genius~与えられた使命~

genius-01


 genius~与えられた使命~



 ゴーンを離れ、キリム達はイーストウェイへと向かっていた。今ではすっかり汽車酔いもしなくなり、キリムは窓の外を流れゆく景色も微笑みながら眺めていられる。


 何度か型が変わり、最新の汽車は揺れが少ない。かつては客車の列よりも長く引き連れていた煙も、今は微かに鼻をくすぐる程度だ。


「うわあ、凄い! とっても綺麗」


 広大で高低差の殆どない塩湖が地表に逆さの空を描き、どちらが本物か分からなくなる。バベルはそんな外の景色に目を輝かせていた。


「バベルは平気なのだな。我が主殿はこのような景色を楽しむ事もなく、終始俺の膝の上に頭を乗せ、唸っていたというのに」


「もう、200年も前の事を言わなくたっていいじゃないか」


 キリムがステアの昔話に抗議する。ステアは首を傾げ、不満そうだ。


「俺にはキリムとの200年の思い出がある。どんな瞬間でも昨日のように鮮明に覚えている。それは俺の自慢であり何事にも代えがたい財産だ。何が気に入らない」


「……そこを先に言ってくれたらいいのに。俺は乗り物が苦手で、汽車も船も乗ると気分が悪くなってたんだ」


「キリムは揺れるのが苦手なの?」


「うん。流石にワーフみたいに地震だなんて大騒ぎしないけどね」


「今は大丈夫?」


「うん、流石に慣れたよ。心配してくれて有難う」


「……まるで俺が心配していないかのように聞こえるが」


 ステアは心外だとでも言いたそうだ。キリムはステアの機嫌を取るため、いつも有難うと付け加えた。


 車窓から見える逆さまの空に別れを告げると、もうしばらくでイーストウェイに着く。キリムは食堂車でサンドイッチを買い、到着までの数時間を思い出話に費やした。




 * * * * * * * * *




「着いたぁ! ハァ、久しぶりだね」


「そうだな、随分と来ていなかった」


「なんだか、変な匂いがする……」


「ああ、これは海の匂いなんだ。説明するよりも実際に見に行こうよ」


 晴天の下、キリムは旅人らしく深呼吸をし、海の匂いを体いっぱいに吸い込む。海鳥の鳴き声が頭上を行き交い、幾分か近代的になった町並みも、まだ殆どが木造だ。


 以前の面影を残すイーストウェイに、キリムは自分が初めて訪れた時の事を思い出す。


「ここで、アビーさんって女性と出会ったんだ。ステアの次くらいには俺の旅に重要な人だった」


「何かくれたの?」


「まあね。もう壊れてしまったけど、ステアと俺に赤いブレスレットを。それと、強さに驕るなって教えてくれた」


「人はいつか死ぬ。その死をどう受け入れるのか、死が人にとってどのような意味を持つのか。とても貴重な経験だった」


 アビーの墓はもうない。彼女の兄弟が夫の墓と共にノウイへと移したからだ。空き家だったあの店は、取り壊されて海産物店になっている。


 景色に面影はあっても、確かに時は流れていた。


「僕も会ってみたかったな」


「俺も、もう一度会えたらって思うよ。会いたい人は……いっぱいいるんだ」


「いつか、会えたらいいね、キリム」


「うん、そう……だね」


 バベルの言葉は真っ直ぐだ。会いたい人に会えたらいい、そのままの意味だった。しかし、キリムはクラム化によって、今では睡眠中に夢を見る事も殆どない。


 人として生きる事を捨て、ステアとカーズになった。夢で会う事もできず、人に死後の世界があるとしても、キリムがそこに行く事はない。


 もちろん、会いたい人達はいつまでも思い出の中にいる。けれどそれは出会えるという意味ではなく、あくまでも脳内で過去を振り返るだけに過ぎない。


 会いたい時、寂しい時。そのかけがえのない者達は、悩みを聞いてくれることもなければ、寄り添う言葉を掛けてもくれない。


「キリム? どうしたの?」


「……ん? ああ、海を見に行こうか」


「バベル。お前もいつか分かる時が来る。出来る事なら来て欲しくないものだがな」


「死ぬって、なにか嫌な事? それとも悲しい事?」


「両方だ」


 バベルは人の事をほとんど知らない。守りたいという本能が働いても、死ぬことや、傷付くことを正確に理解できていなかった。バベルを生み出した願いが漠然としたものであるせいかもしれない。


