20. 天使の悪魔

 突然の事態によってイーステミスは混乱の渦に陥っていた。

 空から降ってきた魔獣から逃げる人々がいる中、戦っている魔導士たちもそれなりにいる。

 だが彼らの魔法のほとんどは、魔獣が持つ白い翼によって防がれていた。

 つまり足止めをしているに過ぎなかった。



 燈夜は今なにをすべきかを必死に考える。

 一方、魔獣を目の前にした桜嘉とレオンは既に戦う構えを取っていた。


 燈夜はそんなふたりの様子に安心すると、今度はとは違うのだと自分に言い聞かせ覚悟を決める。


「レオン、この前みたいに剣を頼めるか?」


「それは構わないが、この前部長が作った魔獣とはわけが違うと思うぞ」


 彼は燈夜の身を案じる様に、言外に逃げても構わないことを伝えようとする。


「燈夜と琴音ちゃんは逃げた方がいいと思うの。あの魔獣はたぶん――」


 桜嘉も不安そうに、魔法が使えないふたりに声を掛ける。

 だが燈夜はすでに覚悟を決めていた。

 それは琴音も同じだった。


「なにが出来るか分かりませんが……それでも私は手伝いたいです!」


「心配しないでくれ、アレとは一度戦った事があるんだ」


 彼はそう言って無理に笑うと、誰にも気づかれないよう再度拳を握り締める。


「(もう昔の俺じゃないんだ。今度こそは絶対に……)」


 燈夜の強い決意を知ってか知らずか、目の前には岩で作られた剣が生み出されていた。

 燈夜はレオンが作り出したであろうそれを右手でつかみ取り、そのまま構える。


「どうやら止める必要は無いらしいな。まぁお前の実力から考えればほんとは心強いくらいだ」



 とうとう翼の魔獣が歩き出す。

 だが動きは遅い。

 とはいえ燈夜たちとの距離は確実に縮まっていく。


 レオンは琴音をかばうように前に立つと、燈夜と桜嘉に目配せをする。


「俺は琴音ちゃんを守りながら援護にまわるぞ。前衛はお前らの方が得意だろうしな」


 頷いたふたりは歩いてくる魔獣を正面に捉える。


「さて、気を引き締めていきましょうか!」


「レオン、琴音は任せたぞ!」


 ほとんど同時に動き出した燈夜と桜嘉。

 彼らは魔獣へと一気に距離を詰めていく。


 先に攻撃を繰り出したのは桜嘉だった。


「最初から飛ばしていくわよ!」


 彼女は赤い粒子を噴き出し続けるオラシオンを水平に振り抜いていく。

 燈夜は初めてしっかりと見る彼女の剣技に驚いていた。


「(凄いな。早すぎて軌道がほとんど見えない)」


 次の瞬間大きな音がしたかと思えば、桜嘉の攻撃は魔獣の白い翼によって楽々と受け止められてしまっていた。

 それでも彼女は動揺することなく、次々と攻撃を繰り出していく。



 燈夜は援護するべく魔獣の後ろへと回り込む。

 そのまま流れるように桜嘉に続き、追撃を叩き込んでいく。

 だがオラシオンによる強力な身体強化を行っていない彼では、足止め程度が精いっぱいだった。


「(せめて簡単な魔法さえ使えれば……)」


 燈夜は右手のフォークスにちらりと視線を移すと、突き動かされるように左手で触れようとする。

 彼は空の色が変わった際、念のため魔導具の起動だけは済ませていた。

 つまり少し操作をするだけで簡単に魔導式を呼び起こすことが出来た。


 しかし燈夜は思い直しすぐさま手を引っ込める。


「(別に俺が倒す必要は無いんだ。わざわざ無茶なんてしなくても、今回は桜嘉とレオンがいる)」


 彼は過去と同じ過ちは繰り返すまいと強く心に誓い、敵の足止めに集中する。

 だが魔獣は燈夜の素早い剣に慣れ始めたのか、時折その巨大な両腕で反撃を交えてくるようになっていた。


 それでも彼は焦ることなく全ての攻撃を受け流し、さらに動きを加速させていく。

 それは桜嘉も同じだった。


 彼らにとって想定外だったのは、敵もその速度に追いついてきたことである。

 魔獣は猛攻を前にしても怯むことなく、ふたつの翼で器用に斬撃を防いでいた。


 桜嘉はこのままでは埒が明かないと感じたのか、魔獣から一度距離を取る。

 そのまま彼女は右手首のフォークスに一瞬手を触れる。



 オラシオンは魔導式を記録する機能を持たない。

 つまり純粋に魔力を放出することしか出来ないのである。


 だがフォークスとあわせて使うことにより、オラシオンでも様々な魔法を扱えるようにする技がある。

 それが交流駆動、「オルタネイト」と呼ばれる高等技術だ。


「少し離れてて!」


 桜嘉はオラシオンから浮かせた右手の人差し指を素早く動かし、魔法を起動しながら大声で叫ぶ。


 燈夜は魔獣に隙を与えまいと攻撃し続けていたが、彼女が持つオラシオンが火を帯び始めていることに気づく。

 その瞬間、何かしらの魔法を使用するのだと瞬時に判断した彼はすぐさま飛び退いた。


 桜嘉は彼が射線から外れた事を確認するとオラシオンを両手で構える。

