Babel-09



 これから何か悪い事件が訪れるのではないか。キリムはそう言いながら「デル」の事を思い出していた。彼は平和を願いながら、方法を間違ったために脅威を生み出してしまった。


 ただ、そのお陰で生を受けた者達もいる。エンシャント島には現在もその子孫が暮らしており、人となんら変わらない生活を送っている。


 魔物の脅威もある程度は落ち着いていて、今のところ争いの火種はない。武神は何を予感して誕生したのか。


「4,500年前なら鉱山や土地を巡って戦ったりしていたらしいけど」


「クラムは人を攻撃しませんからね。人と人の争いだとしたら、クラムバベルの発生理由にはならないかと」


「デルのように、魔物を利用する可能性もありますが、そのような事態なら情報も入っているかと」


「ともあれ、バベルが武神というのが不可解だ。今の世の中がどうなっているのか、少し知る必要があるな」


 宿を長く空けるつもりはなかったが、バベルを知るための旅は一筋縄ではいかないようだ。キリムはギルドの職員に礼を言い、旅客協会を後にした。


「なんか……ごめんね。人が願ったから生まれてきてくれたのに、何をお願いしたいいか、人が分かってないなんて」


「ううん、平気。キリムは僕のこと、必要って思ってくれるよね」


「俺にはステアがいるから、クラムとしてって事じゃないけど。でも宿を一緒に手伝ってくれるなら嬉しいよ」


「うん、今はそれだけでも平気、ありがとうキリム」


 バベルに笑顔が戻る。ステアはバベルの発言も、キリムの言葉も咎めなかった。自分のあるべき主の優しさも、誰からも求められない辛さも、どちらもよく分かっていたからだ。


 日中のゴーンはとても栄えており、色々な人や物が行き交う。キリムが初めて旅に出た当時と比べ、通りの建物は随分変わった。石畳のメインストリートは相変わらずでも、その両脇に露店は殆どなく、コンクリート製の4,5階建てが増えた。


 かつてどこからでも見えた装備を売る「塔」は、改修されて真っ白になった。近くに行くか場所を選ばなければ、建物に遮られてその姿が分からない。


「この辺りにエンキの工房があったよね。ジェインズのイサさんがエンキの代わりを連れて来いって言ったから、後継者を20年くらい指導してた」


「そうだな、そんな事もあった」


 メインストリートだけでなく、少し入った路地も歩いてみる。バベルは宿で見たものと同じ果物や小物を見つけては、嬉しそうにその名を口にした。


「あれは林檎、あれは葡萄、あれはワイン」


「うん。物の名前を覚えるのが早いね」


「物や人が多いゴーンを見物させて、気になるものを探すというのも手か。気になる理由が分かれば、そこから辿りやすい事もある」


 どこに向かっているという訳でもない。なんとなく塔を目指し、なんとなく武器防具でも見ようと思っていただけだ。特に何も気にならなければ、人々の暮らしを垣間見て、自分が活躍出来そうな事に気付くのもいい。


 所々にまだレンガ造りの建物が残っている。キリムが昔を懐かしんでいると、目の前に白い塔が見えてきた。メインストリートは手前でカーブするため、キリム達は2つ奥の路地まで真っ直ぐ歩く。


「装備は買わないけど、手入れ用品は買った方がいいかもね」


 荷物を最小限にしようと、キリムは色々持ち物を省き過ぎた。着替えくらいしか持って来ていない。お金ならしばらく大丈夫だと言って財布を取り出そうとする。


「あっ」


「ん? どうしかした?」


 キリムが財布を取ろうとした隙に、バベルが前方へと駆け出した。


「バベルくん! あー迷子になる!」


「何があった」


 路地裏で迷子になられてはたまらない。町内放送を依頼しても、バベルは周囲に何があるか、物の名前も知らなければ、殆どの文字も読めない。キリムとステアは急いで後を追う。


