12. 始ノ空Ⅱ

 気づけば俺たちは目指していた洞窟の入り口にたどり着いていた。

 立ち入り禁止の看板を尻目に、張られたロープを跨ぐと飛鳥も俺に続く。

 そのまま人差し指の先に小さな火の玉を魔法で作ると、それを明かり代わりに使って洞窟を進んだ。

 

「さすがにここはちょっとジメジメしてるな」


「仕方ないよ。陽の光が入りづらい上に水捌けも悪いからね」


 曲がりくねった洞窟を5分ほど歩いただろうか。俺たちは道を迷うことも無く目的の場所にたどり着いていた。

 行き止まりとなっている目の前の傷一つない真っ平らな壁に飛鳥が手を触れる。

 うっすらと淡く光る魔法陣が壁に浮かび上がったかと思えば、壁は音も立てずに横に移動して行った。

 

 俺と飛鳥はその先にある部屋へ入ると壁は再び音も無く閉じる。すると同時に部屋の天井に取り付けられたランタンに明かりが灯った。

 俺たち二人の人間が入ってもまだ余裕のある空間には部屋を覆いつくす本や魔導具、そして何に使うのかも分からない数々の道具。

 そしてたくさんの古びた書類から漂うカビ臭さと部屋の材質である木の匂い。

 書斎にも、物置部屋にも見えるここは俺たちが"洞窟"と呼ぶ秘密の遊び場であった。


 いつもなら偶然見つけたこの場所での宝探しを行う俺たちだったが今日は少し様子が違っていた。


「飛鳥、お前あの先の扉開けれたのか!?」


 俺は興奮を抑えきれず、部屋のさらに奥にある全く同じ作りの扉を指さしながら飛鳥の顔を見る。

 しかし振り向いた先には困惑した表情を浮かべる飛鳥が居た。


「いや、あの扉は結局僕じゃ開けれなかったよ。一体誰が……?」


 俺と飛鳥はこれまで決して開けることの出来なかった扉の前まで行くとその先を確認する。

 しかし奥は暗く、かなり先まで洞窟が続いていることぐらいしか分からなかった。


「どうする? 進んでみるか?」


 飛鳥は俺の提案に対して一瞬逡巡すると、懸念を口にする。


「簡単に開けれた部屋の入口とは違ってここはビクともしなかったから、この先は少し怖い気もするよ。それにもしかしたら魔獣がいるかもしれない」


 ほとんどの魔獣は人と関わることを嫌うため、人が来ない場所での生活をすることが多い。

 飛鳥の言う通り、人が長い間足を踏み入れてなかったであろうこの先が危険な場所であることは俺も理解していた。


「確かに言われてみれば……。ならコイツを持っていくか」


 俺は部屋の片隅に立てかけられた剣の形のオラシオンを指差す。

 飛鳥の隣を離れた俺は魔道具に降り積もったホコリを手で払い、軽く素振りをして重さを確かめると再び飛鳥の横に並ぶ。


「武器があれば少し位は安心できるだろ?」


「キミがそれを使っている所を見た覚えがないんだけど……」


「フォークスと基本的な使い方は変わらないんだろ? なら心配ないさ」


 俺は飛鳥に右手のフォークスを見せつけながら自信満々に答える。

 魔法を学ぶ同年代の子供たちであれば、必ずと言っていいほど頭を悩ませることになる魔力の不足という感覚を俺は一度も経験したことがなかった。

