16. 屋上と曇り空

「はい、これ。まだご飯買ってないでしょ?」


 桜嘉はそう言いながら購買で買ったであろうパンを燈夜に手渡す。

 ルノロア魔法学園では、二限目の後は昼休憩となっていたからだ。


「あぁ、ありがとう。貰っていいのか?」


 彼女は軽い調子で「今から買いに行くのも時間かかるでしょ?」と返して来たため、燈夜はありがたく受け取って食べ始める。



 レイナと保健室で話してから寝てしまった燈夜は、二限目を終えるチャイムの音で起きると教室へと向かおうとした。

 だがその途中で桜嘉と鉢合わせ、彼女が良い場所があると言い出した。

 それがこの場所、あまり使われることのない別棟の屋上だった。


「それにしても、よくこんな場所見つけたな」


「さっきここの下で授業してたんだけど、校舎が気になって歩き回ってたら見つけたの」


 彼女はそう言いながら自分のパンをちぎって食べていく。


「ほんとは晴れだったらもっとよかったんだけどね」


 曇り空の下で昼食を取る不満そうな桜嘉とは対照的に、燈夜の内心はとても落ち着いていた。

 飛鳥と別れて以来、彼は明るい場所を無意識に避けるようになっていた。


 燈夜は濁った空を見上げながら、ふと気づいた事を口にする。


「あれ、そういえば屋上って自由に出入りしていいのか?」


 彼の疑問に対し、桜嘉は少し考えた後あいまいな口調で答える。


「うーん、どうなんだろ。一応鍵は付いてたけど、なんか壊れてたみたい」


「それ勝手に入って良かったのか……?」


 燈夜は苦笑いしながら内心驚いていた。

 彼女と初めて出会った時の凛々しい印象から一転、茶目っ気のある考え方が意外だったからだ。


「桜嘉はもっと真面目な人間だと思ってた」


「そんなことないよ? 脱いだ服とかもそのまま放りだして寝ちゃったりする時もあるし」


 あまりの適当ぶりに燈夜は続けて苦笑する。



 しばらく他愛のない会話を続けていた二人だったが、手元のパンは揃って無くなっていた。

 少しの間、屋上には風の音だけが鳴り響いていた。


 桜嘉が不意に口を開く。


「言いたく無かったら別にいいんだけどさ、あの後は大丈夫だったの?」


 彼女の言う「あの後」とは、ランク測定の事を指している事は誰が聞いても分かるだろう。

 当然燈夜も彼女が言わんとしていることにすぐ気づく。


 彼は言葉を選びながら答えていく。


「保健室に言った後はレイナ先生と魔法が使えないことについて話したんだ。どうやら希望はあるらしい」


「ほんとに!? 具体的な治し方とかは教えてもらえたの?」


「なんでも魔法に関した失敗体験だとか苦手意識が原因らしい。解決方法は俺次第らしいが……」


「ふーん、でも先生はよくそんなこと知ってたよね。そんな話初めて聞いたよ?」


 燈夜は言葉を詰まらせる。

 レイナも自分と同じ問題を抱えていた事を、むやみに話しては行けないと感じていたからだ。

 とはいえその事を隠したままでは根拠がない。


 そのため桜嘉に対する返答もあいまいになってしまう。


「ま、まぁあれだ。かなり自信満々に言っていたから多分嘘は付いていない筈だと思うぞ」


 だが慌てる様子の彼が面白かったのか、桜嘉はくすりと笑う。


「別に信じてない訳じゃないよ? それに魔法って元々は想像をそのまま具現化する奇跡の事だったんだし、気持ちが大事ってのも分かる気がするもん」


 彼女は納得したように頷きながら答える。


「昔の魔法ってそんな便利な物だったのか? そういえば魔法の生い立ちなんて全く気にしたことなかったな」



 魔法が日常の一部である現代では、彼のように無関心な事は別に珍しいことではない。

 魔法技術は魔導式が生まれてから大きく進歩したと言われている。

 そのため魔導式自体が生まれる前の事は、とても古い時代の話なのである。


 日々魔導式の解明に力を入れている研究者ならともかく、燈夜のような一般人は魔法の成り立ち知らない事がほとんどなのだ。


「別に便利って訳でも無いよ? 今みたいにみんなが魔法を使えた訳じゃなくて、ほんとにごく一部の人しか扱えなかったみたいだから」


「俺や琴音みたいな人間が大半の時代か。まったく見当もつかないな」


 燈夜は魔法を扱えないにも関わらず、魔法が存在しない世界を全く想像できなかった。

 たとえ自分が魔法を使わずとも、街で買うあらゆるものは魔法を利用して加工され、作物や家畜を育てる時にも当然魔法を使う。

 病気やケガを治す際は専門の魔術士に魔法で治療してもらい、魔獣が襲ってくれば魔法で戦う。

 魔法とは、それほどまでに当たり前に存在している技術だった。


 だがそれと同時に、彼の頭の中で「魔法さえなければ」という矛盾した考えが浮かんでくる。


 魔法さえなければ、二年前のあの災害は起こらなかった。

 魔法さえなければ、琴音が辛くなることは無かった。

 魔法さえなければ、今のように苦しむことは無かった。


 燈夜は考えれば考えるほど、魔法によって散々振り回され続けている事実に苛立ちを覚えていく。


 だが彼は落ち着いて深呼吸し、いったん冷静になる。

 こんな場所でイラついても何も変わらないことくらい、彼は理解していた。


「しかし昔の魔法は、今の魔法と全然違うんだな。まるで別物みたいだ」


「たぶん魔法を研究してる人たちも同じ考えなんじゃないかな?」


 桜嘉は空を見上げながら続ける。


「古典魔法と現代魔法は『魔法』って一括りにして呼ぶ事が多いんだけれど、魔導式が生まれる以前の魔法に関しては"原初の魔法"なんて特別な呼び方をしてるぐらいだから」


 『原初の魔法』、燈夜はその言葉に一つの心当たりがあった。


「あぁ、その呼び方なら聞いたことあるな。といっても子供向けの絵本だが」


「『小さな国の魔法使い』でしょ? 私も小さいころ読んでたなぁ」


 二人が話す絵本とは現代人なら誰もが知る、原初の魔法を題材にした有名なおとぎ話のことだ。

 まだ魔法が無い時代、貧しい国を訪れた旅人の魔法使いが人々に魔法を教えていく。

 そんなシンプルな内容の絵本である。

 『小さな国の魔法使い』は分かりやすい物語なためか、子供たちへ読み聞かせる定番の本となっていた。



 食後の余韻を楽しんでいた二人。

 が、桜嘉が突然慌てたように立ち上がる。


「っと、ごめんね。今日ちょっとこれから予定あるんだった」


「ん? 授業かなんかか?」


「ううん、今日はもう授業は無いらしいの。ちょっと魔導具のメンテナンスがあって」


 そう言って桜嘉は手を振りながら屋上を後にする。



 彼女を見送った後、燈夜は暗くなるまで静かに空を見上げていた。

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