10. 彼女の日常
燈夜と琴音がベッドで(相手を寝させようとする)攻防戦を繰り広げている間、夕陽が差し込む魔工部の部室には紅茶を飲む二人の学生がいた。
二人は校長への報告から始まった、様々な事後処理を手馴れた手つきで済ませた後だった。
彼らはいつもこうして一仕事終えると簡単なティータイムを行っていた。
その参加者である事の発端となった少女とレオンは、向かい合って座りながら少女の入れた紅茶を味わう。
窓の外から見える先程の事故(事件?)によって抉れたはずの歩道などは全てレオンの魔法によって修復されていた。
「毎回部長が淹れてくれますけど完全に俺のバイト代、最低時給割ってますよね」
「別に私が飲みたいから淹れてるだけだぞ。レオンの淹れる紅茶はクソマズイから飲めないし」
レオンは少女の遠慮のない言葉に頬をヒクつかせるが、強く反論はしなかった。
それだけ少女が淹れる紅茶には、彼に反論を許さないだけの技術が詰まっていたのだろう。
「これも毎回思ってるんですけど、部長が淹れる紅茶と比べて評価するの辞めて貰えます?」
「私からしてみれば飲めたもんじゃないんだからどうせ一緒でしょ。文句があるなら飲まなくていいよ」
少女にそう言われたレオンはついには小さな抵抗すらも諦め、紅茶を口に含んでいく。
それからしばらくの間、部室は二人が紅茶を飲む音とティーカップと皿が触れあう小さな音、そしてポットからティーカップへと紅茶が注がれる音で包まれた。
心地のいい静寂の中、最初に切り出したのはレオンだった。
「それで、なんであんな滅茶苦茶なことしたんですか?」
彼は天気の話をする時と変わらない表情、声音で話しかける。
ここで少女を叱ったり諭しても全く意味がないことを彼はよく知っていた。
「凄いのが見えたからね」
「またそれですか……今度はどんな奴が見えたんですか?」
「それが私もよく分かんないんだよねー。レオンは何かわかんないの?」
主語のない問いと主語の無い答えで会話する二人。
それでも二人は淀みなく会話を続ける。
「分かるわけないでしょ……。
その魔力が見えるっていう感覚が俺らじゃ分からないんですから」
「そろそろ突然見えるようになったりしないの?」
少女はそう愚痴りながら、紅茶の茶葉が入った瓶のフタを開けたり閉めたりして遊ぶ。
それは決して暇だからというわけではなく、彼女が考え事をする時に行う無意識の動作だった。
「部長と一緒にしないでくださいよ。
魔力が見えるとか言い始める人、俺はあなたしか知りませんよ」
「そりゃそうでしょ。私だってよく分かんないからレオンと琴音にしか教えてないんだし」
魔力が見える人間が少女を除いて存在しない前提で話すレオンと、魔力が見える人間は少なからず存在しながらも、それを伝える人間が少ない前提で話す少女。
レオンは微妙に噛み合わない少女の返答にも特に気にする素振りは見せない。
今回のように会話がややズレることもまた、いつも通りの事であった。
少女は美しい所作でティーカップを傾け、最後の一口を飲み切ると話を切り替える。
「そうそう言い忘れてた。今日呼んだ理由なんだけどさ」
少女はそう切り出すと、部室の奥の目立たない場所にある物置きへ向かう。
彼女はそこに置かれた箱のようなものを手に取るとレオンの目の前に置く。
それは手のひらサイズの小さな銀のケースだった。
「既にレオンのフォークスは登録してあるよ」
レオンは少女の言葉を聞くと、オラシオンのケースにも見える箱に右手で軽く触れフォークスを操作する。
部室に静かな金属音が鳴り響く。
鍵が外れる音と共に開いたケースの中には、一切混じり気のない銀の輝きを放つ大きな結晶が収められていた。
レオンはそれを確認すると顔を引き攣らせながら再び箱を閉め、鍵を掛ける。
「……一体どこでこれを?」
「親戚のおじさんから余ってるの貰っちゃった」
少女は嬉しそうに、無邪気に笑って答える。
しかしレオンには苦笑する余裕すら無かった。
「いつもそう言いますけど、今回のは流石に限度を超えてますよ」
「細かい事は気にすんなってこと。
でさ、それレオンの魔法で複製出来ないかな?」
少女の性格をよく知るレオンはこれ以上詮索しても無駄だと悟り、頭を瞬時に切り替える。
もし目の前の少女に巻き込まれた際は迅速に問題を処理することが、身の安全への最短ルートであると彼はこれまでの経験から嫌というほど分からされていたのだ。
レオンは既に何度か、似たような依頼を少女から受けては失敗を繰り返していた。
しかし複製の対象となる"オリジナル"が手渡されたのは今回が初めてであった。
それ程までにレオンに渡された箱の中身は貴重な代物だった。
「正直分かりませんね。まあ出来る気はしませんが」
「じゃあ頼んだ。終わったらそれ、返してね」
レオンはここで初めて強ばってい表情を崩す。
「言われなくても返しますよ。
押し付けられたままだったらたまったもんじゃない」
「あとバレないようにね。退学とかになったらイヤでしょ?」
「退学程度で済めばいいですけどね……」
レオンはケースをカバンの奥底に仕舞うと部室の扉に手をかける。
「部長は今日も泊まりですか?」
「いや、今日はもう少ししたら家に帰ろうかな。明日は久しぶりに買い出しに行きたいし」
「分かりました。一応女性なんですから、もう暗いですし気を付けてくださいね」
彼はそう告げると一人で学校を後にする。
彼の気遣いはあくまで形式的な物に過ぎないということは、少女が一番よく分かっていた。
レオンが立ち去ってからしばらく経つと、少女はティーセットを片付けるために部室の物置きに向かう。
だが突然部室の扉が優しくノックされ、ゆっくりと開かれる。
入室してきた長い茶髪の女性は制服を綺麗に身に着けており、眼鏡を中指で直しながら部室全体に呼びかける。
「失礼します。ソフィアさんはいらっしゃいますか?」
「ソフィアさんはいませんよー」
眼鏡を掛けた女性は自身の質問に対する返答を聞くとため息を吐く。
「居るじゃないですか……。
頼まれていた物、完成したので持ってきましたよ」
「え、ほんとに!?
