genius-07



 キリムはバベルの呟きの意味が分からなかった。守るためのクラムだから、自分が守られる訳にはいかないということか。それとも召喚士が死んでしまえばクラムも消えてしまうからか。


 拒否ではなくどこか悲しさを漂わせた言葉に、キリムは何も聞き返すことができなかった。


「僕は、守らなくちゃだめなんだ。守るのが僕の役目なんだ。僕の目の前で傷付かないで」


「バベルくん……」


 バベルは自分の使命を語る。どうやら呟きの意味は前者だったらしい。


「僕がいる意味がなくなったら、僕がいらないって思われたら」


「それはないよ」


「どうして? 僕が守らなくても良くなったら、僕の事を誰かが守らなくちゃいけなくなったら、僕はクラムとして必要なくなる」


「それは違う」


 バベルが涙声で訴える。キリムはそんなバベルの考えを否定した。


「俺は召喚士だ。召喚士はクラムのために存在してる。クラムに危機が迫ったら、例え共に死んでしまうとしても俺はクラムを庇う。そうしたいから」


「俺は召喚士を、主を全力で守る。自分がどれだけ傷付こうと、勝ち目がなかろうと、俺はキリムを守る。キリムが俺のために存在するなら、俺はキリムのために存在しようと決めた」


「だから、一緒に強くなれるんだよ」


 キリムとステアの言葉に、バベルはまだ納得がいかないようだった。


「みんなを守れる強さを身に着けるまで、誰かがバベルくんを助けちゃだめなのかい?」


「貴様1人で事足りるのなら何処へでも行け。その未熟さで守りたいものを守れるなどと驕るなら、貴様にそれ以上の成長はない。俺が世話を焼く必要も価値もない」


「……でも、僕は守られるのは嫌なんだ」


「それならばさっさと強くなれ。力なき者が何かを守れるほど、世界は甘くない。召喚士が傷付くクラムを放っておけると思うか。我が主を蔑むのなら許さん」


 ステアの言葉でバベルはようやく気付いた。


 守りたいという気持ちは、バベルだけが持つものではない。自分が傷付いてでも盾になる。その様子をキリムは黙って見ていられるのか。嬉しいだろうか。


「そっか。僕は……みんなを守るために、みんなが安心できるように、もっと強くならなくちゃいけないんだ。何もかも教えて貰ってばっかりの僕じゃ、頼りないんだ」


「ようやく身の程を知ったか。ならば黙ってキリムと俺の世話になる事だ」


 ステアは結局優しい。厳しい事を言いながらも、バベルを見捨てる気など更々ない。彼なりに、バベルを励ましたのだ。


「さーて、どうしよっかな。今回ばかりはサハギンに同情するよ」


「ああ、無用な戦いは好まん」


 1体のサハギンはまだ幼体を片腕に抱えて座っていた。キリム達をじっと見つめながらようやく船の縁に立つ。


 ゆっくりと船体に張り付くようにして降りていき、やがて見えなくなった。


「多くの魔物は人を捕食するために襲う。元々は人々の負の念が生み出したものだからな。しかし、こちらが注意していれば避けられる事もあるのだろう」


「見つけたからって退治しなくてもいいのかもね。負の感情をこっちから向けなくてもいいんだ」


「ああ。この世に正と負がある限り、倒せば減るというものでもない。上手く避ける事も大切だった」


 凄惨な状況だが、危機は去った。何人かに礼を言われ、船員からは頭を下げられ、旅人からは握手を乞われる。それも暫くして落ち着いた。


 仲間のために戦った数十体のサハギンの亡骸に手を合わせ、キリムはバベルの肩を叩く。


「みんなを守ってくれて、有難う」


「……僕は、何を守りたいんだろう。サハギンは、悪くなかった。でも、僕は人を守った。あの男の人も」


 バベルは寂しそうに呟く。サハギンの赤ちゃんを奪ったのは人だ。けれど、こんな状況でもクラムは人を守らなければならないのか。バベルはまだ存在意義に迷っていた。


「どちらも守ったというのが正しい」


「え?」


「サハギンの子供を守った。それが結果的にこの船の危機を救った」


「でも……」


「サハギンを庇い、人を殺させた方が良かったか」


 ステアの問いには容赦がない。そして、分かりやすい。


「キリムは最善の動きをした。貴様もそうだろう。魔物が人と対峙するという事は、戦いや死を覚悟しているという事だ。奴らはそれでも守りたいものがあった。お前はそれを守った」


