Babel-07



 キリムはバベルの呟きに冷や汗を掻きつつ、誰かに物を教える難しさを感じていた。一方のステアは教えてもいない事を勘違いした方が悪い、と考えている。50歩100歩の常識力でも、やはりバベルの面倒はキリムが見るべきだろう。


「軽鎧着終わった?」


「うん。外で寝る事はないの? 外で寝間着は着ないんでしょ?」


「装備を何のために着ているか。それは自分の身を守るためだよね。野宿と言って外で寝る事もあるけど、もしもの時のために装備のままで過ごすんだ」


「なるほど。僕はクラムだし、主を守らないといけないから装備のままでいた方がいいね」


 納得の仕方があと一歩だが、ひとまずは分かって貰えたようだ。


「ステア、せっかくだから野宿の仕方も教える?」


「そもそも俺がキリムと旅をした事が異例なのであって、大半のクラムは野宿など経験した事がないぞ」


「あ、そっか」


 何事も経験だと考え、キリムは野宿をしてみようと持ち掛ける。しかしクラムが外で夜を明かす事などまずない。バベルがあるべき主と出会った時に、その主に教わればいいことだ。


 今のバベルに必要なのは、旅のノウハウではなくこの世界の知識、常識を身に着ける事だ。しかしバベルは何も出来ないながら、好奇心は旺盛だった。


「僕、野宿してみたい。外で寝るだけ?」


「あー……外で焚火をしたり、ご飯を食べたりして、見張りを交代しながら外で寝る事かな」


「じゃあ、僕も焚火をして、ご飯を食べて、見張りして、外で寝てみたい」


「クラムが率先して寝てどうする。血を分け与えられ、主を守るのが俺達だ。主を寝かせ、自らは起きて周囲の警戒に当たるんだぞ」


「それでもいい、やってみたい」


 偶然にもキリムが初めて村を立った夜、ステアと初めての野宿を経験した岩場が近い。キリムはステアと相談し、自分達が百数十年前に休憩した場所と向かう。


「周囲を見渡すことが出来る、魔物が来にくい、身を潜められる、そんな場所を探すといいよ」


「洞窟に帰っちゃ駄目なの?」


「クラムの洞窟に足を踏み入れた事がある者は、キリムやエンキを含めほんの数人だ。やむを得ない事情がなければ連れてくるな」


「分かった」


 キリムは別に眠いと感じていない。しかしバベルのために焚火の準備をし、自身の就寝のためにブランケットを地面に敷いた。ゴツゴツの地面の上で寝るのは久しぶりだ。野宿でさえ数十年はしていない。


「キリム、お前は寝ていろ。バベルに見張りを覚えさせる」


「なんだか悪いね、俺だけ休んじゃって」


「野宿や見張りを経験させるなら、誰かが寝なければならん。俺は戦いを教える役目を担っているのから、俺が寝る訳にもいくまい」


「う……ん? あれ、見張りの交代は?」


「バベルが寝てどうする。外で寝たいなら、いずれ勝手にすればいい」


「いや……なんかちがう」


 そもそも誰が眠い訳でもない。ステアもキリムが数日寝なくても問題ない体である事は知っている。クラムは1カ月寝なかったところで気にもならない。


 クラムは疲れないが、人は疲れる。人は疲れたら寝る、眠りたいから野宿をする。そんな根本的な事を教える事が出来ないまま、キリムは浅い眠りについた。





 * * * * * * * * *





「うわあ、これ全部が人の棲み処なんだね!」


「まあそうだけど、表現は追い追いでいいか。この町がゴーン。ミスティは小さな村だけど、旅人はこんな大きな町と町を行き来するんだ」


「旅人には旅客協会というものがある。旅人がクエリという依頼を受ける事は教えたはずだ」


「うん」


「え、そんな事まで教えたの」


「見張りは暇だからな」


「俺の前で暇って言わないでよ、なんか……寝たかった訳じゃないのに居た堪れない」


 キリムが起きた時、バベルはとても清々しく満足げな朝を迎えていた。周囲への警戒、焚火に最適な木の枝の選び方、様々な事を学んだようだ。


 更にキリムから少し離れ、見張りがいなければ魔物がキリムを襲ってしまう事を覚えた。その魔物に駆け寄り、鎌を振り下ろし、結局ダークウルフを10匹も倒した。


 とはいえバベルの血が飛び散った顔、赤く染まった軽鎧。そんな姿で満足げに微笑まれては寝覚めが悪い。


 そのままにはしておけず、出発に時間が掛かってしまったのは言うまでもない。


 ゴーンの町に着き、バベルは人の多さに驚いていた。おまけに今まで見てきた建物の中で、一番立派なのものがキリムの宿だ。それを上回る石壁やコンクリートの家々は、バベルの価値観を一新させた。


