第32話 オタと玲愛

 目を覚ますと、季節外れの扇風機が首を振っていた。


「あれ? さっき何してたっけ?」


 どうやらどこかで寝かされていたらしく、今はベッドの上だ。

 辺りを見回すと伊達家では珍しい洋室で、大きな書棚が並び、壁には女性用のビジネススーツとセーターがかけられていた。


「起きたか?」


 キィっと音を立てて目の前の椅子が半回転すると、足を組んだ玲愛さんが座っていた。


「あっ? えっ?」

「風呂場で倒れていた」

「あー、なるほど」

「近くにあの二人がいたから事情を聞いたが、全部あいつらが悪い。きつめに叱っておいた。だがお前も一応ここは許嫁の実家だ、問題になりそうなことは慎め」

「はい、すみません」

「火恋がとても気にしていた。あいつが原因だろう?」

「いえ……そういうわけでは」

「庇う必要はない」


 玲愛さんは机に置かれていたコーヒーカップを取り、一口飲むと腕を組んだ。


「火恋は雷火と違い、自分を抑圧して生きてきた。本来はもっと気の弱い子だったが、伊達の為に強くなろうとお嬢様の仮面を被り、いつの間にかその仮面が自分でも外せなくなっていた」

「………」

「お前、外したな?」

「いや……どうなんでしょう」


 誰でも二面性があると言うが、あれがもしかしたら火恋先輩の裏の顔だったのかもしれない。


「で、どうだった?」

「何がですか?」

「火恋の裏の顔だよ」

「ド変態でした」


 間髪いれずそう言うと、玲愛さんは最初クククと笑っていたが、段々机をバンバンと叩き大声で笑い始めた。


「そうか、それは面白いな。クククク」

「内容を言うと本人が可哀想なので言いませんけど、俺でもちょっと引いてしまうくらいの、何ていうかマゾ? って言うんですかね、そんな感じでした」


 そう言うとまた、玲愛さんはお腹を押さえながら大笑いした。


「火恋はマゾか、面白いなそれ。ここ数年で一番笑ったかもしれない」


 気づいてますか玲愛さん、それ貴女の妹ですからね。


「火恋先輩に押し倒されたら、どうにも出来なかったです」

「火恋は合気道、柔術、剣道の格闘技は一通り体得している。鍛えていないお前では、組み伏せられたら抜け出す術はない」

「諦めの境地でした」

「それにしても火恋が男を押し倒したのか。女もひと皮向けば男と大してかわらんな。さしずめ見てくれの良いクマに捕まった人間というところか」

「いやぁ、クマは玲愛さんの方がしっくりくるのでは」


 パカンと頭部にスリッパがヒットした。


「誰がクマだ」

「そうですね、美しいホッキョクグマと言ったところでは」


 玲愛さんが辞典みたいなものを手にとったので俺は黙った。


「それでお前は火恋の事を嫌いになったか?」

「えっ? いや、それとこれとは話が別ですよ。憧れていたお嬢様も人間だったんだなって思って親近感が湧きました。なんというか、真面目な委員長でもエロ本読むんだなって感じで」

「それは良かった。明日変態の火恋さんも好きですと言ってやると良い。きっとひっくり返る」

「そんな意地悪な事できませんよ」


 つまらんと、脚を組みかえる玲愛さん。今はガーターベルト付きのストッキングで、チラリと見える太ももが大人っぽくてドキっとした。


「で? どうだった?」

「どうと言われますと?」

「聞いたんだろ、あの子らに二股していいか?」

「……最低な質問ですけどね。雷火ちゃんは泣いてしまいました」

「それは二股されることを嫌がってか?」

「いえ、俺が質問したのは、もし俺が火恋先輩を選んだら? です」

「それで泣いたのか、あいつも重い女だな」

「嬉しかったですけど、酷い質問をしたって後悔しました」

「くだらん。火恋は?」

「表の火恋さんは、そんなこと許されないと。しかし裏の火恋さんは、その……なんと言いますか」

「容認したんだな?」

「………はい。むしろ結婚した程度で終わると思うなよと」

「ククク、良かったな。本人たちから了承がとれたわけじゃないか」

「了承じゃないですよ。雷火ちゃんに至っては、泣かせてしまっただけですから」

「それはあいつが離れたくないから泣いたのだろう? ちなみにさっき雷火を連れて行った時、家の話ともしお前に選ばれなかったら、政略結婚に使われて酷い人生になると脅かしておいた」

「酷過ぎでしょう、雷火ちゃんが可哀想だ」

「私は事実を伝えただけだ」

「そんなこと言ったら誰でも萎縮してしまう」

「私は姉妹で取り合えとは言っていない。火恋と共にどうするか考えろと言った。同じことを既に火恋には伝えてある」

「道理で火恋先輩は察しがよかったんだ」

「二人とも依存癖が強い。一回誰かにすがると離したくなくなる。昔何かのヌイグルミを、必死で取り合っていたのを思い出すな」


 クツクツと悪役みたいな笑みを浮かべ、状況を楽しんでいるようにしか見えない玲愛さん。


「俺はテデ○ーベアってわけですか」

「引きちぎられるなよ」


 玲愛さんから、アルバムのような分厚いファイルを三冊手渡された。


「重っ、何ですかこれ?」

「開けてみろ」


 開くと男性の写真と、その人の年収らしき金額、勤務先、卒業した大学と簡単なプロフィールが載せられていた。パラパラとめくると写っている人がかわるが、どのページも同じようなものだった。


「お見合い写真ですか?」

「そうだ、一冊100人いる」


 それが三冊で300人か……。二冊目のファイルには火恋と書かれ、もう一冊には雷火とペン書きされていた。


「メインで応募がくるのは火恋だが、最近は雷火も増えてきた」


 パラパラとページをめくっていくと、若くして企業したIT社長や、有名なデザイナーだったり、俳優や政治家も混じっていた。


「これは……凄い顔ぶれですね」

「こんな奴らに妹はやらんがな。大体60超えて16の子供に手を出そうという根性がわからん。こいつなんか父より上だぞ」


 忌々しげに真っ白な髪をした熟年男性の写真を眺めている。

 どの人も年収何千万、何億と0の数を数えるのが大変になってくる。

 写真には赤ペンでチェックがされ、バツや三角、問題外等注意書きされている。きっと玲愛さんの審査なのだろう。

 ふと視線を上げると、玲愛さんの机の上には同じような分厚いファイルが三冊積まれていて、背表紙には玲愛と書かれていた。

 玲愛さんも、この政略結婚から逃れられたわけではないようだ。


「その、そっちのファイルは?」

「こっちは気にするな」


 玲愛さんはしまったと、机に置かれている三冊の本を引き出しに入れて鍵をかけた。


「………」

「………」


 机の引き出しを眺めたまま、しばしの沈黙。


「何が言いたい?」

「いや、姉の愛は深いなと」


 伊達を回しながら妹の許嫁の世話をして、剣心さんを押さえ込みながら自身に寄せられた見合い話も考える。

 この人は伊達としても姉としても本当に主軸なんだろうな。

 外見の怖さは外敵から家族を守るためか……。

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