第7話 駒台の天使

戻りてえ…。


『龍』に戻りてえ。

あの熱さを。充実感を。


禁断症状がやべえ。



ここは留置所かよ。

しかも出たらさっきと反対側に加わるのか。将棋ってなんて酷な競技なんだ。



「クスっ。お兄さん、目覚めたばかりなんですか?」


女!しかもすごい美人じゃないか!20代後半くらい?ドンピシャだ。『香』か。

OL風というか、大企業の受付嬢といった雰囲気だ。

胸の圧で制服のベストがはちきれんばかりじゃないか。


「ええ。さっき目覚めてね。君はいつから?」


「もう1年になるかな~。あっという間」


「1年も!?どうしてここに?」


「クスっ。野暮なこと聞くんですね。それは女性に年齢を聞くのと同じくらい野暮ですよ」


「ハハハ。ごめん。つい…。」


「感覚、教えて」


「ああ、対局忘れてた。ちょっと待って」



最終盤でこちらはかなり苦しいな。さっきまでの『龍』の熱さが引いたのもあって寂しい局面だ。

こちらには詰めろ(※注1)がかかっていて、向こうの『玉』は1手すきだ。


受けは2通り。『銀』打ちか、『香』打ちか。

ただ、『銀』で受けるとこちらの『玉』に数手後に必至(※注2)がかかる。

『香』で受けてもこっちの勝ち目は薄い。

しかも『香』だとこの子が盤に戻るからここで話が続けられなくなる。


「なるほど、そういう読みですか。私もだいたい同じですよ」


「アハハ。人の感覚読み取るの早いんだね。ビックリした」


「慣れですよ。話、好きなんですね」


ドキっ!もっと話したいってことまで読み取られたか。恐るべし…。


「いやいや、たしかに話してたいけど、勝負は勝負だから。たぶんもうすぐ君は出番だね」


「ここの駒の人達、みんな真面目なんですよ。ちょっとくらい手を抜いてもいいのに」


「君も元々将棋指してたの」


「私は、お兄ちゃんと少しだけ。大学の時に、前の前の名人が好きで始めたんだけどね」


「君の感覚も探ったけど、それにしては強いよね?」


「ここでみんなと感覚を共有するようになったから、自然と強くなったんでしょうね」


「戻ったら女流棋士になれそうだね」


「………。もう戻れないし、戻りたくもないです」


しまった…。余計なことを。


「すいません、なんか。でも私、いまとっても楽しいんです、ここが」


いい笑顔だ。まるで戦場に現れた衛生看護婦か、天使か。





(※注1 詰めろ…次に何も受けなければ玉が詰む状況のこと)

(※注2 必至…次に何を受けても玉が詰む状況のこと。必至をかけられると相手玉を詰ますくらいしかほとんど勝ち目はない) 


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