8. もうひとつの魔法

 燈夜達の戦闘が終わる少し前、部室棟からやや離れた教室棟。

 その屋上から、白い制服の上に白衣を羽織る少女は燈夜達を見ていた。


 少女はフェンスの外側、建物の縁から足を出して座っている。

 落ちることに対する恐怖が無いのか、彼女はまるで子供の様に両足をパタパタと動かしている。


「うーん? おっかしーなぁ……」


 その少女は心底理解できないといった感じに首を捻り、ツーサイドアップに纏められたひまわり色の短い髪を揺らす。


「あんなに良い魔力を持ってるのに何で?

 魔法を使えない?

 いやでもあの魔力の流れは……。

 うーん……」


 少女はあーでもない、こーでもないと唸る。

 

 しかし突然、少女は目を見開く。

 少女は燈夜たちが戦う場所へ、高速で近づいていく人物に焦点を変えていた。


「――んん!? なにあの魔力!?

 あーもう今年は良い材料まみれで素晴らしい!」


 目をキラキラさせ大はしゃぎする少女。

 だが今度はその人物の目的に気付き顔を歪める。


「ってちょっとあの女! いいところで邪魔しないで!」


 少女は怒気をあらわにすると、そのまま飛び出していった。



----



 レオンは全てを見ていた。

 燈夜が見たことのない技で魔獣の攻撃を防いだ事。

 自分の魔法で生み出した剣が耐えきれなかった事。

 燈夜が魔獣の攻撃を避けれなかった事。

 自分の魔法が追いつかなかった事。


 ――そして水無月みなづき 桜嘉おうかが立っていた事。



 それは一瞬の出来事だった。

 燈夜が魔獣の攻撃を受ける直前、レオンの目の前を横切る桜嘉の姿があった。

 彼女はすばやく燈夜の前に立つと同時に、その右手に握る剣を振る。


 たったそれだけの動作で、先程まで二人が死闘を繰り広げていた魔獣をあっさりと倒されていた。


 燈夜はその事実を理解するまで数秒を要する事になる。


「一体、何が……」


 顔を上げた燈夜は自分の前に佇む桜嘉を視界に捉える。

 次に彼女が持つ細身の剣へと視線を移す。


「オラシオン――」


 燈夜はその魔導具の名を小声で口にする。


 遠い昔、一部の人間しか扱うことの出来なかった願いを具現化する、奇跡の力。


 魔導式の発明によりその奇跡を日常に組み込んだ『魔法』という技術。

 それは生活をより豊かにする目的で生み出された。


 しかし、桜嘉が持つその魔導具は違った。


 壊すための、殺すための『魔法』。

 ただそのためだけに現代魔法と共に生まれた魔導具『オラシオン』。

 フォークスと同じく魔導式を利用しながらも、魔力の扱い方、存在理由が全く異なる魔導具。

 

 古い言葉で祈りの名を冠するその魔導具は、もう一つの奇跡の進化の姿だった。



 燈夜の声を聞いた桜嘉は振り返る。


「大丈夫? 怪我とかしてない?」


 燈夜は自分の体に意識を移す。

 彼の体には小さな擦り傷などはあるものの、幸いにも致命傷となる傷は無かった。

 

「あ、あぁ。俺は大丈夫」


 彼は桜嘉の問いに応えるとレオンが心配になり様子を確認する。

 そこには座り込んで苦笑いしながら、ヒラヒラと手を振る彼の姿があった。


 レオンの無事が分かり安心した燈夜は再び桜嘉に視線を戻す。


「それにしても、どうしてこんな場所に……?」


 生徒が来る必要がない、入学式の日の高等科区画。

 ましてや新入生ならなおさら用がないはずの場所だ。


 彼女は燈夜の質問に答えようと口を開く。

 だがそれは、遠くから走ってくる少女の大声によって遮られた。


「兄さん! レオン先輩!

