2. 予期せぬ出会い
「……さん? ちょっと話聞いてます?」
「あぁ、ごめんよ
「もう、しっかりしてください。今日は入学式なんですからね?」
朝日が差し込む町並みを少し肌寒い風が通り抜ける。
まだ季節が変わっていないのではないか。
そんな錯覚が頭をよぎった燈夜は隣で一緒に歩く少女に対し、先程まで彼女が話していた内容が頭に入っていなかったことを謝罪する。
両脇にレンガ造りの建物が建ち並び、真新しい魔法学園の制服をぎこちなく身にまとうたくさんの少年少女達。
彼らが同じ方向へと歩いていく中、燈夜達二人もそれに混ざって舗装された道を歩く。
しかし、よく見れば制服を着こなしている人間も数人混ざっていた。
燈夜の隣を歩く少女もその数人の内の一人だった。
二人は少女の自宅から学校へ向かいながら、今日行われる入学式についての話をしていた。
「もう一度今日の入学式について説明しますから、今度はちゃんと聞いててくださいね?」
「ごめん、お願いするよ」
今度は聞き逃さまいと彼女の言葉に耳を傾けながらも燈夜はもう一度、先ほどまで考えていた昨日までの事をつい思い返してしまう。
昨日までの事、それは隣を歩く大切な少女の話すら、上の空になってしまうほどの衝撃の連続だった。
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燈夜が今歩いているここイーステミスに到着したのは昨日、ユリーシャと別れてから翌日の夕方である。
彼がユリーシャから手渡されたメモに記された場所へ向かうと、そこは学校ではなくただただ普通の家が建っていただけだった。
入国してからこの謎の家にたどり着くまで、所狭しと並ぶ住居や店などの都会の光景に目を奪われていた燈夜。
だが彼は、メモにはてっきり学校の場所が書いてあるものだと思っていたため困惑していた。
しばらく頭をひねった燈夜は、どうせまたあの人が適当に書いて間違えたのだろうと結論づけ、取り敢えず近くの宿屋を探すべきか考え始める。
そうこうしていると不意に目の前の家の扉が開いた。
すると中から綺麗な銀髪が目立つ、セミロングのおしゃれな少女が辺りを見回し始める。
やがて少女は燈夜の顔を見つけるや否や、笑顔になり小走りで彼の元に駆け寄ってきた。
「もしかして杠葉 燈夜さん、ですか?」
微かに鼻孔をくすぐる石鹸の香りと湿った髪の毛。
恐らくお風呂にでも入ったばかりなのだろう。
燈夜はなぜ自分の名前を知っているのか不思議に思い、彼女の顔を訝し気に見る。
だが目の前にいる少女のように明るくておしゃれな女性など彼の記憶には無く、燈夜は更に困惑してしまう。
そもそも『燈夜』という名前自体が、彼の故郷でしか使われていない珍しい言語、文字であるため珍しい。
そのことから彼は同名の人物と間違えられている可能性を真っ先に否定した。
相手の返答を今か今かと待ち望んでいる少女の視線に耐えかねた彼は、取り敢えず肯定を返すことにした。
「はい、合ってますが……」
「やっぱり! ユリーシャさんの言う通りでした!」
少女は目の前の少年が自分の探していた人間だと分かると、満面の笑みを浮かべる。
燈夜は自分よりも十センチほど小柄な少女からの上目遣い、そして彼女が不意に見せた親しげな笑顔にドキりとしてしまう。
しかし、先程の彼女の言葉に今の自身の状況を作り出した不穏な響きが混ざっていたことに気づくと、すぐさま冷静になった。
「もしかしてユリーシャさんのお知り合いの方ですか? 俺はここに行くよう、彼女に細かい説明もなく追い出されただけなのですが」
「あはは……ユリーシャさんらしいですね……」
二人は揃って苦笑する。
しかし少女は突然ハっとした顔になったかと思うと、今度はすぐさま元の笑顔に戻った。
「ともかく長旅お疲れ様でした! このまま立ち話もなんですし、取り敢えず中に入っちゃってください、
「ちょっと待て、
「あれ、覚えていませんか? 琴音ですよ! 杠葉 琴音です!」
『琴音』、その名前を聞いて燈夜は目を見開く。
言われてみれば少女は確かにあの『琴音』であり、燈夜は今さらその事に気づいた。
彼の目の前で笑う少女、琴音は燈夜が遠い昔に分かれた妹だった。
彼女は燈夜のひとつ下の妹であり、唯一の家族だった。
二人は両親は物心が付く前に流行り病で亡くなってしまっていたため、近所の大人たちの助けを受けながらも二人でなんとか生活していた。
しかし今から三年前、琴音は簡単な書き置きだけを残して突然燈夜の前から姿を消してしまった。
琴音は生まれつき体が弱く、少々特殊な体質が原因でいじめられた過去もある。
そんな彼女が心配になり慌てて探し出そうと家を飛び出した燈夜だったが、そこに親友の飛鳥がタイミングを見計らったかのように訪れた。
「琴音ちゃんなら心配ないよ。出ていった理由も聞いている。彼女ならイーステミスに向かったよ」
彼は燈夜が口を開く前にそう伝えると、そのまま燈夜に背を向け歩きだした。
燈夜は呼び止めようとしたが、「口止めされているから理由はいえないよ」とまたもや先に返されてしまった。
しばらくの間、妹がいなくなってしまった事実を受け止めきれずに立ち尽くした燈夜。
結局その日は街中を駆け回って琴音を探したが見つからず、諦めて次の日彼を問いただすことにした。
その後、飛鳥と顔を合わせるたびに何度も話を聞き出そうとした燈夜だったが、何も教えては貰えなかった。
