cryptograph-08
エバノワは魔術書と一緒にしまっていた旅人証を3人に見せた。写真のエバノワは今とさほど変わらない容姿をしている。
「旅人資格は更新していたようだな」
「ええ。といっても、もはや身分証明代わりです。もうそろそろ更新を止めようかと思っていました」
「召喚士……等級8!」
「こう見えて、わたしも一時期はギルド支部長の推薦を受けた事があるのです。息子が旅立つまではと辞退し、結局それきりでしたが」
エバノワは大きなショルダーバッグを机に置き、着替えてくると言って奥の部屋に入ろうとする。
「ちょっと待って下さい、まさか今から出発するつもりですか?」
「勿論ですとも。中身は異なれど、息子の姿に戻る様子はわたしも見ています。これ以上息子の姿で好き勝手にはさせません」
「駄目だよ、無謀だ。こんな少人数で勝てる相手じゃない。今、キリムが強い旅人を集めているところなんだ」
バベルが慌てて引き止める。キリムはエバノワを席につかせ、現在分かっている事や、これからの計画を伝えた。過去のガーゴイル戦の事も話せば、エバノワもようやくガーゴイルの危険性を理解した。
「そうですか。それだけの手練れが集まり、クラムが大勢駆けつけても互角でしたか」
「クラムを崇めてくれるのは結構だが、クラムとて万能ではない。ましてや凶悪な魔物との戦いを忘れつつある現代においては殊更だ」
「クラムが必要とされる戦闘は、近年減少傾向にありました。求められる強さが相対的に下がった事で、クラムの力も測り難くなっています」
クラムは必要とされてこそ力を発揮できる。この数か月、皮肉にも終末教徒のおかげで戦闘の要求レベルが急激に上がった。クラム達は活躍する頻度が上昇し、不謹慎にもホッとしていたくらいだ。
エバノワは黙って話を聞いた後、静かに「分かりました」とだけ口にした。
「息子の仇を討たんとするならば、勿論手を貸そう。だが今はまだその時ではない。ほんの数週の辛抱だ、迎えに来るまで待て」
「ねえ、でもそれまでずっと町の人達に怖がられて、嫌がられなきゃいけないの?」
「あっ……と。そうだったね。でも先にエンシャントに渡ってもらうのも……」
「やれやれ、仕方がない。駆け込み宿で預かるとするか」
エバノワをこの町に1人残して行く訳にもいかない。それに、エバノワ1人でガーゴイル討伐に行きそうな気配も感じていた。守るため、監視するため、キリムの宿は一番都合がいい。
「エバノワさん。お孫さん達はどこに向かいましたか」
「義娘の実家があるヨジコへ向かいました」
「暫くパバスから出ると連絡して下さい。行方不明になったと思われて、探しに戻ってくるかもしれない」
「分かりました」
エバノワは義娘の実家に連絡を入れ、現在の状況を伝えた。これからしばらく留守にすると告げて電話を切った後、改めて旅立ちの装いへと着替え始めた。
* * * * * * * * *
「これは……噂には聞いていましたが、本当に周りに何もない場所なのですね」
「建てるのには苦労しました。さあ、どうぞ」
ゼタンやバレッタ達が帰ったと思ったら、今度は老婆の訪問だ。工房から顔を出したエンキは、また訳アリかと苦笑いしつつも紅茶を用意してくれた。
「そっか、その支部長のお袋さんってことか。まあ、パバスには居づらいわな。キリムが良いって言うなら俺達は問題ねえよ」
「それより、もしかしてその格好で向かうつもりかい? 見たところ、装備ではないようだけれど」
エバノワは他所行きのブラウスに、ふわりとしたロングスカートを履いている。
「ええ、若い頃の装備はさすがにもう入りませんからね」
「とはいえ……」
ワーフは腕を組んでうんうんと唸っている。歳は73だと言うから機敏に動く事は期待しないまでも、普通の服ではあまりにも心許ない。
かといって、高齢の女性向けの装備など作った事はない。軽鎧や胸当てなどもってのほか、現役世代なら苦にもならない重さでも、エバノワにとっては枷でしかない。
