13. 青空の朝

 燈夜は荒い呼吸をしながら目を覚ますと、激しく脈打つ心臓を手で押さえつけながら深呼吸をする。


「はぁ……はぁ……クソ! またあの夢かよ!」


 窓から覗く目の覚めるような青い空を睨みながら、燈夜は洗面所へと向かっていく。

 彼は鏡に映る酷い顔の自分を消し去るように、思いっきり顔を洗った。


 やがて一息ついたのか、洗面台のふちに手を置いて体を支えた彼はもう一度鏡を見つめる。


「なあ飛鳥、俺はこれからどうしたらいいんだろうな」


 燈夜はもう会うことの出来なくなった親友に問いかける。

 だが当然答えなど帰ってくるはずもない。


 彼はまだ頭の中でチラつく夢を振り払うようにもう一度顔を洗う。

 次に顔を上げた時、目の前の鏡には自分以外の人物が映っていた。


「うーん……兄さん、もう起きていたんですか……?」


 燈夜が振り向くと、そこには目を擦りながらフラフラと近寄ってくる琴音が居た。


「あ、あぁ……。朝には強い方なんだよ。おはよう琴音」


 さっきまでの自分の様子を見られてないか心配になり、彼は取り繕うように琴音に返す。


「おはようございます……。じゃあ私は学校に行ってきますね……」


 琴音はそう言うとパジャマのまま玄関へと向かっていった。



 取り残された燈夜はもう一度鏡に向き直る。

 そこにはいつも通りの自分が立っており、冷静になれたことを確認すると胸を撫で下ろす。

 彼はそのままバスタオルを手に取り顔を拭いていると、ふとあることに気づいた。


「あれ、今日って休日だよな」


 それから燈夜が玄関へと駆けていくまでそう時間はかからなかった。



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「すみません、お恥ずかしい所をお見せしましちゃいました……」


「いや、まあケガとかしてなくてよかったよ。うん」


 二人はお互い向かい合って朝食をとる。

 琴音は昔から朝がとても弱かったのだが、三年ぶりに再会した燈夜はすっかりそのことを忘れていた。

 また、再開した初日は特に問題が無かったことも拍車をかけていた。


「予定がある日とかは大丈夫なんですけど、それ以外だとまだ治らないみたいで……」


「暇な日ぐらいまったりしててもいいんじゃないか?」


「いえ、まだまだ勉強しないと私はダメですから!」


 琴音は自分に言い聞かせる様に声を張り上げる。

 燈夜は昔一緒に住んでいたころとは違う彼女の様子を見て、改めて妹は変わったのだと実感する。


「休日ぐらい、しっかり休まないと体を壊すぞ?」


 彼はそう言いながらこれまでの自分の休日を思い返す。

 燈夜がミシオンを離れてからの二年間、してきたことと言えば運動と称したユリーシャの過酷な剣術指導の日々だった。

 最初は早くミシオンへと戻りたいという気持ちで、燈夜がユリーシャに戦闘の指導を願ってのことだった。

 しかし日に日に彼女の圧倒的な強さと、その彼女でさえも事態を好転させることの出来なかった災害の深刻さに気付かされていった。


 そんなある日魔法の訓練を行おうとした時のことだった。

 彼は魔法を使おうとすると、急速な視界の暗転と嘔吐感に襲われることに気づく。


 自分は戦うどころか、魔法さえも満足に扱うことが出来ない。

 そう知った燈夜は次第に魔法以外の訓練、主に剣術に打ち込むことでその不安を塗りつぶすようになっていった。


 だがそんな日々でも、休日だけは剣を握ることを禁止されていた。

 ユリーシャ曰く『強さの秘訣は怠惰にもある』とのことだったがそれが本当の理由なのか、燈夜は今でもよく分かっていない。


 彼は恩人の顔を思い浮かべると苦笑しながら話を続ける。


「まぁユリーシャさんに言われるまで、俺も休むなんて考えたこともなかったか」


「あれ、私はユリーシャさんに『休む暇があるならやれるうちに全部やっちまえ!』って言われましたけど」


 二人の間に沈黙が流れる。


 やはり彼女はそんなに深く考えていなかったのではないか、そんな可能性が燈夜の頭には浮かんでいた。

 しかし彼は自然に会話が通じているという違和感に気づく。


「あれ、そういえばユリーシャさんをなんで知ってるんだ?」


「あー、ずっとバタバタしてて全然話していなかったですね……」


 燈夜が琴音の口からユリーシャの名前を最初に聞いたのは再会した日だった。

 だが彼らの波乱の入学式により、そんなことはすっかり二人の頭から抜け落ちていた。


「私にルノロア魔法学園に通うように勧めてくれたのはユリーシャさんなんです」


「――え?」


 燈夜は予想の出来なかった彼女の回答に間抜けな声を出す。

 琴音はさらに続ける。


「いじめられて酷く落ち込んでいた私を偶然見つけてくれたあの人は、私の話を聞くと大笑いしながら言ってくれたんです。『ならこんなクソみたいな国出ちまえ』って」


 彼女はそのまま燈夜にこれまでの成り行きを語っていく。


 最初は冗談だと受け取っていた琴音だったが、ユリーシャの話を聞いていくうちに自分にはこれしかないと感じていったこと。

 気恥ずかしさから兄である燈夜には伝えず、飛鳥にだけ詳細を伝えたこと。

 イーステミスに来て、魔法が使えないことなど些細なことであったと知れたこと。

 そして一人暮らしはとても大変だったこと……。



 そのまま彼女は楽しそうに矢継ぎ早で燈夜に自分が経験したこと、感じたことをどんどん伝えていく。

 そんな妹の様子を嬉しそうに眺めていた燈夜はただ彼女の話を聞き続ける。


 やがて彼は琴音が落ち着いたタイミングを見計らうと口を開く。


「ほんとに色々あったんだな」


「はい! ユリーシャさんと出会っていなければ今頃どうなっていたことか分かりません……」


 心底幸せそうな様子の妹を見た燈夜は無意識に頬を緩める。

 彼はそのままの調子で琴音が居なくなった当時の事を聞いてみようとする。


「それにしても、流石に何も言わずに家を出ていったのは酷くないか?」


 燈夜の問いかけに琴音は言葉を詰まらせる。

 妹が居なくなった時、ミシオンを走り回った燈夜からしてみればどうしても聞いておきたいことだった。


「今ではちょっとした思い出で済んでるけどさ、あの時は飛鳥に説得されるまで気が気でなかったんだぞ」


「その、本当に申し訳なかったと思っています。でも……」


 琴音は言いづらそうにしながらも決意の籠った目で燈夜を見返す。


「でも、今はやっぱり言えません。この事は私の気持ちの整理が着くまで待っていただけませんか?」


 燈夜は妹が全く譲らない様子を見て、彼女の気持ちを真摯に受け止める。

 琴音が居なくなったと知り町中を駆け回ったあの頃とは違い、彼もまた僅かながらも成長していた。


「俺は全然構わないよ。でも次からは、何かあったら一言くらい伝えておいて欲しいかな」


「――はい! 今度からしっかり相談するようにします!」


 久しぶりに言葉を交わす二人の兄妹は、長い間離れていたにもかかわらず昔と変わらないものだった。

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