21. あの日夢見た、あの空を
霞む視界の中、空に佇む魔獣を仰ぎ見る。
「お前はまた、そうやって俺を否定するのか――」
瓦礫に埋もれた俺の体はピクリとも動ない。
にもかかわらず、なぜだか意識はハッキリとしている。
……そうか、これは動かないんじゃない。
動かす気力がないだけなんだ。
またやってしまった。
また失敗してしまった。
ユリーシャにあれだけ鍛えられたというのに、俺はまた変えられなかった。
俺では絶対に奴を超えられない……。
頼もしかった桜嘉とレオンはすでに地面に倒れている。
いや、まだ息があるようなのが不幸中の幸いか……。
俺のせいで……俺の弱さのせいで、二人をあんな状態にしてしまった。
もっと早く自分と向き合っていれば良かった。
もっと早く魔法と向き合っていれば良かった。
後悔だけが頭の中を駆け巡る。
魔獣はゆっくりと地上に降りてくる。
一体なんのつもりだ?
まて、琴音はどこに行った?
逃げ切れたのか?
「い、いや……! 嫌ぁあ――!」
やめろ。
やめてくれ。
そんな腕で飛鳥の時みたいに琴音に触れるな――。
お前はまたそうやって、俺から大切な物を奪っていく気なのか!
――あなたは何を願うのですか?
「なんだと……?」
頭の中に少女の不明瞭な声が聞こえてくる。
抑揚のない、幼くも無機質な声。
――あなたは何を焦がれるのですか?
「そんなもの決まっている。琴音を……みんなをっ!」
まだあどけなさの残る少女のような声。
けれども無視することを許されない、静謐な声に俺はただ答える。
――もしあなたが渇望するのなら、もしあなたに力があるのなら……。
俺に力なんてあるわけが無い。
だからこんな「
だからあんな「
だが願いだけは誰よりも強くあるはずだ。
いや、強くなければならないはずだ。
「お前は願いだけじゃ足りないって言うのか!」
――それこそが力であり、資質なのだと私は考えています。
――もう一度問います。もしあなたに「渇望」があるのなら……。
視界の右端に強い光が差し込んでくる。
いや違う、これは強い魔力が
ではどこから?
この下……なのか?
俺は馬車の残骸を右手で払いのける。
美しく揺らめく光の正体を確かめるために――。
銀の箱。
「これはオラシオンのケース……?」
箱に触れる。
瞬間、左右に開いたケースからせり出してくる一振りの魔導具。
忘れるはずがない。
ユリーシャから言われて何度も触れ、何度も手入れを行っていた馴染み深いものなのだから。
「刀」。
それは古典魔法の時代、ミシオンのみで作られていたとされる古い魔導具の一種。
――私を手に取ってください。
――そして願ってください、私と共に……。
俺はオラシオンの柄に触れ、強く握り締める。
小さく……けれども重々しく鳴り響く、固定具が外れる金属音。
急速に魔力が失われていく感覚を受け入れ、ただ身を任せる。
同時に不明瞭な声はハッキリとした物に変わる。
「――適格者を確認しました。
使用者の魔力を
俺の願いは唯一つ――。
「……
みんなを守りたい、それだけだ。
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「い、いや……! 嫌ぁあ――!」
琴音は震える声で叫ぶ。
彼女を守るように、そして燈夜と桜嘉を守るように戦っていたレオンはすでに力尽きていた。
悲鳴など聞こえていないのか、魔獣は一直線に琴音へと歩いていく。
ちゃんと逃げれてさえいれば、レオンが倒されてしまうことは無かったのではないか。
もしそうなれば兄と桜嘉も助かったのではないか。
彼女の心の声がそんな後悔を吐き出していく。
だが魔獣は無情にも琴音の前にたどり着く。
その巨大な右腕がゆっくりと伸びていく。
絶望の眼差しで力なく座り込んでいた琴音。
彼女は成す術もなく魔獣の腕に拘束される。