「でも、サハギンの仲間はたくさん死んだよ」


「真実が分かった後、生き残ったサハギンはお前が救った」


「……」


 バベルはまだ何が正しいか、何が間違いか、何が最善かの判断が出来ない。1つ1つ、考えて答えを出していくしかない。そうして自分を形成していかなければ、クラムとして1人前にはなれないのだ。


「バベルくん。原因を作ったのはあの金持ちだよ。君のせいじゃない」


「……でも僕は」


「君のせいじゃないんだ。その罪や責任は君のものじゃない。誰かの罪や責任を君が横取りしたら、悪い人は責任も罪も背負えない」


 キリムの話し方は決して直球ではない。けれど目線を合わせている事で、バベルにも分かりやすい。


「守るって事は、誰かの代わりに傷付く事じゃないよ。君が代わりに抱え込む事じゃない。あの場で君は全部を守った、今はそれでいいんじゃないかな」


「僕は、守れたの?」


「船は無事、怪我人はいても死者なし。サハギン達がそれでも守りたかった赤ちゃんは無事だった。バベルくんが守れるものは守ったよ」


 バベルは頷くでもなく、ずっと俯いていた。けれどそれ以上迷いを口にする事はなかった。後は自分の中でゆっくり消化するしかない。


「イーストウェイに戻るぞ。このまま乗り続けたなら無賃乗船だ」


「そうだね。船も動き出すだろうし、戻ろうか」


 キリムがバベルの頭をポンと叩き、お疲れ様と言って労う。その時、ふと後ろでデッキがパチッと弾けるような小さな音がした。


 3人が振り向くと、そこには綺麗なピンク色の貝殻が何枚も並べられていた。おまけに何かで突かれて仕留められた小ぶりなアジが2匹。


「これ……魚と紅貝の殻だ」


「こんな所に並べてあっただろうか」


 いつか、キリムがスカイポートで目にしたピンク色の貝殻。孤児院の子供達がお店ごっこをしていた時のものと同じ貝だ。それよりも一回りは大きいだろうか。


「あっ」


 そこに濃緑の鱗に覆われた細い腕が現れた。船の縁からそっと腕を伸ばし、丁寧に紅貝の殻が1枚追加される。


「サハギンだ……」


 殻の数は全部で8枚。大きくて欠けた所もなく、もし町に持ち込めば重宝されそうな最高品質。サハギンはそれを並べ終えた後、そっと縁から顔を出した。


「もしかして、くれるの?」


 サハギンと目が合う。サハギンはビクリとして手を引っ込めたが、目を逸らそうとはしない。


「バベルくん、多分……守ってくれて有難うってさ」


「そう、なの?」


 バベルは怖がらせないようにゆっくりとしゃがみ、1枚をそっと手に取った。


「凄い、綺麗だね。有難う」


 バベルがサハギンに微笑んで礼を言う。するとサハギンはギギッと鳴き声を上げて顔を引っ込めた。


 次の瞬間、何十体ものサハギンが一斉に顔を出した。同時に大量の紅貝の殻がキリム達の足元に撒かれる。


「うわぁ……!」


 それはまるでピンク色の絨毯。サハギン達はキリム達の驚きを確認した後、船の側面を下りていく。


「サハギンはバベルくんにお礼がしたかったんだ」


「魔物に礼をされる者など、お前が初めてだろう」


 暫く考え込んだ後、キリム達は肩当を外して器にし、全てを丁寧に拾い上げた。まさかのサハギンの好意だ、無駄には出来ない。


「サハギンの死体、ちゃんと海に還そう」


「そうだな」


「あっ……」


「夜が明ける」


 水平線の先が輝きだし、空が青く染まり始める。船と共に1日が動きだす時間が訪れた。


「今日は、きっといい1日だよ」

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