 大丈夫なんですか!?」


 燈夜達のもとへ走ってくる少女、琴音は顔を青くしながら叫ぶ。

 やがて燈夜の前にたどり着くと、膝に手を当て肩で息をする。

 

 桜嘉は再び口を開く。


「この子が凄い勢いで走ってきてね。泣き出しそうな顔で『助けて欲しい』って」


 喋れるぐらいまでなんとか息を整えた琴音が桜嘉に続く。


「高等科区画の入り口でこの方を見つけることができまして……。

 最初は逃げて貰おうとしたんです……」


 燈夜はそのまま二人から何があったのかを聞いた。



----



 琴音は噴水広場へ向かって走り出してすぐ、自分が何をするべきかを決めていた。


 火系統の魔法を扱う黒いオオカミ。

 そんな魔獣など少なくとも琴音の知識の中には存在しなかった。

 非常に類似する魔獣は知っていたが、その魔獣はあれだけの魔法を使う事は出来ない。

 何より琴音が知るその魔獣の体毛は赤色だった。


 それらの状況から、彼女は黒いオオカミを特殊な固体だと結論付けた。


 ただ魔法が扱えるだけの人に助けを求めても犠牲が増えるだけ。

 そう考えた琴音は入学式の片付けをしているであろう教員に魔獣の出現を知らせるため、ひたすら走る。


 しかしその計画は思わぬ出会いによって崩れる。

 琴音が高等科区画を走り抜け、噴水広場に差し掛かろうとした時だ。


 授業が無いはずなのに何故か高等科区画へと歩いてくる、大きな荷物を背負う女生徒。

 その女生徒こそが桜嘉だった。


 新入生たちと彼らの保護者たちで賑わう噴水広場。

 そこに居た桜嘉は微かに聞こえた爆発音を聞き取り、音がした方向へと向かっている途中だった。


 他にも音に気付いた生徒は居たはずだが、彼らが気にする様子はない。

 おそらく祝砲の類いだと勘違いしていたのだろう。


 だが桜嘉はそれが祝砲では無いと知っていた。

 新入生代表として、予め教員と式の打ち合わせを行っていたからだ。


 琴音は彼女が歩いていく先が危険であることを伝えるために駆け寄る。


「待ってください! この先には今、魔獣がいます!」


「魔獣? どうしてこんな所に?」


「私にも分かりません。ですが危険なのは事実です!