 魔法適性がまだ発現していないとは言え、この"経験したことがない経験"は飛鳥も認めるいわゆる魔力の強さの裏付けでもあった。


 それでも飛鳥は気乗りしないのか、俺に対して念を押すように忠告してきた。


「フォークスとオラシオンは厳密には違うんだけれどね……。

 まあ剣としての機能ぐらいなら果たせるかな」


 飛鳥は俺がさっきやったように火の魔法で明かりを作ると、今度は彼が先頭に立つ形で先に歩き始める。

 俺はフォークスを起動しながら飛鳥の後に続く。

 オラシオンの起動を行わなかったのは飛鳥の忠告通り、慣れていない魔導具をいきなり扱うのを控えるためだ。


 洞窟の入口と同じように何もない急こう配の通路を歩いていく俺たちだったが、変化はすぐに訪れた。


 飛鳥は訝しげにつぶやく。


「光……?」


「外、なのか? そんなに歩いたか?」


 やがて光の先にたどり着くと急激に増したまぶしさに目を細める。

 一呼吸おいて目が慣れ始めると俺は無意識に感嘆の声を漏らしていた。


「――凄いな。こんなに大きな吹き抜けは初めてだ」


 開かずの扉の先に隠されていたのは広大な吹き抜けと光の射す円形の大広間だった。

 薄暗い洞窟と対照的なこの場所はこれまでの通路と同じように何もない、無機質な場所であるにもかかわらずとても幻想的な光景を作り出していた。


 俺はこの感動を飛鳥と共有したいと思い、彼の横顔に目を移す。

 しかし彼の顔は強張っていた。


「飛鳥?」


 声をかけても彼は何も言わない。

 俺はさっきよりも、やや大きな声でもう一度彼に話しかける。


「おい、どうしたんだ?」

「燈夜、キミは洞窟の入口からここまでどの方角に、どのくらい歩いたと感じている? 僕たちは今どこにいる?」


 やっと反応してくれたと思えば、飛鳥は先ほど自分がなんとなく感じた違和感と同じことを口にした。

 俺はこれまでの道のりを頭の中でなぞりながら彼の質問に答えていく。


「道は曲がりくねっていたけど最終的には真っすぐ山を登るように、十分くらい歩いたはずだ。

だからここは山の中心の頂上あたりじゃないか? ……中心?」


 自分の考えを口にしてその違和感の正体に俺はやっと気づいた。

 この山の頂上には神社がある。

 そう、つまり今立つこの場所の真上には神社があるはずである。

 神社があるということは当然地面もある。

 この吹き抜けは存在するはずのない場所だった。


「気づいたかい? ここから空が見えるのはあり得ないんだ」


「じゃあここは一体……うお!?」


 もう一度この場所の正体について考えようとしたとき、それは突然起こった。

 あるはずのない空に蓋をするように極大の魔法陣が浮かび上がり動き出す。

 文字と記号による規則的な配置の羅列、それは典型的な古典魔法の魔法陣だった。

 しかしその魔法陣は俺の常識とはかけ離れていたものだった。


「なんだあれ!? 一体いくつの国の言葉が使われているんだ!?」


「ミシオンにイーステミス、それからロバリスとシルヴィナ? 

