genius-03
皆が沖へと視線を向ける。周囲の船が救助のためにその場に残っているのなら、この場の者も駆けつけるべきだろう。
しかし魔物が出ていると分かっていて向かうのは勇気がいる。結界装置も漁船1隻に1台備えられるほど安価なものではない。
「そうだ! ステア、ここから見えているなら瞬間移動出来るんじゃ」
「厳しいな。暗すぎる上に、目視で正確に捉えられる距離ではない。バベル、お前はどうだ……と言っても呼び出された事がなければ無理か」
「助けてと呼ばれているのは分かるのに! その人が僕の事を知らないから、傍まで行けない……」
召喚士に呼び出されたなら駆けつける事もできる。しかしバベルは存在を知られておらず、ステアも固有術を誰にも教えていない。
既に客船に召喚士がいて、クラムが呼び出されている可能性はある。だがそれはクラム同士で察知できるものではなかった。
「でも、行かないと……なんとか船を出してもらえませんか」
船を出してもらい、目視できる位置まで近づいてもらうしかない。キリムは一瞬船酔いが過ったものの、腰の双剣の柄を握って船を出してくれと頼んだ。
「しっかしよ。船を横付けしたところで、よじ登る間に襲われちまうぞ」
「近づきすぎたなら、こっちの船まで乗り込んで来るかもしれねえ。実際、この2人の船にはサハギンの死体が転がってる」
夫婦が乗っていた船の甲板を見れば、銛で突かれたサハギンが生々しい。その銛だって船に何本も積んでいる訳ではない。何体も同時に現れたなら漁師が戦う術はないのだ。
事態は一刻を争う。だが漁師も見物人も、皆が手を上げられずにいた。キリムは再度皆に呼びかける。
「俺は召喚士です! この2人はクラム。近くまで連れて行ってもらえたら、そこから船に飛び乗る事が出来ます!」
「え? 召喚士と、クラム!?」
「ふえーたまげた。まるっきり人だあ、クラムとは思わなかった」
「兄ちゃんあんた、クラム2体も呼び出せるのか、こりゃすげえ!」
キリムの恰好のせいか、旅人と思われていても、召喚士だとは気付かなかったらしい。バベルの濃い褐色の肌は目立つも、漁師にとって日焼けは当たり前。もっと肌が黒い者だって大勢いる。
「クラムがいれば、なんとかなるんじゃねえか」
「あ、ああ……ただ、連れて行ったとしても、帰りが心配だ。仲間の船もどうなるか……」
「船は俺が守ってやる。船の間を行き来する事くらい訳のないことだ。我が主とバベルが客船でサハギンを殲滅すればいい。目視できる範囲ならばどこにでも行ける」
「ほぉ……すげえ存在とは聞いてたが、やっぱりすげえ」
どんなベテランでも、1人、2人でそこそこの大きさの客船を守れるかは分からない。だがクラムと聞けば途端に頼もしく思えてくるものだ。
気付けばサイレンを聞いて船を心配しに来た者、野次馬、大勢が詰めかけている。皆がまるで戦いに勝ったかのような歓声を上げた。
「よし、船は俺が出す! 向こうの白い船だ、乗ってくれ!」
キリム達は漁師の後ろを小走りでついていく。小さい船は揺れるが、乗せてくれと頼んだのはキリムだ。やがて動力機が音を立て、小さな操舵室横の小さな煙突から煙が立ち上った。
初めての船、初めての海上。バベルはそんな状況を気にもせず、ただ客船を見つめている。
「行くぞ! 揺れるからどこかに掴まっててくれ!」
40代くらいの漁師の男は銀色の短髪に鉢巻をし、無精髭が輝いて見える程の笑みで舵を握る。白い半袖の丸首シャツに、赤い長靴。サハギンと戦うには無防備にも程があるが、何故か頼もしく見えた。
「も、もう揺れてるんだけど……」
「フン、伝説の召喚士とやらが聞いて呆れる台詞だな」
「まだ、まだ酔ってないから」
船が全速力で走り出す。暗闇の中を黒い波に乗り、時には宙に浮かぶような感覚に陥る。ひっくり返るのではと心配になるような揺れに、キリムは気持ち悪いと思う暇もない。