「バベルくん!」


 バベルは曲がり角を曲がることなく、まっすぐ走ったようだ。塔の手前の広場に立っており、その前には人だかりが出来てた。


「げっ、あの速度で誰かにぶつかっちゃった?」


「クラムはそんな……いや、あいつなら分からんな」


 キリムとステアが急いで駆け寄る。幸いにも誰かを跳ね飛ばしたわけではなかったようだ。だが、状況が良いとも言えない。バベルの目の前には2人組の旅人がおり、雰囲気的には一触即発だ。


 バベルの後ろでは、年老いた男が蹲っていた。バベルは両手を真横に伸ばし、誰かから老人を庇おうとしている。杖や鞄が散乱しており、恐らく老人と旅人がぶつかったのだと思われた。


「おいチビ、何の真似だ」


「そのジジイが俺達にぶつかってきたんだぞ! 買ったばかりの装備汚しやがって」


「あーあー、傷が入っちまった、弁償してくれんだろうなあ?」


 バベルは2人組の旅人を睨んだまま、その場を動かない。片方は細身の双剣士、もう片方はとても体が大きく、盾と剣を背負った剣盾士だ。風貌からしてそこそこのベテランに見えた。


「バベルくん!」


「おじいさん、悪くない」


 この広場は前方にうっすら見えていた。とはいえ、バベルはぶつかった瞬間を見ていたのだろうか。人のためになりたいと焦り、老人を庇おうと思ったのか。としても、咄嗟に駆け寄るにしては遠すぎる。


「悪くないだと? ぶつかっておきながら痛ててじゃねえよ、まずは申し訳ございませんだろうが!」


「酷いわ! 痛いって言ってるのは、あ、あんた達が蹴ったからでしょ!」


「あ? なんだと? もっぺん言ってみろ」


 1人の女性が声を荒げたが、剣盾士が睨みつけて脅す。女性は何も言えなくなり、悔しそうに俯いた。他の者も、助けたいとは思っても、粗暴な男達に殴られたくはない。


 しかし、バベルだけは目の前で立ちはだかっていた。


「おじいさん、大丈夫ですか」


 キリムは自分がおじいさん以上のおじいさんである事も忘れ、しゃがみ込んで老人に声を掛ける。蹴りの威力は然程でもなかったようだが、しりもちをついた際に骨を痛めた可能性がある。


「まったく、旅人として情けない奴らだ」


 ステアは腕組みをし、2人組に負けないくらい不機嫌な顔をする。


「あ? ジジイを助けてんじゃねえよ」


「俺達がまず謝られないといけない側なんだぜ?」


「俺は貴様に謝るような事は何もしていない。旅人のようだが、貴様ら大した功績はなさそうだな。等級は何だ」


 2人組はステアの顔を見て、どこかで見たような気はしていた。しかしそれが誰だったかを思い出せない。装備を着ているため、同業者と思ったようだ。


「偉そうに、お前の等級は何なんだよ、あ? そのジジイの知り合いか?」


「それなら代わりに謝って貰おうか。弁償もお前がしてくれんだろ? ん?」


「先に質問したのは俺だ。フン、旅人はここまで低俗に成り下がったか、嘆かわしい。旅客協会もそろそろ来る者拒まずの姿勢を改めた方がいいな、馬鹿には務まらん」


「なんだと?」


「貴様らのような奴らがいると、旅人の質が疑われると言っているんだ」


「こいつ……舐めやがって!」


「舐められていると理解できるだけの知能はあるのか、意外だな」


 ステアは男達を見下し、鼻で笑う。わざと挑発した訳ではないのだが、男達を更に怒らせてしまい、とうとう剣盾士がステアへと殴り掛って来た。鋼鉄の小手で殴られたなら、普通の者は骨折では済まないだろう。


 武器や魔法を使わなければ、旅人協会のルールには反しない。それを理解した上での行動なのかは分からないが、もしステアがクラムでなければ大惨事だ。


 勿論、ステアは全く脅威と思っていなかった。この程度なら片手で掴んで止められる。けれど、その拳がステアに届く事はなかった。


「なっ……?」


 男とステアの間にいたバベルが淡い青の光を発し、男の拳はバベルの細い片手で掴まれてしまったのだ。

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