15. 燈夜とレイナ、そして魔法
なんとか保健室まで歩いてきた燈夜はドアをノックする。
だが反応は帰って来ない。
仕方なく入ってみたものの、中には誰もいなかった。
彼はイスに座ると起動したままだったフォークスを停止させ外し、そっと机に置く。
魔法が生活の一部となった現代ではフォークスを立ち上げたままの人間がほとんどである。
フォークスは魔法を使わない場合でも使用者の魔力を消費して動作している。
とはいえ、待機状態の場合は魔力の消費はほとんど無いに等しい。
それでも魔法を使い慣れていない燈夜は、常時魔力を使い続ける事に苦手意識を持っていた。
「ほんと二年前から成長してないな、俺」
誰もいない静かな部屋で彼はため息を吐く。
燈夜が最初に魔法を使えない事に気づいたのはユリーシャとの訓練の最中である。
しかし魔法が使えないと知った彼女はそれを治そうとすることは一切なく、ひたすらに剣術と魔導具の手入れをするよう言い続けた。
そんなユリーシャの事を燈夜はずっと考え続けていた。
なぜ魔法を練習させようとしなかった彼女が、突然優秀な魔導士が集うこの学園に通わせようとしたのか。
なぜ自身を否定し、拒絶する「魔法」に近づけようとしたのか。
ただ彼は考え続けていた。
「魔法なんて存在しなければ」そんなことを考える日も少なくない。
それでもユリーシャという師を信頼している燈夜にとって、彼女の今回の行動には絶対に意味があると確信していた。
しばらくの間自分の世界に入り込んでいた燈夜だったが、突然鳴ったノックの音で現実に引き戻される。
「杠葉くん居ますか? 入りますよ?」
燈夜が返事をするとノックをした張本人、レイナが保健室に入ってくる。
彼女は部屋を一通り見渡すと首をかしげながら空いているイスに座った。
「あれ? 保険室の先生はどこに行っちゃったんですか?」
「俺が来た時から居ませんでしたよ」
「そうなんですか? まあちょうどいいですけれど」
「(ちょうどいい……?)」
燈夜は彼女の最後の一言にひっかかりを覚えたが、考える暇もなくレイナが話を切り出し始める。
「杠葉くん、魔法が使えないんですよね?」
燈夜は打ち明けるか一瞬考えたものの、これからの事を考えれば早めに話しておくべきだと自分に言い聞かせる。
彼が歯切れ悪く自分の症状を伝えていくと、これまで静かに聞いていたレイナは顎に手を当てる。
「実はね、少し前に杠葉くんのことを何とかして欲しいって頼んで来た人がいるの」
燈夜はレイナの言葉を聞き、すぐに一人の人物を思い浮かべる。
「ユリーシャさん、ですか」
「その通りよ。同期というか、結構長い付き合いでね? 私が教師になるって教えたら嫌らしい笑みを向けてきたのよね……」
レイナは言いながら肩を落とした。
同時に燈夜も顔を引きつらせる。
彼女がユリーシャに無茶を押し付けられた事が容易に想像できたのだ。
「まぁそれはそれとして、杠葉くんの症状のことだけれど多分心配しなくて良いと思うの」
彼女はまるで根拠があるかのような力強い口調で燈夜に伝える。
「先生はどうしてそう思うんですか?」
「私もね、あなたと同じように魔法が使えなかった時期があるの」
「でも俺の場合は病気でも何でもないですよ?」
「ええ、それも含めて同じだと思うの。途中までは普通に魔法が使えるのに突然前触れもなく失敗しちゃうのでしょ?」
燈夜は返ってきた言葉に目を白黒させる。
魔法が使えないといえば、それこそ琴音のような魔獣病が真っ先に挙がる。
それだけ彼の症状は珍しい物だった。
レイナはさらに続ける。
「魔法の酷い失敗体験だとか、強い苦手意識とかそういうのがあると魔法が使えなくなっちゃうことがあるの。非常に稀なケースらしいのだけれどね」
彼女の話す内容は、まさに燈夜がこれまで求め続けていた物である。
魔法を使えなくなった二年前のあの日、それこそがレイナが言う失敗体験と苦手意識、その両方だった。
燈夜は期待を込めて身を乗り出す。
「でもレイナ先生は魔法が使えていますよね? どうやって治したんですか?」
「さっきも言ったように原因は魔法に対する失敗体験と苦手意識なの。つまり人によって理由が違うわけだから、対処はとても複雑になってしまうわね」
彼女は言葉を選ぶように一呼吸置く。
「私の場合は全然魔法の強さを調整できなくてね。気づいた時には成功している自分を全く想像出来なくなってたの」
「強さを調整できないってどういうことですか?」
「いくら弱めようとしても全然ダメだったのよ。おかげで普段の生活にも支障をきたしてたの」
燈夜はレイナの答えに疑問を覚える。
魔法を発動する際に必要とされる性質、形状、発生位置の三要素のうち"強さ"に影響するのは性質であるが、これは文字通り指定した通りにしか機能しない。
たとえば手を温める程度の温度、もしくは燃えるほどの温度をイメージして設定すればそれぞれそのままの"強さ"が魔法に表れる。
何故なら魔導式は誰でも扱いやすいよう、また確実に扱えるよう指定した通りにしか魔法を動かさない様に作られていたためである。
ただし使用者の実力次第では設定した物より弱い効果が表れる場合もあった。
とはいえレイナに言うように設定した"強さ"よりも強い効果が魔法に反映される事例は燈夜にとって初耳のことであった。
「ちなみにそれってどれくらい酷かったんですか?」
「一番酷かったのは暑い季節の時なんだけど、ユリーシャが体を冷やしてくれっていうから言われた通りにしたのよね。そしたら汗が全部凍っちゃって……。あの時は一日中追い掛け回されてほんとに怖かったのよ?」
燈夜は果たしてそれは魔法のせいなのだろうかと考えたものの、青い顔をしているレイナにはとても指摘できる空気ではなかった。
彼は人が恐怖するほど追い回す恩人の姿を頭に浮かべ、話しの続きを待つ。
やがて彼女は落ち着いたのか、コホンと咳払いをすると席を立つ。
「とにかく諦めないで、ゆっくりでいいから自分と向き合う事が大切だと思うの。私はそれでまた魔法が使えるようになったから……」
「はい。なんとか頑張ってみます」
「何かあれば、何でも相談してね? 一人で抱え込む必要なんて全くないんだから」
レイナはそう念押しすると、昼休みまで休憩するよう言いつけて保健室を後にした。
「自分と向き合う、か……」
自分と向き合う。
燈夜にとってそれは過去と向き合う、そして魔法と向き合うことを意味していた。
ベッドで横になった彼はレイナの言葉を反復し考えていたが、気づけば自然と眠りに付いていた。
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