あとは古代魔法語とあれはなんだろう、もっと古いアレナの象形文字……?」


 俺は飛鳥ですら理解しきれていない様子に驚きながら魔法陣を見つめる。

 だが目まぐるしく動いていたそれは突然ピタリと動かなくなった。


「あれ、止まったのか?」


「いや、これは……」


 飛鳥は唾を飲み込むように喉を動かすとぽつりと一言漏らす。


「――魔導式が完成したんだ」


 飛鳥が言い終えると同時に空が"壊れる"。


 さらにそこから岩が降ってくる。

 空の壊れた部分と壊れていない部分を見て俺は確信した。今まで見上げていた物の正体は空を映し出した洞窟の天井だったのだと。


「飛鳥ッ!」


 俺は右手からオラシオンを投げ捨てると急いで落ちてくる岩にその手を向ける。

 そして同じ大きさの岩をイメージし、手のひらからこちらも岩を打ち出した。


 二つの岩はぶつかり合うと砕け散って石のつぶてに変わる。

 俺たちは両手でそれを防ぎながら再び天井を確認すると、残りの部分も崩れかけていることに気づいた。


「クソ! このままだと防ぎきれない!」


 叫びながら俺は次に撃ち落とすべき、崩れかけている岩を探すため目を走らせる。

 しかしいくら考えても全ての落石を対処しきれる気がしない。

 もしかしたら"こいつ"を使えば何とか出来るかもしれない。そう思った俺は咄嗟に投げ捨てたオラシオンに目を向ける。

 だが飛鳥は俺が行動を起こす前に全く違う提案をしてきた。


「燈夜、僕らの真上だけでいい。思いっきり爆発させれないかな?」


「お前が言うなら出来ると思うがそんなことしてどうするんだ?」


 俺は彼の作戦に疑問を持ちながらも火系統の魔導式を呼び出して準備を始める。

 飛鳥が思いついた解決法、行動に移す理由はそれだけで十分だった。


「ここに来るまであれだけ急な坂を上ってきたんだ。恐らくここから山の頂上まではかなり近いはずだし、これだけ天井が高ければ外までそう遠くはないはず……」


「つまり岩が落ちてくる前にこっちから外に吹き飛ばすってことか?」


 飛鳥は俺の返答を聞くと満足げに笑って彼もフォークスを起動するとしゃがんで地面に右手を押し当てた。


「察しが早くて助かるよ。僕は周囲に岩の壁を作って落石に備えるよ」


 俺と飛鳥の準備を待っていたかのように天井からパラパラと石や砂が降り始めてくる。

 どうやらもう時間は無いらしい。俺は全力で魔力をフォークスに込めると準備してあった爆発を起こす魔法を起動する。


「行くぞ飛鳥!」


「こっちも準備は出来てるよ!」


 大広間に足を踏み入れた時にも似た視界を覆い隠す爆発の光。

 そして耳を塞ぎたくなるほどの激しい爆発音。


 目を見開いた次の瞬間には本物の曇った空がこちらに顔を覗かせていた。

 俺は爆発音による耳鳴りを上から塗りつぶすように声を張り上げる。


「見えた! 飛鳥、正解だ!」


 飛鳥は何も言わず、目を瞑ったまま集中する。

 やがて天井が全て崩れ降り注ぐ。

 それと合わせるように俺たちの周りに岩で作られた分厚い円柱状の壁が現れた。


「この壁ならあの量の落石を防げるはずだよ!」


 落石によるけたたましい轟音に飲まれた俺たちは揺れ続ける地面を踏みしめながら終わりを待ち続けた。


 辺りが落ち着くと俺と飛鳥は変わり果てた外の景色に絶句する。

 天井の崩落によって荒れ果てた周囲の光景など既にどうでも良くなっていた。


 天井が崩れる際、チラリと見えた曇り空は雲なんかじゃなかった。

 ここに来る前、青だけを映していたはずの空は全てが白に染まっていた。

 それは雲のように灰色掛かった白でもなく、自然な色合いの所々変化のある白でもなく。


 視界を埋め尽くす空は一面、絵の具のような作られた純色の白に塗りつぶされていた。


「なんだこれ……飛鳥は何か分かるか?」


「これは……でもありえるのか?」


 飛鳥に聞いてみたものの、彼には俺の言葉など耳に入っていないようだった。

 ただ、何かに気づいている様に見えたため俺はさらに問いただそうとする。

 しかしそれは空のさらなる変化により遮られてしまった。


 先ほど大広間で見た魔法陣とは異なる、もはや何が書かれているのかも分からない大きな魔法陣が白い空に描かれる。

