Babel-11



「バベルの力……正体は分からんが、相手の殴打が何かに遮られたようだった」


「うん。そ、それより早く血を飲ませてあげないと」


 弱っているのなら、召喚士の血を飲ませるのが一番だ。しかしキリムは自身の血を飲ませることができない。かといって意識がなければ代わりの錠剤も噛めない。


 血のパックは常温で持ち歩く訳にもいかず、いつでも戻れるからとアスラに預けている。


「仕方がない、洞窟に戻るぞ」


「うん、力を使ってくれたのならお礼も言いたいし、褒めてあげないとね」


「子供ではないのだぞ、クラムとして当然だ」


「当然だからって、感謝しないのは駄目だよ」


「その子供はクラムなのですか」


 ステアが行き先を変えようとしたところで声がした。ステアが振り向けば先程の老人が立っている。ステアはそうだと告げ、寝ている子をあやすようにバベルを抱えた。


「わ、わたしは元召喚士なのです。何かお困りなら……」


「おじいさん召喚士なんですか!」


「も、もう30年も前の話ですが。そうですか、あなたがクラムステア」


「ああ。召喚の力は年老いたところで消えはせん。元召喚士名乗るような口ぶりはクラムを見放したようで気分が悪い」


「旅人資格も返上しましたが、確かにそうですね、わたしは今でも召喚士です」


 ステアの言葉に、老人は深々と頭を下げる。旅人をやめ召喚士ギルドを脱退しても、召喚能力を失ったわけではない。召喚士にとってクラムは畏れ敬うべき存在だ。


 一方のステアも、戦の神、武神として姿を現していない事を詫びた。クラムにとって召喚士は特別な存在。ステアもいつもの不遜な態度に比べれば随分と腰が低い。


「あの、バベルくんに少しだけでも血を分けて貰えませんか」


「分かりました、身を挺して守ってくれたクラムのためなら喜んで」





 * * * * * * * * *





 キリムが「お騒がせしました」と言い終わらないうちに、ステアは瞬間移動をした。向かった先は召喚士ギルドだ。


 先程出ていったばかりのキリム達が老人を連れて戻ってきたため、職員たちは何事かと駆け寄って来る。その後ろでは積み上げた本が音を立てて崩れた。


「バベルの血が足りん。こいつに血をやる間、少し場所を借りる」


「は、はい!」


 職員からナイフを借り、男は皺が寄った皮膚にうっすらと傷を付ける。血が染み出してきたところでバベルの口に垂らし、少しずつ飲ませていく。その量はほんの50cc程度だ。老人の体調を考え、キリムはそれ以上を止めた。


「おじいさん、それくらいで大丈夫です。有難うございます」


「何をおっしゃいますか。わたしを守ってくれたクラムへのお礼は当然の事です」


 老人は腕にガーゼを撒いて服の袖で隠す。その間にステアはアスラから血のパックを受け取って戻って来た。


「後はどうにでもなる。固有術はないが、バベルは召喚士の危機を察知したのではないか。そうアスラが言っていた」


「そうかもしれないね。目覚めたらバベルくんに色々聞かないと」


「……目は、覚めました」


「あ、気が付いた?」


 バベルがゆっくりと目を開けた。ステアのようにパチリと目を開けてむくっと起き上がるのではなく、どこか人の目覚めに似ている。青い瞳は力強さを感じ、これまでのバベルの様子とは全く違う。


「どう、おじいさんを助けた時の事、分かる?」


「うん、分かる。ぼく、守らなきゃって思ったんだ」


 バベルはおじいさんを視界に入れてニッコリ笑い、良かったと呟いた。あの場でバベルははっきりと自分の意思で助けたのだ。


「クラムバベル、有難うございました」


 老人はバベルに深々と頭を下げられた。目の前の子供は助けてほしいと願った時、守ってくれたクラムだった。老人は無意識にクラムに助けを求めたのかもしれない。


「役に立てて良かった。ぼくはちゃんと人の役に立てたんだ」


 目の前にいる老人は、バベルにとって初めて自分を呼んだ者と言ってもいい。自分が何のクラムなのか、はたして誰に望まれたのか。自身の存在意義を見出せずにいたバベルにとって、これは大きな一歩だった。


「バベルくんは、守る事に特化した武神ってことかな」


「そのようだ。防御の魔法はいくつかあるとして、そのどれとも少し違う」


「プロテクトは相手に攻撃が当たらない訳じゃない。でもバベルくんは相手の男の殴打を寸前で止めさせた」


「バベル。自分がどのような能力を発揮したか、自身でよく分かっているか」


 バベルは少しだけ考え、首を横に振った。老人を守りたいと思い、攻撃を防いだ自覚はあっても、どう発動させたのかは分かっていなかった。


「もう少しバベルの力を知る必要があるな」


「そうだね。守ろうと思った時に守れるのか、何か条件があるのか、本当に守るだけなのか」


 クラムは窮地の召喚士から頼られる存在。不確定な要素を含んだままという訳にはいかない。まだ旅をしたり、実際に魔物と戦うなどして検証をする必要があった。


「それでは、わたしはこのすぐ近くに用事がありますので、これで失礼いたします」


「あ、はい。お元気で」


「おじいさん! もしまた何かあったら……ぼくの事を思い出して!」


「はい、有難うございますバベル様」


 老人が部屋を出ていく。見送るバベルの表情はいつになく清々しいものだった。


「バベルくん、ステアが持ってきてくれた血も飲んでおいた方がいいよ」


「うん」


 200ccほどが入ったパックの封を切り、バベルはそこから血を吸い上げる。これで1週間ほどは大丈夫だろう。


「さて、俺達も塔に手入れ道具を買いに行かなければな」


「そうだったね。ゆっくり歩いて行こうか」


 職員達に礼を言い、キリム達は再び装備を売る塔を目指す。バベルはまだ血を飲んでいるが、周囲からは子供が何かを飲んでいる、程度にしか見えないだろう。


「次の目的地をどうしようか……イーストウェイ?」


「そうだな、山越えよりも、人の暮らしに慣れさせた方がいいだろう。買い物の仕方も知っていいた方がいい」


「じゃあ、やっぱり鉄道だね。お金を渡すから、塔では自分で買ってみなよ」


 バベルはパックの血を最後まで吸い出し、大きく頷いた。そのパックを握りしめながらキリムを見上げ、目を輝かせながらニカっと笑う。


「ぼく、盾が欲しいです! みんなを守れる盾!」


 バベルは自分の存在意義を具現化したような「盾」に憧れを示した。


 バベルは盾を司るクラムなのかもしれない。そう思ったのと同時に、キリムは全く別の感想を口にしていた。


 キラキラとした笑顔に、血を飲んだばかりで真っ赤な口内。


「バベルくん……血で歯まで真っ赤になってて怖い」

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