月日が経つにつれ、燈夜は次第に琴音を探そうとはしなくなっていた。
何度飛鳥に聞いても彼女なら大丈夫と言われ続け、飛鳥がそこまで言うならという気持ちが燈夜の中で強まっていったからだ。
また他にも、彼は家事全般を琴音に任せっきりだったため、自分の事で精一杯になってしまったという理由もある。
十二歳の子供が突然、今までやってこなかった事を一人でやるしか無くなったのだから仕方のない事だろう。
とはいえ燈夜は琴音の事を忘れたことは一度たりとも無い。それは今このとき、この瞬間も含めて、である。
燈夜は改めて琴音の顔を見つめると、彼女に質問を投げかけた。
「あの、一つだけ確認しても宜しいでしょうか」
「あれ? なんかさっきよりもよそよそしくないですか? まあそれはそれとして、質問は何でもしちゃってください!」
そもそも燈夜が今まで少女の正体に気づけなかったのには訳があった。
彼がともに過ごした琴音はとても地味な服装を好み、笑顔を見せるときも微笑む程度の人間だった。
目の前の少女は明らかに燈夜が知る妹のそれではなかった。
彼はもう一度目の前に立っている、小柄で可憐な少女を上から下まで確認する。
眩しいまでの笑顔、お洒落な、けれども決して派手ではないベージュのワンピース。
昔の彼女とはかけ離れた姿ではあるものの、細かな部分や喋り方は確かに燈夜の知る昔の彼女だった。
あまりの変化に驚いていた燈夜は目の前の少女が妹だと名乗り、理解してから一つだけ、ずっと気になっていた事を口にした。
「琴音、お前そんな可愛かったか?」
無邪気な笑顔の琴音と真顔で問い掛ける燈夜。
対象的な表情見せる二人の時間は完全に止まっていた。
彼らを見下ろす美しい夕日の空では、今日もゆったりと雲が流れていた。
「同じ名前の違う人じゃないみたいで安心しました。では参りましょう」
琴音はその可憐な笑顔を崩さぬまま、燈夜に振り返ることなく家のドアを開けると、そのまま体の向きを変えずに後ろ手で思いっきりドアを閉めて消えていった。
ドアが壊れそうなほどの大きな音にも燈夜は身じろぎ一つせず、彼は琴音が見えなくなってからもしばらくの間固まって立ち尽くす。
やがて彼は何が起きたのかを理解すると、ドアの先に居るであろう鬼の姿を幻視する。
彼はどう謝ろうかと真っ青になりながら彼女の後を追った。
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一方そのころ、琴音は燈夜が動き出すまでの間ドアに寄りかかっていた。
彼女はドアを閉める瞬間の不機嫌な顔から一転、すぐに
そう、燈夜を見つけたときと同じ無垢な笑顔に。
「(兄さんにやっと可愛いって言ってもらえました! ――今度は私が、兄さんを守ってみせますからね)」
彼女は燈夜と離れてからずっと願い続けていた想いを再度自分に言い聞かせると、二人分の夕飯を作るため台所へと向かっていった。
結局二人はすぐに和解し、燈夜が風呂を済ませると琴音の手料理を囲んだ。
積もる話もある彼らだったが、翌日に備え、その日は入学式の準備を手早く済ませて就寝した。
ちなみに琴音は燈夜を当然のようにベッドに誘い、並んで寝ようとした。
しかし燈夜がそれを強く拒絶したため、彼は座布団で作った即席のベッドで別々の部屋で寝る形となった。
彼は妹だと頭では理解していたものの、三年という長い時間、顔を合わせていなかったためか女の子である、ということを強く意識してしまっていた。
燈夜は横になった後も、見違えるように変わっていた琴音の姿と、妹に再び出会えた喜びで最初は寝付けなかった。
しかし長旅の疲れには抗えず、目を閉じてから数分もすれば燈夜の意識は沈んでいた。
彼が寝る前最後に考えていたのは、やはり琴音の料理には敵わないな、という敗北感と喜びが混ざりあった不思議な感情だった。
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燈夜が一通り昨日のことを思い返していると、気づけば琴音の説明が終わっていた。
「以上です! 今度はちゃんと話聞いていました?」
「要するにこのしおり通り会場まで行ったら、後はずっと座ってればいいんだろ?」
彼は右手に持っていた入学のしおりを琴音に見せながら答える。
これは今朝、彼女から制服と一緒に燈夜に渡された物で、今向かっている入学式の式場の場所や式の流れが書かれていた。
「確かに間違ってはいませんけれど……」
「あんな田舎の国で過ごしていたうえ、二年間引きこもっていたとは言え流石に一般常識は持っているよ。心配しすぎじゃないか?」
琴音は彼の言葉を聞くと、「確かに少し過保護すぎたかな?」っと感じたのか、それ以上説明することは無くなった。
そんな彼女の様子が燈夜には少し落ち込んだように見え、すかさずフォローを入れる。
「でも心配してくれるのは助かるよ。こんな都会なんて来たこと無いし、こっちの事は全然分からないからな。ありがとう琴音」
「――はい! 何かわからない事があれば何でも聞いてくださいね!」
二人は昨日の夕飯についての話や、燈夜にとってはまだ物珍しい、イーステミスの町並みについての話などをしながら目的地へと向かっていった。
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