memento-03(112)


 近くの木の枝が折れる音がし、咄嗟に2人は短剣を構えた。しばらく襲ってこないまま時間が経ち、キリムは再度音がする方を警戒しながら様子を窺う。


 再び木の枝を踏むような音が聞こえ、目を凝らしながらその方向を見ていると、ふいに目の前に何かが転がった。


「これは、ポーションの瓶?」


「キリム、誰かいるぞ」


「え、見えない」


「白い服を着た女だ」


「ひっ!?」


 キリムは飛び上がらんばかりにびくりと肩を震わせ、ステアの視線の先をおそるおそる覗き込む。どうやらキリムは怖がりらしい。


「まさか、幽霊……」


「本気で言っているのか?」


「言ってるよ! だからさっきから怖いって言ってるじゃん!」


「アビーは何だったのだ。まったく、俺にしがみついて震えていろ、とにかくこっちだ」


 捜索に来たとはいえ、人里離れた辺境の地でふいに誰かに出会ったなら、やはり驚くものだ。キリムの足取りが重いのを見かねて、ステアが街道脇の森の中へと入っていく。


 ほんの数歩分け入ったところで大きな木が目の前に姿を現す。その幹の根元には女性が座り込んでいた。幽霊には見えず、その顔はしっかりとこちらを向いている。キリムは驚きつつも咄嗟に駆け寄った。


「あ、あの、大丈夫ですか!」


「た、助け……」


「そうです、もう大丈夫です」


 女性は疲れ果てて見えるものの、外傷はなさそうだ。汚れた白いローブを着て、すぐそばには開いたままの茶色いショルダーバッグがある。両腕が確認でき、昨日見つけた腕の主とは違う事が分かる。


 探していた者かどうかは分からないが、キリムは安心させるために笑顔を見せ、自身の鞄から水筒と魔力回復薬を取り出して渡した。


「有難うございます! ああ、何とお礼を申し上げたらいいのか! もう駄目だと思っていました……」


「何があった」


 ステアが問いただすと、女性は自分の身に起こった出来事を語り始めた。


「ラミ・セレスティと申します。治癒術士です。サスタウンからこの道を使ってゴーンまで行こうとしていました。旅人になって4年目で、見たところ私の方が年上なのに助けてもらうなんて。不甲斐なく申し訳ない気持ちでいっぱいです」


「えっ? まさか1人で?」


「いえ、先週サスタウンで治癒術士の欠員が出たというパーティーに加入したんです。そのパーティーと一緒でした。先月までは学校時代の同期とパーティーを組んでいたんですが、1人が家業でやむなく引退した事で解散となりました」


「という事は、他の人がまだここに? さっき道に大きな剣もあったし」


「多分それはリーダーのものだと思います。でも、もうここには居ません」


「え?もしかして助けを呼びに?」


 ラミは座ったまま肩を落とし、首を横に振った。という事は、彼女はここに救援が来ると分かっていた訳ではないのだ。


 助けが来るか来ないかも分からないまま、動く事も出来なかった。つまり見捨てられたのだろう。


「いえ、逃げたんです。ハイランドウーガって、ご存知ですか?」


「知ってます。昨晩、2体のハイランドウーガを退治しました」


 キリムの嫌な予感が的中した。彼女はこんな誰も通りかからないところで見捨てられ、昨日か、もっと前から水を生み出す魔法フラッドだけを糧に生き延びていた。先程のポーションの瓶へと器用に魔法で水を満たし、あと何日もつか分からない恐怖と戦っていたのだろう。


 キリムは剣を振るポーズをしながら倒したことを伝える。それを見ながらラミは信じられないと言った表情で目を見開く。


「私達を襲った個体かも……最初はこのずっと南で戦っていたんですが、善戦も束の間、もう1体が襲ってきて。しばらくは持ちこたえていたんですが、2体相手出来るほどの実力は無く、撤退しようと逃げてきたんです」