「ワーフ様、いっそエバノワさんが普段着ている服を参考にしては」
「そうか。普段着ているという事は、動きやすくて楽だという事かもしれない」
現役を退いたとはいえ、等級8まで上り詰めた女性だ。どうせなら第一線でクラムを召喚士して戦ってもらいたい。そのためにはそれなりの装備が必須となる。
キリムが製作代金を払うと告げると、エンキとワーフは少年のようにニカっと笑い、買い出しに向かった。
「これで、2週間はおそらく無駄になりません」
「何から何まで、有難うございます、キリムさん。あなたはお噂に聞いていた通りの方ですね」
「噂?」
「はい。すべてに優しい、と」
キリムはこの歳になっても褒められる事に慣れていない。恥ずかしそうに視線を逸らしながら、自身のこれまでを振り返る。
「俺は、パバスのギルドで襲ってきた職員達を許してない。嫌いなことも、過去を不振り返れば嫌いな人もいた。全てに優しいというのは誇張です」
「ええ、勿論優しいだけでこの世を渡れる程、世界は甘くなかったはずです」
エバノワは紅茶をひとくち飲んでから、ゆっくりとカップを置く。キリムよりも年下だが、その姿のせいか言葉には重みがあった。
「でも、あなたは優しいのです。ほんのひと時でもあなたと話をし、あなたと考えを共有した人々は、あなたの事を笑顔で嬉しそうに話すのです」
「キリムといると、心が安らぐってことなのかな」
「ええ。わたしもキリムさんの優しさに触れてそう思っています。ただ、わたしの装備のお金はわたしが払います。これは優しさとは無関係なけじめです。わたしは戦いにおいて、仲間と対等でありたい」
そう告げ、エバノワはまた紅茶をひとくち飲む。年格好のせいで一見頼りなく思うものの、佇まいは凛としていて、引き締まった空気を纏っている。
徐々に旅人時代の勘を取り戻してきているように思われた。
「それに、あなたと同じくらい誰かを優しい気持ちにさせる人でありたい」
「確かに、我が主はため息が出る程のお人好しだ。もちろんキリム自身も、良い者らに恵まれてこうなったのだが」
「色んな人のお世話になったからね。本当に……多くの人の背中を見てきた」
今となってはキリムの方が誰よりも長く生きている。それでも、当時世話になった者達を超えたとは未だに思えずにいた。
生きていればこそだと教えてくれたアビー、弱きを助け、成長を手伝ってくれたマーゴ達。レベッカ達はキリムを庇い、力を示してくれた。
キリムは彼らの戦闘における強さではなく、人としての包容力や助けてくれた温かさを尊敬していた。
彼らの背中はまだまだ大きい。だからこそ、キリムは今まで謙虚な姿勢を貫く事ができた。誰よりも強いからと言って、誰よりも偉いつもりはないのだ。
「さて。ここまで言ってくれたのなら、俺も力にならないとね。優しいだけの人でしたなんて思われないようにしないと」
「魔窟に向かうんだったね。僕もどこまで自分の守りが通用するか、知っておきたい」
「エバノワ、貴様はエンキとワーフが装備を完成させるまで、この宿から決して出るな。あいつらが戻って来たなら、キリムと俺達は魔窟に向かう」
「わたしもと言いたいところですが、今は自分の命すら守れません。この宿のお手伝いなら、何でもやりましょう」
「それは助かります。エンキとワーフも装備作りに専念できますし」
そう言って、キリムは宿の事を一通り説明し、おおよその流れを教え込んだ。クラムがよく遊びに来ることなども忘れず伝える。
「分かりました。明日以降の食材や日用品はワーフ様にお願いするとして、気を付けなければならない事は……」
「うん。これはむしろ最優先でお願いしたい」
キリムは部屋の隅の棚を見つめ、ため息をつく。
「クラムアスラが何か怪しいものを持ってきたら、必ず断る、ですね。任せて下さい」
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