ちゃんのお店なんでしょうか?」

「その可能性はありそうね」

「それはそうとひかりさん、悠介さんのエプロン姿、マジで萌えなんですけど。喫茶店の店員さんってなんかカッコよくないですか?」

「それは喫茶店の雰囲気効果で、落ち着いてるように見えるだけよ」


 そう言いつつ、月はスマホのカメラ機能を起動させる。


「めっちゃシャッターチャンス狙ってるじゃないですか……」



 それから一時間ほど、悠介は忙しそうに店内を走り回る。

 その間お婆ちゃんは、逆さまに持った週刊誌を眺めていた。


「なかなか声をかけるタイミングがありませんね」

「たまってた仕事全部やらされてるって感じね。あのお婆さんもなかなかコキ使うわね」

「なんだって~?」

「「キャアァ!?」」


 さっきまで週刊誌を見ていた老婆が、二人の目の前に立っていた。


「あんた達もホット一杯で2時間も粘ってんじゃないよ」

「す、すみません!」

「ホットではないけどね」


 慌ててなにか注文しようとするが、老婆はいつの間に作ったのか出来たてのチャーハンを二人の前に並べる。


「あ、あのこれは……」

「晩御飯だよ」

「あ、ありがとうございます。えっとチャーハンはおいくら……」


 雷火は慌ててメニューを見やるが、チャーハンなんてものはなかった。


「サービスだよ。あんたらユウ坊のお友達だろ?」

「は、はい」

「食べな」

「あ、ありがとうございます」


 雷火はレンゲでチャーハンをすくって食べる。


「ん!? 美味しい!?」

「そりゃ良かったね。そっちのスケベな下着つけてそうな子も食べな」

「つけてないわよ! 色は赤だけど」


 月もチャーハンをすくって食べようとするが、レンゲを持つ手が震えている。


「どうかしたんですか月さん」

「な、なんでもない……」


 その割にはひかりの額は汗だくだった。


「あんた、米食べられんのけー?」

「! ……す、すみません。あたし結構偏食で……」

「なら無理せんでえー、あんたこの子の分も食べ」

「あっ、はい二杯くらい全然いけます!」


 老婆に促され、雷火は月の分のチャーハンも食べる。

 その様子を見ながら老婆は奥に引っ込むと、今度は苺を持ってやってきた。


「苺食べな。あんたこれは食えるんかえ?」

「は、はい。ありがとうございます」

「そりゃ良かった」


 老婆はにっこり微笑むと、踵を返し、バックヤードにいる悠介に声をかける。


「ユウ坊、あたしゃぁもう帰るよ。棚卸しと明日の仕込みと掃除やっといてくんな!」

「全部かよ!?」

「男だろ泣き言いうんじゃないよ!」

「ってか婆ちゃん一人で帰れんのか?」

「バカにするんじゃないよ。家まで30メートルもないのに。それにあたしゃここで10年やってきてるんだよ」

「意外と短いな。50年ぐらいやってるのかと思った」

「誰が妖怪ババアだよ!!」

「言ってねぇよ!!」

「そんじゃ、ユウ坊あとよろしく頼むよ。あんた如きが女の子待たせんじゃないよ! 小僧が!」

「なんの話だよ!」


 老婆は吐き捨てるように言うと、エプロンを外して店の外へと出ていく。


「ババア右だ右! いきなり道間違えてんじゃねぇ!」


 悠介はダッシュで老婆を連れ戻しに行った。


「なんか悠介さんには当たりきついですね……」

「でもすごくいいお婆さんね」

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