Babel-10
バベルは剣盾士の男の腕をひねり上げた訳ではない。強く握ってもいない。ただ掴んだというよりはただ止めただけだ。それなのに男の腕はビクともしない。
「な、なんだこのガキ!」
男は小さな子供に拳を止められ、驚きと恥ずかしさで更に怒りを増している。周囲で見守る者達は、一体何が起きたのか理解できていない。
バベルは男を怖いとも思っておらず、ただ睨み返している。その堂々とした振る舞いは、他の武神にも劣らない。先程までの何も知らない少年が嘘のようだ。
「お、おい……もうやめとこうぜ」
小柄な男はバベルの異様な力と周囲の反応に怯え、この場から立ち去ろうとする。だが剣盾士の男はこのままで引き下がれないと思っていた。
イライラしていたからと老人を蹴りとばし、渾身の殴打を子供に片手で止められ、とんだ笑いものだ。男は更にもう片方の拳でバベルに殴りかかる。せめて周囲に強い旅人だ、怖い旅人だと思わせたかったのだろう。
「こいつ舐めやがって!」
バベルは男を睨みつけたまま動かない。男は旅人として己の力に自信があるのか、笑みさえ浮かべている。その拳はなかなかに早く、威力を感じさせる動きをしていた。しかし、その拳はバベルの顔面スレスレで止まった。
そこにまるで透明な板があるかのように、何度殴りつけようとしてもバベルに届かない。バベルはなおも男を睨んでいる。
バベルは反応できないのではなく、動こうとしなかったのだ。まるでこの結果を知っていたかのように。
「汚いぞてめえ! 魔法で防ぎやがったな!」
一般人相手に武器を手に取るわけにもいかない。男は悔しそうに歯ぎしりをし、血管が切れるかと思うほど目を血走らせている。それでもバベルは一切動かず、怯まない。
「も、もうやめなさいよ!」
「そ、そうだ、もう気が済んだだろう!」
「ベテランの旅人でしょう? 恥ずかしくないの?」
形勢が逆転しつつあると分かり、周囲の者が剣盾士の男を止めようとする。もう男が挽回する余地はない。これ以上続けたなら、既に下がっている評判が地を抉るだけ。
しかし男は意地になっており、諦めていない。何とか一泡吹かせられないかと考えながら拳が1ミリでも動かないかと力を入れ続ける。
「フン、貴様のように老人子供に手を出す下等な者もいるのだな」
「あ? 何だとコラ」
ふとステアが呟き、男を鼻で笑った。男はステアの物言いに睨む対象を変え、ふんぞり返ってステアを見上げる。
「下等だと言った。聞こえなかったか」
「てめえ、何様のつもりだ」
「貴様こそ、まさか人を名乗ってはいないだろうな。俺はそんな愚かな者が人の仲間とは思っていない」
男が拳を振り下ろすのではないか、周囲の者はそう期待していた。だがステアの言葉でその期待は爆発音を立てて粉々になる。
背後では治癒術士とキリムが男の治療を終えたところだ。老人はゆっくりと立ち上がり、自分のせいですまないと頭を下げる。
キリムは石畳の上に散乱した荷物を集めてやり、老人に優しく手渡した。
「何等級の旅人か知らねえが、町の外に出ろや。偉そうにしやがって、叩きのめしてやる」
「生憎俺は人相手に戦う事は出来ん」
男の敵意は完全にステアに向けられた。それはステアがバベルを守ろうとした意図の通りの結果だった。男の方も、内心子供相手にいきがる事を気にしていたのかもしれない。
「は? テメエ、さっきは俺の事を人じゃねえみたいに言ってたくせに、怖気づいたのか、ん?」
「なるほど、それもそうだな。おいキリム、こいつが自分から人ではないと名乗った場合、俺がこいつを斬り刻んでもいいのか」
「駄目に決まってるじゃん……」
ステアは実際のところ、男の敵意など気にもしていない。面倒臭そうに男から視線を外してキリムに確認を取る。男はそれを隙だと認識したようだ。
「何よそ見してんだ」