沖合へ10分。船の名前が見える程の位置までたどり着き、皆が客船の状況を確認しようと甲板へ目を向ける。
「キリム見て! 何か燃えてる!」
「攻撃術士がいるんだ! 良かった、戦える人はいるみたいだ」
「おい船主! 俺はキリムとバベルを連れて客船に移る! すぐに戻るからここで待っていろ!」
「あ、ああ! しかしまさか飛び移るわけ……って!? 消えた!」
漁師はタラップに近付こうと、船を少し移動させる。しかし目を離した一瞬の隙に、もうステア達の姿は消えていた。慌てて客船へと目を向ければ、そこにはステアの姿がある。
「と、とんでもねえ奴らだ」
全長百メルテあまり、乗客定員は200名程度の豪華客船。ルソレア号と書かれた船の前で、漁師の男はしばし呆気にとられていた。
* * * * * * * * *
「俺は船首のデッキのサハギンを一掃! バベルくんはお客さんを守ってくれ! 外にいる人は船内に避難させて!」
「分かった!」
「キリム、俺は先程の船に戻る。漁船を守らなければならん」
「うんお願い! ステア、頼んだよ」
「……フン、自分の心配だけしておけ」
ステアはすまして応えたが、主に頼んだと言われて嬉しいのだろう。やや口角が上がった表情でその場から消えた。
キリムはデッキを駆け抜けながら船首へ向かう。バベルは反対へと走っていく。
「通路は確保! デッキのサハギン多すぎるだろ……!」
駆けつけてみれば、そこは流石は豪華客船と言うべき造りだった。
海の上を走るのにも関わらず、プール付きのデッキは足元に全てウリン材が使われている。アイアンウッドと呼ばれる程頑丈な木材だ。
しかし普段ならハンモックやパラソルが並び、真水のプールで優雅に遊んでいる場所も、今は凄惨な状況だ。サハギンの鱗がライトボールに照らされキラキラ光り、ぬめりのある血がそこらじゅうを染めている。
「応援に駆けつけました! 状況を!」
「お、応援!? どこから……い、今は2パーティー8人でサハギン数十体の群れと交戦中! キャビンに向かった個体をうち2名が追ってます!」
「キャビンの加勢にあと2人行って下さい!」
キリムは近くにいたピンクの寝間着姿の女性に状況を尋ねた。杖と魔導書を持っているが、着替える暇はなかったようだ。他の者も剣や槍を構えているが、やはり装備は着ていない。
半袖の白シャツに短パン、ズボンだけで上着を着ていない者もいた。
そんな服装で果敢に飛び込んで行けというは無茶だ。旅人達は自分に迫り来る個体の相手で精いっぱいに見えた。
「バベル、みんなの盾になってくれよ……」
バベルを1人にするのは初めてだ。それも、魔物に襲われ大ピンチな船の上。クラムだから問題ないとは思いつつ、心配が呟きとなって零れていく。
「援護を! ……剣閃!」
キリムが双剣の刃を前に向けたまま、内側から外側へと一気に払うように押し出す。その瞬間、巨大な光の刃が発生し、サハギンの体は上下真っ二つに切り裂かれる。
キリムの前方数メルテは、サハギンが半円状に転がるだけとなった。
「す、すげえ……双剣でこの威力」
「負けてられねえ、俺達も行くぞ!」
防戦一方だった者達に力が戻る。キリムの戦いを見て、攻撃こそ最大の防御である事を思い出したのだ。
「行けるわ! 誰か私の護衛を! 私が全員を回復するから大暴れしちゃって!」
「おう!」
半袖半ズボン、上半身裸、寝間着。そんな姿であっても、旅人達は勢い良くサハギンの群れへと飛び込んでいく。勝てる、俺が倒す、誰もそう意気込んでいる事だろう。
デッキのサハギンはみるみるうちに数を減らし、劣勢と判断した個体が逃げようと海へ飛び込んでいく。
「押してるぞ! このまま……」
1人の男が勇ましく叫ぶ。その時、船の後方から爆発音が鳴り響き、デッキが大きく揺れた。
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