essence-07


「そうか、魔物と動物は全く異なる存在だけど、ここにいる魔物は命を救ってくれた事になるんだ」


「益獣の面をも併せ持つんです。餌はちゃんと与えますし、檻の奥の広い空間で多少体も動かせます。野に帰すことは出来ませんけどね」


「魔物のおかげで命拾いした者がいる、か。人にとっては受け入れ難い問題だろう。公にしなかったのは賢明な判断だ」


「この魔物は、良い事をした魔物ってことなの?」


 バベルは魔物を理解しようとしていた。魔物は生き物ではなく、この世界の全ての生き物の負の感情が具現化されたものだ。精霊クラムとは正反対の存在であって、強い魔物ほど負の力が強い。


 人や動物への敵対心が強く、飼い慣らすことは出来ないし、餌欲しさに媚びる事はないと言われている。


 けれどサハギンのように負の力が弱い魔物もいる。多少の自我を持っており、場合によっては一定の距離を保って共存する事も可能だ。


「魔物はね、人の命を奪ってしまう危険な存在なんだ。だけど……この世に魔物がいなければ、きっと人はもっと憎しみ合って、戦って、醜い生き物になっていたと思うよ」


「魔物は人の負の力の結晶だからな。魔物が絶えず発生し続ける、それは人に抱えきれない悪しき心が宿っている証だ」


 魔物がいなければこの世が負の感情に溢れてしまう。生き物にとって魔物は憎き相手であり、生きるために切り離せない存在だった。


「危険だったり、人を襲っちゃうから退治するんだね。でも危険じゃなかったら退治しなくてもいいんだ」


「そう考えてもいいのかもね。魔人のみんなも一緒だよ、危険じゃないし、人も襲わない。魔人のみんなに備わる魔物の力は、元々人のものだったのかもしれないんだ」


 キリム達の考察に、町長は満足げに微笑んだ。


「目の前の魔物には、魔人の魔物力が移し替えられています。そして、その魔物力は全ての生き物の抱えきれなかった負の力。負の力を担ってくれる存在。魔物だから殺せなどとは言えません」


「魔人の皆さんは、俺達が抱えきれなかった負の感情と共存しているんですね。だとしたら皆さんはとても強い。負の力を打ち消すだけの正の力を持っているって事だから」


 キリム達は魔物だから、悪いからで済まさない。町長はそんな姿勢を気に入っていた。


 キリム達がかつて戦って倒したガーゴイルは、魔物の中でも最強と言っていい存在だった。最終的にはキリム達が勝ち、ガーゴイルは負けた。


 町長はそんな客観的事実ではなく、ガーゴイルは「勝てなかった」のだと思い始めていた。


 キリム達には負が宿っていない。ガーゴイルには攻め入る隙がなかったのだと。


 自分達が悪しき心に蝕まれないのは、ほんの少しだけ善き心の方が強いからではないか。だとしたら魔人もいつかキリムのようになれるのではないか。


「我々が強い……か。そのように捉えて下さる方は初めてです」


「魔物の負の感情を抑え込み、人として正しくあろうと生きていける。それだけの力があるという事だ。生き物は負の部分を魔物に任せず、自身で上手く制御できる。それを貴様らが示しているという事だ」


「これ以上ない程嬉しい言葉です。我々はこれからもヒトデナシとならないよう、堅実に生きていきますよ」


 町長はにやけた顔を隠すようにまた歩き始める。1階へと戻った後、町長は公務があると言ってキリム達を見送った。


「では、明日のお昼にまたお越し下さい。職員に声を掛けて下されば案内いたします」


「有難うございます。明日、必ず」


 魔物と向き合う町の真実。この町でヒトデナシとされた者の行く末。それは後ろめたいものではなく、とても前向きなものだった。


「時に人は、強くなるため苦難を経験せねばならんのだろう」


「苦難、か。自分から進んで経験したくはないけどね」


「自分で用意できる苦難に意味はない。どうせ加減が織り込まれている。キリム、お前は忘れたか。お前こそ苦難を乗り越えた経験者だろう」


「苦難……まあ色々と大変なことはあったけど、特別なことではないよ」


 キリムはかつての旅を振り返っていた。イーストウェイで戦ったアンデッド、ノウイへ向かう途中で死にかかったウーガ戦、魔窟での死闘。そして、ガーゴイル戦だ。どれも苦難だが、キリムだけで乗り越えた訳ではない。


