第29話 オタと火恋のABC

 もしかして玲愛さんの、あまり火恋先輩をのけものにするなと言うのは、すぐ近くに火恋先輩がいるぞって意味だったのかもしれない。


「あっ、あの……お風呂準備出来ているから、先に入ってくれるといい。着替えは、父上の予備があったから脱衣所に置いている。だから……ねっ?」


 そう言って足早に立ち去ろうとする、火恋先輩の手を繋ぎ留めた。


「あ、あの先輩、いつ頃からいました?」

「今、来たところだよ」


 そう言う火恋先輩だが、明らかに目が泳いでいる。


「嘘ですよね?」

「………」


 視線が振り子のように揺れる。さすが先輩、嘘がつけない。


「本当は?」

「雷火が泣いたところぐらいから……いた」


 ほぼ最初ですね、わかります。


「その……雷火が服を脱ぎだした時は、驚いて声を上げてしまいそうだった」


 でしょうな。


「は、始まるのかと思った……」

「何が!? 何が始まるというのです!?」

「セッ――」

「始まりませんから!!」


 俺は言わせないように食い気味で否定する。


「その……やはり男女交際のABCがありますので、いきなりそれらをすっとばしていくことはしませんよ」

「私はいきなりCからでも構わないが」


 何を言ってるんですかあなたは!?

 俺の知ってるABCと火恋先輩の思ってるABC、もしかして違うのでは? と思えてきた。


「ちなみに火恋先輩、ABCって何か知ってますか?」

「Aはキス、Bペッティング、Cはセッ――」

「ありがとうございます! それ以上は結構です!」


 ダメだ、合ってた。ア○ジャッシュのコントみたいになるかと思ったが、なってなかった。


「その……俺はゆっくり、一段ずつ恋愛のレベルを上げていきたいです。火恋先輩とも雷火ちゃんとも。ごめんなさい、不誠実なことを言ってますね」


 相当困った顔をしていたのか、火恋先輩はフッと笑みをこぼした。


「雷火が、君の困り顔はそそるなんてわけのわからないことを言っていたが、今その理由がわかった」

「?」

「そうだね、ゆっくり二人でレベルを上げていこう」


 火恋先輩は優しい顔で、俺の手を引いていく。



 先輩は繋ぎあった手を引っ張ると、伊達家の大浴場に案内された。


「お、お風呂ですね。すみません、何から何まで」

「私も準備をしてくるから少し待っていてほしい」


 準備? 準備とは?

 しばらくすると火恋先輩は、自身の着替えとタオルを持って大浴場に戻ってきた。


「すみません、なんとなく察しはついているんですけど、何をするおつもりでしょうか?」

「ん? 一緒に入浴するだけだよ」


 それが何か? と首をかしげる火恋先輩。

 あれ? 俺さっきゆっくり恋愛レベル上げるって聞いた気がするけどな。

 完全にフルスロットルで駆け上がってません?

 ちなみに一緒にお風呂はいるってABCで言うとどこなの?

 俺の予想だとCを経験したカップルの、B~Cの間くらいかなって思うんだけど。


「こんなこと結婚するまで許されないだろうし、私自身許すつもりもなかった」

「ではなぜ?」

「雷火に負けない為には、裸になる必要があるからね」

「ないですよ! 冷静になってください!」

「はは、私はいつでも冷静だよ。そのかわり父上には内緒にしておいてほしい」


 人差し指を立てて口元に当てる火恋先輩。

 剣心お義父さん、娘さんと一緒にお風呂入ってきましたよ。いやーいいお湯でした。なんて言ったら俺は市中引き回しの刑にされるだろう。間違いなく肉体的にも社会的にも殺されるな。


「さぁ私に構わず脱いでほしい」

「あの、さすがにですね」


 俺も分別ある男、今からそのようなただれた関係ではいけない。

 許嫁だからこそプラトニックに、これでは火恋先輩の体が目当てなゲス野郎にしか見えない。

 大体このことがポロンと漏れたら、俺は伊達家に始末されてしまう。

 そんなリスクを犯してまで、一緒にお風呂に入りたいかと言われれば――


「一緒にはいってくれるんだよね?」

「はいります(即答)」


 すみませんゲス野郎で本当すみません。


 銭湯のように広い脱衣所で、お互い背を向け衣服を脱ぎ始めた。

 俺は聞こえてくる衣擦れの音に、心頭滅却と頭をぶんぶん振る。

 だが火恋先輩のスカートがストンと落ちたことに気づくと、煩悩軍は理性軍の虐殺を始めた。

 このままではまずいと一息に衣服を脱ぎきり、腰にタオルを巻いて風呂場に逃げ込んだ。


 浴場はヒノキの良い匂いがする浴槽で、一般家庭にあるサイズとは比較にならないくらい広い。大人が手を伸ばして寝転がっても、まだ余裕がありそうだ。

 手近にシャワーが三つ並んでおり、本当に旅館の浴場みたいだった。

 俺に出来るミッションは一つ。出来うる限りのスピードでお風呂を終わらせること。時間がかかると血圧が上がりすぎて死んでしまう。


 体を綺麗に洗ってから浴槽に入ろうと思い、シャワーのカランをひねるが水もお湯も出てこない。


「あれ? どうなってんだコレ?」


 キュキュ、カラカラと全く反応しないカランに悪戦苦闘していると


「これはコックを押し込んでからじゃないとでないんだよ」


 すっと伸ばされた白い手が、蛇口の横にあるコックを押し込む。すると勢いよくシャワーから湯が流れ出た。


「ありがとうございます」


 伸ばされた手にお礼を言うと、俺は後ろを振り返った。


「はうあっ!?」

「そんな怪物を見たような声を上げられると私も傷つく」


 後ろで苦笑いしている少女は、タオル一枚身にまとっただけの火恋先輩だった。

 長い黒髪を後ろでまとめあげ、部活で鍛えられたしなやかな肢体と豊かな胸が見える。


「あばばばばばばばばばば」


 声にならない声を上げていると、先輩も隣でシャワーを出した。


「さぁ、おいで。私が洗おう」


 優しい声音で、トントンとバスチェアーを叩く火恋先輩。


「お姉さんが君を洗ってあげよう」

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