ソフィアさんはやっぱりいますよー!」
ティーセットを片付けていた少女、ソフィア・エリオンヴェールはそう返すと向日葵色の髪を揺らしながらすぐに部室の入口付近へと走ってくる。
「いやーさすがティアナ、仕事が早い! お願いしたのつい先週だよ?」
「春休みで授業もずっと無かったですし、時間も結構取れましたから」
ティアナと呼ばれた女性は部室の外に置いておいた大きな銀のケースを抱えると、部室の中へと運び込む。
「こちらになります。やっぱり一般的な物と比べるとかなり大きくなっちゃいますね」
「まぁそれは設計の段階から分かってたよ。ケースくらいはこっちで作れるんだけどね」
ソフィアはそう言いながらケースを受け取ると、そのまま物置きへと引きずっていった。
「あれ、中の確認はしなくていいんですか?」
「ティアナが作ってくれたんだし確認する必要ないかなって。それにまだ部品が足りないんだよね」
ティアナは数秒頭の中に疑問符を浮かべるが、ソフィアの言う残りの部品に気づくと彼女の発言に納得する。
「そういえば今回はオラシオンの外装だけでしたね。いつもは式核も一緒に渡されていたはずですが……」
「まだ準備ができて居ないからねー。
そもそも準備ができるかすらちょっと怪しいけれど」
「ソフィアさんであれば学園が支給の申請を断るとは思えませんが……」
するとソフィアはこれから悪戯を始める子供のように無邪気な笑みを浮かべる。
「今回は学園に申請を出すつもりは無いよ。そもそもこれ、学園に渡す気も無いし」
魔法技術の最先端を行くイーステミス。
ルノロア魔法学園はその最先端の象徴の一つだった。
ここでは研究目的であれば必要な物はほとんど支給される。
ただし、支給の申請を行う際は研究成果と詳細な報告書の提出が義務付けられている。
とはいえソフィアの場合はこれまでの数々の実績からか、申請を行えば確実と言っていい程受諾されていた。
ティアナは目の前の少女の、申請を出さずに足りない部品を用意するという"ありえない"発言に思考を巡らせる。
やがて彼女は一つの結論にたどり着いた。
それは単純でありながら、常識とは大きくかけ離れた答えだった。
「まさか、式核を作ろうと……?」
「大正解!」
「そんな事出来るわけが……。
そもそも誰かに見つかりでもしたら大変な事になりますよ?」
式核は人の魔力の変質を行う魔導具の心臓とも言える部品であり、とても貴重で危険な物であった。
この式核には主に二つの役割が存在する。
一つ目は変質させる前の魔力を一時的に溜め込む役割である。
これは魔導具が扱える魔力の総量とも言い換えることが出来る。
この総量は式核の素材によって左右され、容量の大きさに比例して希少性と価値が上がっていく傾向にある。
二つ目は人が持つ無系統の魔力を四つの基礎系統へと変質させる役割である。
これは式核自体に、系統を変質させる魔導式である『基礎魔導式』を特殊な魔法によって直接書き込む事によって実現している。
しかし『基礎魔導式』はとても複雑であり、また厳重に秘匿、管理されているため大多数の人間は詳しい内容を知ることは出来ない。
現代では式核の製造、利用は原材料の希少性と基礎魔導式の秘匿性、そして魔道具の危険性という三つの理由から厳重に管理されていた。
そのためもし個人で勝手に製造すれば国家を問わず、とても重い罪に問われることとなる。
そもそも式核を製造したことのない一般人が個人で製造に成功した記録は無く、過去に違法な式核の製造で罰せられた人間は元々その筋の仕事に勤めていた人間に限られていた。
「ちなみにね? このこと知ってるの私とティアナだけだから内緒だよ?」
ソフィアは先ほど会話を交わしたレオンなら既に気づいているだろうと最初から思っていたが、ティアナに(無罪の)罪の意識を持たせるためあえて明かさなかった。
「やっぱりまた私も巻き込まれるんですね……。
頭が痛いので今日はもう帰らさせて頂きます……」
ティアナは青くなりながら涙声でそう絞り出すと魔工部の部室を後にした。
彼女たちのこの構図もまた、いつも通りの光景であった。
「今年も楽しいことがいっぱいだなぁ」
こうして今日も、いつもと変わらない少女の一日は終わりを告げた。
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