「俺だけじゃ、今までの戦いは乗り越えられなかったかもね。俺、本当の意味での苦難はきっと知らないんだと思う。たくさん力を貸して貰った」


 キリムがまさか双剣で戦う事になるとはと言って笑う。一方、ステアの言う苦難は少し違っていた。


「いつか言ったかもしれんが……いや、これはお前の父親に言った言葉だ」


「父さんに?」


「特別でなければ苦難と呼ばんのか。お前の故郷はお前の目の前で半壊した。親や友を失った。その悲しみを普遍的だと切り捨てる事が強さだとは思わん」


 ステアはキリムの従者であり、滅多な事では主を諫めたりしない。キリムは自分の考えが余程間違っていたのだろうと俯く。


「バベル、貴様も覚えておけ。真の意味で乗り越えた者は、越えた山を怪物のように大きく言う事はない。何でもないかのように言いたがる。だが間違いなく苦難を経験している」


「越えられるだけの強さがあった、ってこと?」


「最初からか、越えて強くなったのか、越えながら強くなったのかは分からんがな。苦しみに対し鈍くなることを強さとは言わん」


「……何となく、言いたい事が分かったよ」


「何となくでは困る」


「うっ……。その、何というか……」


 理解した事を瞬時に説明するのは難しい。だが、ステアはこんな時、急かす事も馬鹿にすることもない。それがキリムなりにしっかりと考えたものであれば、否定もしない。


「確かに、俺は多くを失って途方に暮れた時期があった。そこから這い上がれた事は、苦難を乗り越えたと言っていいと思う。でも……」


「でも何だ」


「やっぱり、苦難だと思いながら越えた事はないよ。ステアが手を引っ張ってくれた。マルス達が背中を押してくれた。自分の力で切り拓いたとは思ってない」


「我が主らしい結論だ」


 ステアは頷き、その考えを受け入れた上で1つ忠告する。


「自分の境遇をこれくらい普通だなどと考えるのはやめろ。親や友を失った者に対し、そんな些細な事と吐き捨てる気か。それこそヒトデナシだろう」


 キリムは腰が低いだけではなく、相手に失礼な程自分を卑下する事もある。ステアはそれをやめさせたかった。


「多くの者がお前を慕うのは、ありふれた事ばかりやってきたからだと思うか」


「……そっか、そうだね。認めてくれる人達を否定してるようなものだね」


「まったく、俺は自身の主を誇っているというのに」


「ご、ごめん」


「まあ200年以上変わらん奴が、今更変わるとは思っていない」


 本当に世界を動かすような事をしてきた人物なのか。バベルはキリムを見ながらそう疑問を抱いていた。


 ただ、キリムの傍にいると不思議と安心できる。それに、周囲には良い人が集まって来る。キリムは魔人に対して正の力が強いと言ったが、その力は自分の内側で戦うだけのものではない。


「僕、キリムの強さ、分かった気がする」


「俺の強さ?」


「うん。魔人のみんなと一緒で、良い力が強いんだ。だからキリムの周りにも良い人が集まって、良い力をくれる。悪い人にも悪い力に勝てるようにしてくれる」


「そう……かな」


「キリムが町長さんにそう言ったんだよ。僕も良い力が欲しい。僕は……そうか、攻撃する力じゃなくて、守るための頑丈さじゃなくて、良い力が必要なんだ」


 バベルは何かを掴んだようだ。


 キリムはバベルに指摘され、確かに自分が言ったと頭を掻く。謙遜したいがために、相手への言葉を否定する事はできない。


「良い力が強い、か。とてもいい響きだ」

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