essence-08



 * * * * * * * * *





 キリム達はホテルに泊まり、翌日には再び「闘技場」を訪れていた。観客と言えるほどの数ではないが、患者となる子供の家族や親戚、医師達が座っている。一般の見学者は10名にも満たない。聞けばその者達も、患者家族の友人知人だけという。


「大勢に見て欲しいというご家族もいれば、身内だけでというご家族もおります。今回はどちらかと言えば、後者に近いですね」


 町長はそう説明し、公務がありますのでと言って去っていった。


「あ、ギアナさんと、ブラックさんだ」


「あの場にいた者らも数名、か」


 魔物が麻酔を打たれ、小さな檻に入れられた状態で運ばれてきた。今回身代わり役となるのは、黒い体にまばらな赤い毛のボアだった。見た目はイノシシに近いが、上下に大きく鋭い牙が生えている。


 ボアは手術台へと移され、手足を拘束された。続いて眠らされた患者の少女が運ばれてきて、やはり手術台の上で手足を拘束された。無菌状態にするためか、患者の周囲は透明なビニールの覆いが施されている。


「眠らされた状態で全てが済むのなら、檻を分けたらいいのに」


「そう簡単にいかんからこの方法なのだろう」


「ねえ、キリム、ステア、奥から昨日の人達が連れてこられたよ」


「ほんとだ。手足を……拘束されてるね。武器も取り上げられてる」


 ヒトデナシとされた者達が、ギアナの仲間に連れられてやってくる。彼らは家族と檻を挟んで真向かいの段に座らされた。数名は喚いており、数名は顔が青ざめている。


「人体実験か! 俺達をどうする気だ、おい!」


「あんたも旅人なんだろ? なんでこいつらに加勢してんだよ!」


「うるせえよヒトデナシ、黙って見てろ。今のお前らは人じゃねえって事、忘れてねえよな、ん?」


 ギアナの仲間の男がヒトデナシ達へ凄む。男は装備を着ており、大きな斧を背負っている。敵わない事は分かっているのか、「ヒトデナシ」達は憮然とした態度ながら渋々座った。


 全員揃ったところで執刀医と助手2名が檻の中へと入る。いよいよ手術の開始だ。一体どうやって魔物力を引き出すのか、キリム達はそれに興味があった。


「ねえキリム、あれは? ねえ、お腹を切ったよ!?」


「静かに。あれは攻撃しているんじゃない、体の中の悪いものを取り出してるんだ」


 執刀医が患者の皮膚にメスを入れ、開腹していく。バベルの目には、それが無抵抗な者への攻撃のように映っていた。手術をバベルの力で邪魔しないよう、キリムは努めて優しく教えていく。


 キリム達からはその詳細まで伺う事は出来ないものの、魔人の体内は人族と異なっていた。心臓には黒い膜が張り付いており、黒い拳大の未知の臓器がその膜へと無数の血管を伸ばしている。


 それは魔物由来の臓器、かつて魔物の心臓だった器官だ。


 執刀医が助手に目で合図を送り、黒い臓器に繋がる血管の1つにゆっくりとメスを入れる。透明のカーテンの外で待機するブラック達に緊張が伝わった。


 助手がその傷口にカテーテルを通す。その先に小さな仕切弁と逆止弁があり、透明な箱へと繋がっている。その出口にも逆止弁があって、そこからまた細い管が少しだけ伸びていた。管の先は栓で塞がれている。


「……出てきたようだ」


「黒い霧が……あれは」


「形を失った魔物の気というところか」


 切られた血管から黒い液体が袋へと流れていく。その液体は袋の中で気体へと変わりった。患者の中で膨れ上がった魔物の力だ。


 袋の中で生きているかのように渦巻いて、その出口を探そうとしている。黒い霧は体を持たない生きた魔物。もし漏れ出したなら、この場の誰の体に入り込むか分からない。


「あれを……魔物に移し替えるんだね」


 執刀医はその様子を観察し、魔物力の流量を調節していく。それは魔人にとって血液も同然。急ぎ過ぎたり抜き取り過ぎた場合、患者はショック死してしまう。


「先生、そろそろ移し替えなければ」


「ああ、準備してくれ。逆流しないようにこちらの管を抜いた後だ」


 執刀医はゆっくりとカテーテルを抜き、血管の縫合を始める。それが終わった後、今度は肥大化した黒い臓器の一部の切除に取り掛かった。


 助手は魔物力が完全に気化した事を確認し、患者側の仕切弁のハンドルを回した。この場合逆止弁だけでも良いのだが、念のためだろう。


 それが済んだ後、助手が2人がかりで箱の下のハンドルを回し始めた。箱の患者側の壁がゆっくりと動き、箱の容積がどんどん減っていく。行き場のない黒い魔物力の霧は、魔物側の弁の先へと逃げ込んでいく。


