genius-06
キリム達は扉付近で混乱を回避するため、ステアの瞬間移動でデッキに姿を現した。その瞬間、サハギン達の視線は一斉にキリム達へと向けられる。
「ギギギ!」
「ギギギギ……キイィィィ!」
成体がステアの脇からすり抜けて幼体を奪い返そうとする。キリムとバベルが幼体をデッキに座らせると、途端にサハギン達が幼体を取り囲んだ。そうしてキャビンや旅人達には目もくれず海へと去っていく。
「うわっ、いきなり現れた!」
「サハギンが帰っていく……な、何があったの!?」
旅人達は事態が飲み込めず、キリム達とサハギンを交互に見比べる。
「と、とりあえず一掃を再開していいんだろうか! 言われた通り、倒さず防御だけでやり過ごしていたが」
「その必要はありません! この船の乗客の誰かが、サハギンの赤ちゃんを持ち込んでいたんです。サハギン達はその4匹を取り返しに来ただけです」
「は、はぁっ!? 魔物の子供を……」
「なんて馬鹿なことを」
旅人達は真相を知り、呆気に取られていた。魔物同士の絆がここまで強いとは思っていなかったものの、取り返しに来ただけなら行動にも説明が付く。
「金持ちってのは、その地位だけで十分だろうに。何故禁止されていることをやりたがるんだ」
魔物の密売は、旅人達もよく知る犯罪だ。魔物を飼おうと試みて死ぬ者が毎年何人もいる。魔物は動物と似ているが、明確に区別される生き物だ。飼い慣らすことなどできない。
しかし赤ん坊の頃から人が面倒を見れば、人に懐くと考えている者がいる。そう言って金持ちに売りつける悪人もいる。
魔物を飼い慣らせずに死んだ者は、すなわち魔物を飼った者の数に等しい。だからこそ自分が飼い慣らせることで、金持ちの中でも一目置かれる。
自分だけが出来たと誇れたなら、圧倒的なステータスとなる。この世界の金持ちは特別に弱い。
「サハギンの幼体を群れに帰します。魔物は人の脅威ですが、今回は人が魔物を焚きつけたようなもの。今やるべきは、サハギンの殲滅ではなく船を守る事です」
「あ、ああ……そりゃ、こんな場所で戦わずに済むなら、それに越したことはない」
成体が大事そうに幼体を抱え、1匹ずつデッキの縁から降りて行こうとする。仲間が大勢殺された恨みなのか、それとも幼体を取り返してくれた礼なのか。
最後の1体が幼体を抱えたまま、じっとキリム達を見つめていた。
「な、何が起こったんですか! サハギンがみんないなくなりましたが」
デッキに客や船員達が出て来た。急に静かになった事で、様子を見に来たのだ。
「客のうちの誰かが、サハギンの子供を荷物室に持ち込んでいた」
「だからこの船が狙われたってこと? まあ、迷惑な話だわ!」
「飼い慣らす事なんて出来ないって聞くけど、どうする気だったのかしら」
客達の反応も、概ね旅人達と同様だ。だが、そのうちの1人が慌てて駆け寄り、キリムの1歩前に出た。
「こいつ! 俺のサハギンを!」
「……はい?」
白いガウンを来た太めの男が大声で怒鳴った。寝起きの襲撃だというのに、しっかりと金のネックレスを身に着けている。長めのウェーブの髪を掻き上げる度、高価な腕時計が光を反射する。
見栄を張りたいのだと一目で分かる行動だ。
「お前か! それともお前か! 俺のサハギンを盗んだ奴は誰だ!」
「さては貴様が元凶か。サハギンの群れは子供を取り返すために襲ってきた」
「だから何だ! 何のために旅人が船の護衛をしてると思っている! サハギンくらいで船は沈まん!」
男は憤慨し、手当たり次第に詰め寄る。その様子からは反省や懺悔など微塵も感じ取ることが出来ない。それどころか、船にこれだけの被害を出しておきながら、自分の積荷しか気にしていない。
「お客様、この召喚士さん達が見つけてくれなかったら、船が沈んでいたかもしれないのです! いくらお客様でも我々クルーは容認できません」
「魔物の密輸に手を貸したなんて事になれば、我々は全員職を失います!」