 彼女は魔獣と離れたまま、その場で魔導具を斜めに振り下す。


「――炎蘇芳えんすおう


 彼女の一言を引き金に放たれた炎の衝撃波は、地面を削り取りながら魔獣へと殺到する。


 やがて衝突した彼女の魔法は魔獣は大きく吹き飛ばす。

 燈夜はやっと自分たちの攻撃が通ったことに安堵し声を上げる。


「やっぱり桜嘉は流石だな」


 しかし彼女が構えを解くことはない。

 それは燈夜も同じである。


 魔獣は地面に手をつき、すでに体勢を立て直そうとしていたからだ。


「意外と効いてないみたいね……」


 桜嘉は顔をしかめながらつぶやく。

 彼女の魔法によって魔獣は大きく体制を崩されたものの、ダメージはほとんど与えられていないようだった。




 彼らの戦闘を後ろから見ていたレオンは岩の弾丸を作り出しながら呟く。


「やっぱすげえなアイツら」


 一緒に見ていた琴音も思わず口を開く。


「二人とも凄いですね。それに兄さんがあんなに強かったなんて知りませんでした」


「あの災害の後に何があったのかは知らないが、ありゃ並大抵の努力じゃ身に付かない技術だな」


「兄さん……」


 彼女は燈夜がどのような気持ちで剣技を学んできたのかを想像すると、胸が締め付けられるような思いでいっぱいになる。


 燈夜は二年前に何があったのかを決して周りに語ろうとしなかった。

 だが琴音はテオリプス後のミシオンの惨状を噂話で知っていた。

 だからこそ、彼が酷く苦しんだことなどすぐに想像できてしまったのだろう。


「一旦下がってくれ!」


 レオンは前線で戦う二人に声を掛ける。


 彼らはバックステップで魔獣から距離を取りながら、声のした方を一瞬確認する。

 そこには大量の岩の弾丸を周囲に浮かべ、右手を突き出すレオンの姿があった


 レオンは二人が射線から外れたことを確認すると、準備してあった魔法を発動する。

 全ての弾丸は魔獣めがけて撃ち込まれていく。


 その数およそ百。

 そして道を覆いつくさんばかりの土煙。



 燈夜はなんとか状況を確認しようと目を凝らす。

 だが凄まじい轟音とともに巻き上げられた煙の壁は厚い。


 まったく見えない魔獣の姿。

 それでも燈夜は予感めいたなにかに突き動かされ防御の姿勢を取る。

 すると同時に土煙の中から彼目掛け、魔獣の大きな右腕が飛び出して来る。


「――ックソ!」


 燈夜は普段片手でしか握らない剣を、咄嗟に両手で握りしめる。

 彼は魔獣の攻撃に剣を合わせたものの、受け止めきれず後方の建物へと大きく吹き飛ばされてしまう。


「燈夜!?」


 桜嘉は大きな衝撃音を聞いて叫ぶと、土煙を切り裂くように声のした方へと突っ込んでいく。

 だが視界が悪い中を無理に突き進んだせいで、魔獣が大きく振りかぶった右手に気づくことが出来なかった。


「うぐっ――!」


 彼女は左腕の骨が砕ける鈍い音に顔をゆがめ、そのまま受け身も取れずに地面を転がっていく。


 見えない場所から鳴り響く戦いの音を前に琴音は悲鳴を上げる。


「兄さん!? 桜嘉さん!?」




 やがて音が止み、視界が晴れると、彼女の目の前には凄惨な状況が広がっていた。


 半壊した家屋と馬車の瓦礫の上で、仰向けに倒れて呻く燈夜。

 血だらけで道の上に投げ出され、ピクリとも動かない桜嘉。


 そして傷だらけのふたりとは対照的に、戦い始めた時とほとんど変わらない様子の翼の魔獣。


「そんな……どうして……」


 琴音は燈夜たちを蹂躙した圧倒的な脅威を目の当たりにして絶望する。

 しかし敵による攻撃は当然終わるはずもない。


 魔獣は既に琴音へと視線を向けていた。


「クソ、今度はこっちか! 琴音ちゃんは早く逃げてくれ!」


 レオンは琴音の前に立つと声を張り上げる。

 だが琴音はあまりの恐怖に足がすくんでしまい、その場から動けず完全に固まってしまっていた。


 彼女の様子を見たレオンは、自分から攻めていくしか無いと考え岩の弾丸を生成、魔獣へと駆けていく。


「(おとりぐらいにはなれるか……?)」


 彼は傷だらけで横たわり、意識を失っている燈夜たちを庇うように魔法を放つ。

 魔獣の注意を引く作戦である。



 再び巻き上がる土煙と轟音。

 だがレオンは同じ過ちを繰り返さない。

 彼は簡単な風を発生させ一気に視界を開く。


 煙が晴れた先、レオンの瞳に映った魔獣は作戦通り、彼の方へと体を向けていた。


「おいおいマジかよ……」


 彼は魔獣を思わず愚痴る。


「そりゃそんな立派な羽を持ってれば出来るだろうが、人間様は空を飛べないんだぞ……」


 魔獣は白い翼をはためかせ、悠然と空に佇んでいた。

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