「いよいよ移し替えられる、って事だ」


「あの霧を退治出来ないの?」


「気体のアンデッドにも拠り所はあるんだよ。粉々になった骨だったり、何か生き物の痕跡を媒体にしてる」


「あの霧にはそれがない。だから魔物力は安定しようと器を探す。体力が落ちた患者に戻ってみろ、命はない」


「あの箱から出せないんだね」


 あまり難しそうには見えなかったが、失敗すれば大惨事だ。患者の命だけでは済まず、複数人が次の先祖返り患者となってしまう可能性がある。


 ショービジネスとして利用されないのは、魔人にとって万が一の際に危険過ぎるからだった。


「箱の中の気体が圧縮されていく」


「キリム、あの人が持ってるのは何?」


「注射器だよ。そっか、注射器で全部抜き取るんだ」


「それを魔物に注入していく……作業は命がけだな」


 人の肘から手首ほどもある太い注射器に、黒い霧が満たされていく。全て抜き取った後、助手が魔物に注射針を刺した。


「あの箱の中に魔物を入れて、勝手に宿らせちゃだめなのかな」


「目覚めた瞬間破片が飛び散るだろうな。完全に宿っていない間に暴れ出せば、まだ体を手に入れていない霧が宿主を探し始めるだろう」


「あー……確かに。おとなしい間に全部魔物に入り込んでくれるか分からないのか」


 ヒトデナシ達は一言も喋らず、じっとその手術の様子を見守っている。この場が何をする場なのか、今何が行われているのか、察したようだ。


 ブラック達が助手の作業を見守っている。頑丈な枷をされていても安心はできない。魔物がいつ目覚めるか分からない状態だからだ。


 麻酔はとても高度な技術を要し、多ければ死んでしまい、少なければ効きが悪い。術中に目覚めてしまえば、心拍数や血流量も上がり、患者も痛みで死んでしまう。


 まだ執刀医は患者の縫合を続けている。それが済むまで患者を無菌室から出すことが出来ない。


「一番危ない瞬間……」


「あっ」


 半地下の空間にバベルの声が響いた。


「魔物の足がぴくって動いた」


「目覚めたのか」


 バベルの言葉が耳に入ったのか、ブラック達が一斉に武器を構えた。助手はやや注入のペースを速め、ブラックの仲間が途中で代わる。


「押さえとけ! 暴れるぞ!」


 ブラックの声が合図となったのか、ボア型の魔物はパチリと赤い目を開いた。


「ブオォォォ!」


 魔物の咆哮が鼓膜を破らんばかりに響き渡る。ボアの体中から黒い角が生え始め、咆哮はイノシシのものとは思えない、低く恐ろしいものに変わっていく。


「手枷が外れた! ギアナさん!」


「医者は任せろ! 縫合完了までどれくらいかかる!」


「あと1、いや2分!」


 ボアの両足と左前足の枷が外れた。ボアが暴れた事で寝かせられていた台が倒れる。ついに新種のボアは体の自由を手に入れた。


 真っ黒な体に太く長いトゲ。口を開けば鋭い牙が剥き出しになる。


「なんだこのトゲトゲ、患者に突進されたら終わりだぞ」


 前足で床を掻き、黒いボアが突進を始めた。ブラックの仲間が盾を持って立ちふさがる。しかし、まだ誰も攻撃しようとしない。


「……生け捕り作戦か」


 ステアが呟く。その声に反応し、近くに座っていた男が振り向いた。


「あんたら見学は初めてかい? 新しい魔物力が体に馴染んでいないうちに殺せば意味がない。いつも1時間は必死に耐える時間が続くんだ」

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