「兄さん、ごめんなさい……。
あんなに守ってくれたのに……今度は守るって決めていたのに……」
彼女は涙を流しながら言葉を零す。
このまま握りつぶされ、殺されてしまうのだろう。
そう琴音が諦めていたその時だった。
「俺の願いは唯一つ――」
膝を着き、体を起こした燈夜がつぶやく。
「みんなを守りたい、それだけだ」
その願いは誰のためでもなく、ただ彼自身のためだけに。
魔獣は初めて燈夜に顔を向ける。
「俺からすべてを奪う、その腕を離せッ――!」
一閃。
琴音の目にはただそれだけしか映らなかった。
彼女が気づいた時、燈夜はすでにオラシオンを振りぬいた姿勢で横に立っていた。
「にい……さん……?」
同時に魔獣による拘束が緩み、
燈夜はたったの一太刀で強固な魔獣の皮膚を貫いていた。
「――ン愚ォ嗚阿!」
翼の魔獣は人には理解出来ない咆哮を上げ、素早く飛び退いていく。
だが魔獣の視界には琴音しか映らない。
燈夜がもう敵の背後に回っていたからである。
再び一閃。
空色の魔力残滓による軌跡を残し、振り下ろされた一撃が残りの左腕を体から切り離す。
魔獣はとうとう身の危険を感じたのか、咄嗟に翼をはためかせて空へと飛ぶ。
流石の燈夜でも追いかけることは出来ない。
――人は空を翔べない。
彼の忌むべき記憶が呼び起こされる。
「膨大な魔力量を感知。強力な魔法による攻撃が想定されます」
燈夜の頭に少女の声が響き渡る。
だが彼は言われなくとも分かっていた。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜたような、暴力的な魔力の波が彼には
魔獣の周りに浮かんだ大量の魔法陣。
生み出される無数の羽。
だが燈夜は微動だにせず、その場で魔獣を直視する。
そして放たれる魔獣の魔法。
数えきれないほどの白い羽は、燈夜を含めた全てに殺意を向けて降り注ぐ。
「言っただろう! 俺はただ守りたいだけだ!」
叫びながら目を見開いた彼の黒い瞳は、雲一つない快晴を思わせる淡い水色に染まる。
瞬間、全てを守るように燈夜から広がった青い風。
彼の魔法に触れた無数の羽は一瞬で切り裂かれ、光となって消滅していく。
魔獣は全ての攻撃を防がれ、勝てないと察したのか背を向ける。
ふたたび大きく震えだす翼。
「クソ! 逃げる気か!」
空へと飛んで行く魔獣、そして地上へと落ちていく自分。
燈夜の脳裏に二年前の光景がよみがえる。
ふざけるなという、彼の怒りと願いが過去の記憶を塗りつぶしていく。
「心配は要りません。私があなたの願いを補完します」
少女の言葉を聞き、燈夜は無意識に口を開く。
青い瞳はさらに輝きを増していく。
「俺は唯、あの空に触れたかった――」
それは燈夜の心から溢れ出し、零れ落ちた、唯一つの願い。
「私は唯、あの空が恋しかった――」
燈夜に寄り添うように少女が願う。
そして二人は願いを重ねる。
『我らは唯、あの翼が欲しかった――!』
紡がれるは
現代魔法が生まれる前、まだ古典魔法が作られたばかりの遠い昔。
そんな時代に生まれた、詠唱と呼ばれる古の魔導式。
廃れた魔法が燈夜の体を駆け巡る。
魔獣は必死に逃げるように、勢いよく空へと飛び去っていく。
だが燈夜にもう迷いはない。
彼の魔法はすでに完成していた。
突然吹き荒れた大量の魔力残滓。
それは燈夜の周囲を空色で満たしていく。
彼は空へ向かって大きく跳ぶ。
重力に掴まれることなく、翔んでいく。
燈夜は魔獣よりも遥かに速く空を駆け抜け、二年間憎み続けた羽を削ぎ落とした。
空を飛んで行く燈夜、地上へと堕ちていく魔獣。
二年振りに彼を襲った悪夢は、過去とは全く違う形で終わりを迎えようとしていた。
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