 そこから光の粒子を伴って現れた一匹の巨大な白い竜。


 やがて完全に姿を現した竜は静かに携えた翼を広げる。


「――ッ!?」


 ミシオンの空で行われている、見惚れるほど美しい光景に背筋を冷たいものが走る。


 悪い予感は的中し、広げられた翼から無数の白く光る羽が俺たちの居る山を囲むようにミシオンの大地に降り注いでいく。


 俺は振り返って街並みを見下ろしていくが、不思議なことに羽の衝撃による街の破壊は一切行われていなかった。

 よく見れば地面にたどり着いた白い羽達はふわりと着地しているようにも見える。


「燈夜……君は逃げるんだ」


 背中から飛鳥の落ち着いた声が聞こえてくる。

 俺はゆっくりと彼がいる方向へと振り向く。


 飛鳥の視線の先、そこには俺たちの背丈の二倍はあろうかと思われる白い羽が


 "ソレ"は自身を包むようにしていた二つの美しい羽を広げるとその姿を俺たちに晒す。


 中から姿を現したのは天使を連想させるようなその羽からは似ても似つかない、肉塊を繋ぎ合わせたような醜悪な見た目の化け物だった。


「なんだ、これ――」


 俺は立て続けに起こったあまりの衝撃にただ立ち尽くす。

 頭の中はとうに真っ白になっていた。


「燈夜! 逃げるんだ!」


 しかし、飛鳥の叫び声によって俺の意識は再び現実に戻される。

 気づけば"ソレ"は静かに飛鳥の元へと歩み寄っていた。


 俺は無意識に足元のオラシオンを拾い上げ、流れるような動作で起動する。

 オラシオンを使ったことなど全くないが、それでもアイツを助けなければいけない。

 ただそれだけを考えていた俺の体は、俺の思考を超えて目的のために動き出していた。


 オラシオンの基礎機能である身体強化で急加速した俺は、耳元でうるさく鳴り響く風切り音を無視し飛鳥と"ソレ"の間に割り込むと力任せにオラシオンを振りぬく。


 だが俺の渾身の一撃は相手の白い羽によって軽々と受け止められてしまった。


「何をしてるんだ!」


「うるせえ! お前を置いて行けるかよ!」


 飛鳥に文句を言いながら俺は素早くバックステップで距離を取る。

 先ほどの手ごたえからして全くと言っていいほど威力が足りていない。

 俺は今自分に出来るありったけの魔力をオラシオンに流し込み始める。


「ダメだ、それはいけない!」


 飛鳥の叫び声が頭に入ってくるものの、俺の行動はすでに止めることができる段階を過ぎてしまっていた。

 そして恐らく飛鳥が危惧した通りであろう、突然の全身の激痛と痺れ。

 俺は顔を歪めながら声すらも出すことが出来ずにその場で膝を着いた。

 意識が朦朧とする。


『強力な身体強化を与えるオラシオンは、使用者が送った魔力を増幅して使用者に返すことでその機能を実現しているんだよ』


 飛鳥が昔教えてくれたことを今さら思い出す。

 俺は自身の許容量を超えた魔力を返されることによって起こる現象に内心で舌打ちした。


 動けない俺になど目もくれず、"ソレ"は飛鳥を見ながら悠然と佇む。


「やっぱりそうだったんだね……もっと早く気づくべきだったんだ……」


 飛鳥は悲しげな表情で小さく呟くと、フォークスを触りながら俺の前に立つ。

 そして彼は俺に向けて右手を突きだす。


「言っただろう。逃げるんだ」


 彼が何をしようとしたのかを察し俺は絶叫する。


「飛鳥ァア――――!」


 飛鳥の右手が緑の粒子とともに発光すると、俺は山の頂上から風の魔法で大きく突き飛ばされていた。

 それと同時に異形の化け物は飛鳥をその大きな右手で掴むと、空に留まる白い竜の元へと飛び去って行った。


 連れ去られていく親友へと手を伸ばしながら、俺は青に染まっていたはずの空を堕ちていく。

 いくら願っても、落ちていく俺と空へ連れていかれる飛鳥の距離が縮まることは決してない。


 ――――人は空を翔べない。



 掠れていく意識の中、飛鳥の言葉が頭をよぎる。

 俺はこちらへと跳躍してくる緑髪の女性を視界の端に捉えながら意識を手放した。

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