「……クラムの主の代償はあまりにも大き過ぎる」


 キリムはあまり他人と深く関わろうとしない。親、子、孫と何代にも渡って宿泊小屋を利用してくれるキャラバンもいるし、召喚士ギルドの職員は多くが顔なじみだ。


 けれど、彼らは必ずキリムより先に年老いていき、キリムより先にこの世を去る。キリムが寂しそうに見送る姿に、ステアはこれがあるべき姿なのかと疑問が湧いてしまう。


 キリムは勇気を出して一歩進んだのではなく、ステアを選んだのでもなく、ただ人である道を諦めたのではないか。それは自分のせいではないか。そう思わずにいられない瞬間が幾度もあった。


「ステア、俺が決めた事だって何十回も言ったはずだろ。それよりほら、あれが海だよ」


 キリムは気持ちを切り替えてニッコリと笑った。その視線の先には港があり、真っ青に見える液体が空の終わりまで続いている。


「うわあ……! あれは全部水?」


「そうだよ、海岸まで下りてみよう」


「海を見せるのであれば、スカイポートに行くべきだったかもしれんな」


「そうだね、砂浜がある町は大陸でも2つくらいしかないし」


 港の岸壁から海を覗けば、海藻に覆われた石がゴロゴロと転がっている。小さな魚が群れをなして通り過ぎ、穴の隙間から蟹がコソコソと出て来ては隠れてを繰り返す。


 海面下まで続く階段の海面ギリギリまで下り、バベルは満面の笑みを浮かべた。


「あれ、あれって魚だ! 魚がまるで生きているみたい」


「いや、まさに生きてるんだけど……。いつも食べている魚は、生きているものを捕まえたものだよ。肉だって、生きている動物を食べさせて貰ってる」


「死んでしまうの?」


「うん。俺達を生かすために身を捧げてくれるんだ。だから、感謝の気持ちを込めていただきますって伝える」


「そういうお祈りだったんだね。僕も次からそうする」


 バベルにとって、人の死と魚や家畜の死はまだ等しいのかもしれない。けれど、バベルは死が特別な意味を持つのだと理解し始めていた。


「俺もバベルも、召喚士が無駄な死を遂げる事のないように生まれた存在だ。誰が死に意味を持たせるのかは俺にも分からん。まだ死ぬべきでないと思った者を守る」


「うん、分かった。生きる人のために、生きているものを食べちゃう事も分かった。でも……そうじゃない動物や魚は守ってもいい?」


「好きにしろ。だが俺達は守りたいもの全てを守れるほど万能ではない」


 バベルが物事の理解を一気に進めるのはまだ早い。キリムはバベルが矛盾や不甲斐なさを経験する前に、それを受け入れるための知識を増やす事を優先する事にした。


「えっと……生きている魚を見つけた所から、すっごく深い話になっていってどうしようって思ってるんだけど。バベルくん、海の感想は?」


「とっても臭い。でもとっても綺麗で面白くて不思議! 魚も、あの小さな動く岩みたいなやつも、長く水の中で息を止めていられるんだね」


「あー……どこから説明を始めたらいいんだろう」


「俺に聞くな」


 キリムはなんとか魚のエラ呼吸を説明した。焼く前の魚を見せているため、おおよそは理解してもらえたはずだ。バベルは「分かった」と元気よく返事し、そっと両手で海水を掬う。


 バベルはそれが新鮮だったのか、また驚いてキリムを見上げた。


「キリム! 大変!」


「何? もしかして……冷たさが分かった? 小さな魚でも掬った?」


「海って、青かったよね」


「え? うん、そうだね。真下はそうでもないけど、遠くは青く見える」


「海を手で掬ったら、青じゃなくて透明になっちゃった! どうしよう、元に戻るかな」

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