「それでどうしてラミさんだけを見捨てて?」


「魔力が枯渇すれば、ただの足手まといですからね。加入したばかりですし。私が足止めの魔法を発動させている間に、構わず置いて行かれました」


「メンバーを置いていくなんて!」


 キリムはあり得ないと言って憤る。ステアは命のためとはいえ、仲間を見捨てるような旅人がいる事に驚いていた。


「足音が聞こえる程の距離で、もう追いつかれると思った時、カーブに差し掛かったので、魔物の視界から消えてすぐに森に入りました。仲間……だった人達は振り向くことなくそのまま」


 そう言ってラミが指さした場所には、人が入れそうな樹洞があった。その入り口を草木で覆い隠し、キリムの声が聞こえるまで1日半ずっと隠れていたのだという。


「他のメンバーは、どっちに逃げたのか分かりますか? 置いて行くとハッキリ言われたんですか?」


「そのまま北へ向かったのだろうと思います。4人の姿が遠ざかり、置いて行かないでと叫ぶと、そいつ……つまり私を囮にして逃げるぞと」


「ハイランドウーガは素早い。だがあの巨体のせいで曲がる、止まるといった動作は苦手だ。道を逸れた者を追うより、道をそのまま進んだのだろうな」


 ステアはハイランドウーガの性質をふまえ、パーティーを追い続けただろうと推測する。人の足よりもハイランドウーガの足の方が早い。森に逃げ込んだのでなければ、1本道を出る頃には追いつかれたのではないか。


 キリムはステアに頼み、ラミをこのままサスタウンへ送り届ける事も考えた。しかし、もしかしたら仲間がラミを探しに戻って来てくれるのではないか、そう期待してもいた。


 村や町から応援に来る者、助けを求めて歩く者の姿も見ていない。けれどキリムは他人を見殺しにする非道な旅人などいないと信じたかったのだ。


 ラミは怪我もなく治癒術士であることが幸いし、体調は良いと言う。キリムはラミを眠らせようと、見張りを申し出た。


「明るくなるのを待ちましょう。俺達が見張りをします。仲間がもしかしたら誰か1人でも助けに戻ってくれるかも」


「……そうですね。既に1日半ですが、信じてみます」


 信じるとは言ったものの、ラミは安堵からか、それとも裏切られた悲しみからか、声を上げて泣き出す。


 まだ若く、攻撃する術を持たない治癒術士の女性が、1人きりで隠れていたのだ。さぞかし怖かった事だろうと、キリムは泣きやむまでその場を離れず、背中をさすって宥めていた。


 治癒術士はその力を最大限に高めるため、攻撃術を習得しない。攻撃に流れた魔力は人を癒す力が著しく低下するのだ。


 誰かをサポートする事に特化した治癒術士の旅は、パーティーを組む事が前提となる。敵を排除したり、自身を守る事にも得手だ。ラミが1人残されたのがどういう事か、パーティーは分かっていたはずだ。


「俺だって、1人でこんな所を歩けないよ」


「人の感覚は分からん。だが治癒術士が1人というのは無謀だな」


「倒せないからね。逃げ切れなかったらそれでおしまいだ」


 やがて朝になり、見上げた空は木々の枝葉越しに明るくなってきた。ハッと驚くように飛び起きたラミは、一瞬自分がどういう状況であるかを忘れて周囲を見回す。


「おはようございます、ラミさん」


「あっ……おはようございます。すみません、助けて頂いたうえ、見張りまで」


「大丈夫ですよ」


 ラミはキリムの姿を見て、それからステアの姿を確認した。ラミが眠りに就いてから6時間、残念ながら戻って来た者はいない。


「夜のうちに街道の入り口まで戻ったが、人が探しに来ている様子はない」


「そう……ですか。確認まで有難うございます」


 クラムと言えど、ステアは月明かりの中、森の中を探すことは出来ない。街道をまっすぐ引き返すのがせいぜいだ。


 予想出来た事ではあったものの、本当に見捨てられたのだと自覚し、ラミはの口からは落胆のため息が漏れた。


「全ての礼はキリムに言え。ハイランドウーガが現れるはずのない地点で馬車を襲った事で、旅人パーティーの壊滅を推測したのはキリムだ」


「もしかして、通りかかったのではなく助けに来て下さったのですか!?」


「そうだ」

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