「だから何だ? 船は沈んでいない、誰も死んでいない! 魔物は取られて俺が損をしただけだ! 謝罪しろ、代わりのサハギンを持ってこい!」
男はキリムを睨みつけ、胸倉を掴んだ。キリムはそれでも怯まない。
血生臭いデッキの上には、サハギンの死体が転がっている。鱗が船の明かりを反射し、不気味な程にキラキラ光る中、まだ最後のサハギンは海へ逃げていなかった。
「あなたの横暴に無関係な人を巻き込まないで下さい」
「あ? コイツ、俺がゴーンで1番の権力者と分かってて言ってんだろうな? ん?」
男がキリムの胸倉を掴んだまま引きずり、サハギンへと近寄る。サハギンは幼体を抱えたまま震え、それでも守ろうとしゃがみ込む。
「貴様、我が主に何をする」
「ステア、手を出しちゃ駄目だ」
言われずとも、クラムは人に手出しが出来ない。男の手を捻り上げてキリムを解放させるくらいはできるが、その程度はキリムだってできる。ステアが睨みつける中、動いたのはバベルだった。
「……なんだこのガキ」
「駄目、サハギンはちゃんと海に帰すって約束した」
「約束だあ? サハギンとでもお話したのかい僕ちゃん? ガキは引っ込んでろ!」
男はバベルに右腕を振り上げた。バベルの能力があれば、旅人でもない男の殴打など恐れるに足りない。しかし、キリムはそれを分かっていながら体が動いた。
男の手を捻り上げて解き、バベルと男の間に立ちはだかる。
「こいつ……!」
男は狙いを変え、今度はキリムの左頬を襲った。もちろん、その程度ならキリムにとって脅威とはならない。
キリムは男の拳を受け止めず、敢えて左頬を差し出す。それで男の気が済めばいいと思っていた。ただ、このような時にもバベルの能力は発揮される。
その手は男の拳を掴むことなく、見えない壁に阻まれた。
「なっ、なんだ今の……さては魔法を使ったな! 卑怯な真似……を」
男は重そうな足を上げ、今度はキリムを蹴り飛ばそうとする。キリムは男を睨むでもなく見つめ、バベルの前から動かない。
こんな時、キリムが従えるクラムが黙って見ている訳がない。ステアの手が男の腕を掴もうと手を伸ばす。相手が人ではなかったなら、文字通りとっくに斬り捨てていただろう。
その寸前で、男の体は前方へ大きく弾き飛ばされた。
「うあぁぁッ!」
サハギンの死体が浮く赤いプールに、鈍い音が響く。同時に水しぶきが上がった。
「キャッ!」
「な、なんだ!?」
「お、おい、その子……」
バベルが青白く強い光を放っている。バベルの防御能力が男の行動を攻撃とみなし、弾き返したのだ。
風が湧き上がるように髪がふわりと揺れ、冷たい目は男へと向けられていた。いつもは綺麗な色黒の肌も、今は夜空の下を不気味に輝く。
「守ると、決めたんだ」
その言葉はいつものバベルからは想像できない程、力強いものだった。キリムに対してなのか、それともサハギンに対してなのか。
「僕が守りたいもの、邪魔するな」
プールサイドに上がった男は、ガタガタと震えながら頷く。
男の全身は見事にずぶ濡れ。赤く染まったガウンは肩からずれ落ちていた。気が付けば金のネックレスもどこかへ消えている。見栄などどこへやら、這って距離を取り、許してくれと繰り返し呟いているだけだ。
「サハギンは悪い奴じゃない。仲間を守りたかっただけだ。でもお前は悪い奴だ、誰も守らない」
「ひっ……」
「キリムは優しい。キリムと一緒にいる人達はいつも頼もしい。だから人のために……生きるのは楽しい事だと思ってた。お前が人じゃなかったら良かったのに」
バベルの言葉にその場が静まり返る。男の敵意がなくなったと判断したのか、バベルを包む光が淡くなった。
「キリム」
発した声は、いつもの穏やかなものに戻っていた。
「……何?」
バベルがキリムへと振り向く。その青い瞳は悲し気に揺れ、涙が筋を作っていた。
「僕を守らないで」
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