 救援のため、教員の方を一緒に探して貰えると助かります!」


 桜嘉は琴音の様子から緊急事態である可能性が高いと考えた。

 数秒考え込む桜嘉。


 やがて彼女の中で結論が出たのか、桜嘉は表情を引き締める。


「それってもしかして急ぎなんじゃないの?」


「私の兄と、先輩が引き止めてくれています……」


「教員の代わり、私じゃダメかな?」


 桜嘉は左肩に掛けていた、背丈ほどの大きな箱を下ろす。

 装飾の無い、地味な銀色の箱。

 その箱は魔力を通さない特殊な金属で作られたケースだった。


 琴音はケースを見て息を呑む。


 彼女にとってその材質のケースは部室でよく扱う、しかし実験目的以外では決して触ることはないよく知る物だった。


 桜嘉はしゃがみ込んで取っ手を両手で掴むと、左右に広げてケースを開く。

 同時に中からせり上がってくる一振りの魔導具。


 桜嘉は厳重に固定されたその魔導具を握ると、握った手に巻かれたフォークスを反対の手で触れる。


 静かに鳴り響く金属音、魔導具から漏れ出る赤い粒子。

 固定具が解除され、魔導具は音もなく起動しはじめる。


 桜嘉はその剣を手にして立ち上がると、琴音を真っ直ぐ見つめる。


「まさか個人所有のオラシオン、ですか――?」


「うん。私なら一番早く助けに行けると思うよ」


 琴音は確信する。

 彼女なら問題ないと。

 彼女なら兄たちを救ってくれると。


「お願いします! 兄さんたちを助けてください!」


 琴音は必死な形相で部室棟がある方角へと顔を向ける。



 彼女が口を開く前に桜嘉は駆け出す。

 オラシオンの機能で身体能力を強化した彼女は琴音が走ってきた道を二倍の速度で駆け抜けていく。

 その圧倒的な速度は周りの木々を揺らし、石で作られた道さえも揺らす。



 桜嘉は入学式の準備のため、高等科区画を訪れたことがあった。

 だからこそ彼女は高等科区画をすでに知っていたのだ。


 迷いなく駆ける桜嘉の目の前に部室棟へと続く道が現れる。

 彼女は左に曲がってその道に入っていく。


 すると自分へと向かってくる炎、攻撃動作を取る少年、そして少年に飛びかかる魔獣の姿が桜嘉の目に飛び込んでくる。



 彼女は次に取るべき行動を一瞬で導きだしていた。

 火の玉を躱した桜嘉はその玉が地面に触れる瞬間前へと飛ぶ。

 魔獣の魔法が大地を揺らし、大きな爆発を生むが振り返ることはしない。


 桜嘉は体の向きをそのままに、背後へとオラシオンを構える。

 そのまま背中を焦がす熱に対して魔力を放出、やがて大きな衝撃が生まれる。


 その衝撃である程度軽減した爆風を利用して彼女は空中で更に加速。

 速度を維持したままオラシオンを振り抜き、同時に少年の前に着地する。


 さらに彼女は、自身と少年を守るように周囲に魔力を放出する。

 その強力な魔力に触れた魔獣の血は、触れた瞬間から蒸発していく。



 桜嘉は息を吐き、魔獣を確認する。

 そこには血の海に横たわる魔獣の姿があった。



----



「そうか、俺は二人のおかげで助かったのか……。ありがとう」


「ううん、あれだけの魔法が使える魔獣を相手にフォークスだけで抑え込んでいたのは凄いと思う。

 君のおかげでこの魔獣が野放しにならずに済んだんだよ」


 桜嘉は座ったままのレオンに顔を向ける。


「君もすごいね。私が飛び込む瞬間に魔法をキャンセルしたでしょ?」


「ぶっ飛んで来るなら先に言ってくれ……

 危うく俺が人殺しになるところだったぞ」


 桜嘉はレオンの岩の壁を破壊しながら、強引に突き進むことも計算していた。

 しかし、そんなことを知る由も無いレオンは突然の出来事に心臓が止まりそうになっていた。


「にしても驚いたぞ。魔法が使えないクセにいい動きするじゃねーか」


 レオンは立ち上り笑顔になると、燈夜へと称賛を贈る。

 だがそれとは対照的に琴音と桜嘉は眉をひそめる。


「ん? 魔法が使えない?」


「……どういう意味、ですか?」


 レオンは二人の反応を見て真顔になる。


「――あ、やべ」


 彼は首だけを動かして燈夜を見る。


「一応隠しておきたい事だったんだが……」


 燈夜はため息を吐く。

 幸いにも聞いてしまったのは二人だけだったためか、彼はレオンを怒る様な事はしなかった。

 それに二人のうちの一人は琴音である。

 彼は近い内にこの事を明かそうと考えていたのだ。


「丁度いいから今言っておく。

 今の俺は魔法が……使えないんだ」


 琴音は絶句。桜嘉は不思議そうな顔になり、レオンは申し訳なさそうに頭を伏せる。

 燈夜はそのまま簡単に、災害が原因で魔法が使えなくなった事を伝えた。

 もちろん詳細な部分は全て隠した上で、である。


 しかし琴音はどうしてもその詳細な部分が気になってしまう。


「でもどうして……。

 あの日、一体何があったんですか……?」


 ショックを隠しきれない様子で燈夜に詰め寄る琴音。

 現代において魔法が使えない事がどれだけ深刻なのかをよく知る彼女は、燈夜が意図的に濁していると気づきながらも詳細を聞かずにはいられなかった。


「それは……」


 燈夜の鼓動が早くなる。

 いくら妹とはいえ、自らの罪を口にする事は彼には出来なかった。


 どうこの場を切り抜けるか、燈夜がそう考えていた時。


「おいコラー!

 邪魔すんなコノヤロー!」


 大声を上げながら燈夜達の元へ走ってくる金髪の女生徒。


 驚いたように目を見開くレオンと琴音。

 相変わらず不思議そうな顔のままの桜嘉。

 それに対して安堵する燈夜。


 突然の来訪者に対し四人は、様々な感情を抱きながら徐々に距離を詰めてくる彼女を見ていた。

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