男はそう言いつつも、今度は右足でステアの右足を払おうとした。せめてステアがバランスを崩しさえすれば、それだけで少しはスカッと出来る。
だがその足はステアに当たる事がなかった。ステアが避けたのではなく、またもや見えない壁に阻まれたからだ。壁にぶつかったというより、足がそれ以上先に進まない。
「このガキ! 今はテメエに構ってんじゃねえ!」
「……僕の前では誰も傷つけさせない」
「あ?」
バベルがそう言った時、誰かがそっと呟いた。
「い、今キリムって……そっちの背の高いあんちゃんが、キリムって言ったよな」
「へ? あ、ああああーっ! 召喚士キリムとクラムステア! そうか、そうだ!」
「え、うそでしょ、本物?」
キリム達の事は一般人でも多くが知っている。塔の前の広場には幾人もの驚きが響き、遠巻きだった者達まで何事かと集まって来た。
「どうしたんだ、何があった?」
「あのキリムさんとクラムステア! 200近く前の戦い、歴史で習った!」
「へっ、へ、ええええ~!?」
驚きが更なる驚きを招き、辺りは人だかりで石畳も見えない。この状況ではもう剣盾士の男も手出しできず、悔しそうに俯いていた。
「まあ、そうだよね、目立つよね……。ステア、もう気が済んだ?」
「こんな小者に特段思う事はない」
「……バベルくんも大丈夫?」
「僕は平気。キリムとステアも大丈夫?」
「なんとも。さっきのって……」
キリムが先程の不思議な展開を振り返ろうとし、まだ男と対峙していた事を思い出す。キリムはやりづらさを覚えながらも男の前に立った。
「あの、クラムにこんな所を見せないで下さい。人のために生まれたクラムに、こんな事をさせないで」
「……お前、本当にあのキリム・ジジか」
「はい」
「そんな、俺はキリムさんの目の前で……」
旅人として、多少は真っ直ぐな心もあったのだろうか。男は途端に頭を下げ、老人を蹴った事やバベルとステアへの暴力行為を詫びる。
「あの、謝る相手が違うと思います。悔いているのならまずはお爺さんに。それとバベルくんとステアに」
「は、はい!」
剣盾士の男は連れの双剣士と並んで立ち、それぞれに頭を下げた。老人は自分も前をよく見ていなかったと言って、ぶつかった事を再度謝る。旅人側は治療費と言って幾らかを財布から取り出し、老人に握らせた。
「おい、貴様ら」
「は、はい!」
反省を見せ、心を入れ替えて詫びる男達に、周囲の者は仕方ない奴らだと漏らして怒りを鎮めた。そんな中、ステアは最後に男達に忠告する。
「相手によって態度を変えるのか。こいつがキリムでなければ殴ったのだな」
「そ……れは」
「俺は許さん。それを覚えてさっさと消えろ」
「は、はい!」
男達は群衆を強引に掻き分け、一目散に駆けていく。キリムは手伝ってくれた治癒術士に礼をし、老人の無事を確かめた後で苦笑いをした。
「……この中からどうやって出ようか」
「仕方がない、駅付近にでも瞬間移動するか」
キリムがバベルの肩を支え、ステアが2人の肩を両手でつかむ。
「あ、あの、お騒がせしました、失礼します!」
そう言ったと同時にステアが瞬間移動をしようとする。が、その直前にキリムとステアが掴んでいたはずの手から、バベルの肩が抜け落ちた。
「え、バベルくん?」
「どうした」
バベルがそのまま膝から崩れ落ち、石畳の上に倒れてしまった。バベルの意識はなく、慌てて揺り起こそうとするも目を開けない。
「ど、どうしよう……バベルくん!」
「もしや、先ほどの全て攻撃を一切通さなかった術は、バベルが使ったのかもしれん。元々満足でなかった血があれによって使われたのだろう」
「あれが、バベルくんの……力?」
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