「人っていっぱいいるんだね」


「え? あ、うん。色んな町に、とても沢山人がいるんだ」


「僕の主が見つかるかも! どの召喚士に声を掛けよう!」


「クラムは呼ばれるものだ。もしくは相応しいと思った者にしか仕えない。それに召喚士はとても少ない。人すなわち召喚士という訳ではない」


「そうなんだ……」


 バベルが肩を落とす。それでも町の活気には興味があるようだ。


 もしもバベルから目を放せば、どうやって見つけられるのか。生憎キリムはステアの主であり、バベルを召喚することは出来ない。バベルもキリムの居場所を知る手段がない。


 バベルの見た目は子供で、頭脳も子供相当。すなわち、子供。絶対にはぐれる事が出来ない。


「大丈夫かな」


 しかしキリムは別に、バベルが迷子になる事だけを心配している訳ではなかった。


 自分が頑張って寝ている間、一体ステアはバベルにどんな事を吹き込んだのか。


 ステアは探求心が旺盛だ。しかし、導いた結論が正しいかどうかまでは把握できていない。きつねさんパジャマがその悪しき例だ。旅人の事、野宿の事、そこに若干の勘違いが混ざっている可能性は大いにある。


「まずは町を歩くぞ。人がどのような生活をしているか、興味はあるだろう」


「あ、うん。ねえ、あれはミスティにもあった牧場だね」


「そうだよ。俺は旅に出てすぐの時、迷子の羊をこの近くの牧場に譲った事があるんだ。今考えると拾得物の横領なんだけど……」


「羊って、なに?」


 ミスティには馬、豚、鶏などがいる。しかし羊はいなかった。寝間着の豚と本物の豚が違う事を不満そうにしていた事はさておき、バベルは羊を知らない。キリムは百数十年前に羊を譲った家の前を通り、羊とはどれかを教えた。


 今でもあの家のひ孫が同じ場所に住んでいる。もう交流はないが、100年程前までは時折立ち寄っていた。


「あれが、羊……まるまるとして、きっと美味しいんだね」


「いや、あれほとんど毛なんだ。毛を刈って、それを服やブランケットを作るための糸にするんだよ。糸って、これね」


「家畜は喰らうためとは限らない。馬車と言って、馬に荷車を牽かせる事もある」


「機械の代わり、って事だね」


 商店では買い物を覚えさせ、旅客協会では旅人とは何かを教えた。読み書きが出来ない事に気付いたのもその時だ。キリムは本屋に立ち寄り、学習帳と簡単な絵本を購入した。


「今日から俺が文字を教える。この絵本を自分で読めるようになったら合格」


「うん!」


「使い魔獣パトラッシュ、主を探して……か。どのような本だ」


「分かんない。でも主探しをするなんてバベルやクラム達っぽいなって」


 キリムは主探しという自分との共通点があれば、絵本への興味も湧くのではないかと考えた。可愛い猫の絵が書かれた表紙を眺めつつ、そういえばバベルは猫も知らないんだったと苦笑いする。


「もう1冊買ったのか」


「うん、でもこっちを読めるようになるのはまだ先かも。絵本より字が多いし、物語も長い」


「どんな話だ」


「分かんない。題名は召喚士の旅、だってさ。俺召喚士だし、試しに自分で読もうかなって。ステアも空いた時間にどうかな」


「考えておく」


 通りの看板を指さし、キリムはそこに書かれている店名や呼び込み文句を読み上げてやる。おかげで旅客協会に着いた時、バベルは「バ」「ベ」「ル」の文字だけは理解できるようになっていた。

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