dedication-10(109)


 キリムは慌てて鞄を漁り、傷に巻く布と包帯を取り出す。もう血を少しだけ舐めるように口に含もうなどと、思ってすらいない。


「いい。口を開けろ」


「何? ……って!」


 ステアはとうとう痺れを切らした。血を指で多めに掬い、キリムの口の中にねじ込んだのだ。重要な出来事のはずだが、殊更ステアに対しては、感動的なやり取りなどというものを求めてはいけないのかもしれない。


「んっ!?」


「いいから飲み込め。擦り傷くらいで騒ぐな」


 キリムは反射的にごくりと喉を鳴らした。ステアの血を飲んでしまった事実に狼狽えるも、暫くは何事もなかった。ステアがもう一度無理矢理血を口に含ませたくらいだ。


「どうだ」


「どうだって……特に変わったような気はしない」


「ほう。呆気ないものだな」


 カーズとなった瞬間に、明確に何かが変わったという感覚はない。本当に自分の成長が止まったのか、本当にカーズとなったのかも分からない。


 キリムは動揺しながらもステアの腕に包帯を巻く。ただ、その後で立ち上がろうとし、ふと体の力が抜けてしまった。


「キリム?」


 ステアが異変に気付き声を掛ける。慌てて倒れないように体を支えるが、キリムは何かを言おうとしてそのまま意識を失った。





 * * * * * * * * *





「おい、主が倒れた」


「誰……クラムステア!? お、おはようございます!」


 意識を失ったキリムをどうしていいか分からず、ステアは瞬間移動をして召喚士ギルドへ飛んだ。まだ時間は午前7時を過ぎた辺りで、職員は8時の開館に合わせ準備をしていた。


 時間差出勤なのか、いるのは男性職員だけだ。職員は慌てて駆け寄り、ぐったりとしたキリムを見て更に驚いた。


「キリム君! キリム・ジジさんはどうされたのですか!?」


「カーズとなったら急に意識を失った」


「カーズ……えっ、カーズ!? ああ、あの、カーズってその」


「俺の永遠の主だ」


 元々知識があったのか、それともノウイの召喚士ギルドから情報が入っていたのか、この職員もカーズの事を知っていた。


「と、とにかくそこに寝かせて下さい! 治癒術士ギルドの職員はまだ出勤していません、いつも8時ギリギリなんです。どうしましょう」


「それは俺が聞きたい」


 カーズとなった者が人の前に現れた例はなく、回復魔法が効くのか、なぜ意識を失っているのかも分からない。職員はどうしたものかと悩み、念のためと言って測定器具を取ってきた。


「すみません、情報は断片的に入っておりますが、ノウイでどのようなやり取りがあったか、教えて頂けますか」


「カーズになれる期限が迫っている、そして自己回復力が落ちていると聞いている。だがカーズになれば関係ない筈だ」


「意識が無い以上意味がないかもしれませんが、測定しましょう」


 職員はキリムの小手を外し、小さな針を左腕に刺す。次にほんの僅かだけ抜き取られた血を顕微鏡のような装置に乗せる。最後に血をまた少しシャーレに落とすと、紙に吸わせ、薬品を垂らした。


「何をしている」


「霊力を測定しています」


「意識はないんだぞ」


「霊力の多くは血に含まれます。その成分を見ています」


 その仕組みは分からずとも、キリムの体に何が起きているのかを探ってくれるのは心強い。その結果が出るまで待つことにし、ステアはソファーに座った。


「やはり……あなたの血を取り入れた事で、変化が起こっているようです」


「変化?」


「人の血とは明らかに違う……クラムステア、あなたの血を採取させていただけますか? もし私の考えが正しければ」


 ステアは包帯を外し、まだ滲んでいる血を職員が持つシャーレに注いだ。職員はそれをキリムの血に垂らし、反応を観察する。


「やっぱり! キリム・ジジさんの霊力にあなたの霊力が吸われてます! ただ、あなたの血がまだ足りていないようですね」


「好きなだけ飲ませればいいのか」


「程度に関しては分かりません。ただ、受け取った血が少ないのでしょう、まだ不完全な状態で覚醒出来ずにいるようです。血が完全に馴染んでいないんです」


「ならば無理にでも口に入れるしかない」


 ステアは職員から血の入ったシャーレを受け取り、少しずつキリムの口に流していく。喉が鳴った事を確認すると、ステアはそのままキリムを膝の間に座らせた。むせたり逆流する事を心配したようだ。


「お前は……目覚めるよな」





 * * * * * * * * *





「あれ?」


 キリムはふと気が付くとミスティの自宅にいた。


 懐かしく固いベッド、薄くくたびれたブランケット、土間の床、窓がなく蝋燭1本だけで照らされた薄暗い室内。将来旅人になれたら行きたいと思って飾っていた遠い異国の写真。


 ステアが連れて来てくれたのかと思ったが、姿は見えない。


「あら起きた? 何時だと思ってるの。すっかり陽も昇って、みんな畑に出ていますよ。さあ、井戸から水を汲んできてちょうだい」


 台所に通じる扉が開き、明るい光が差し込む。キリムによく似た顔、少し低めの背丈。赤みを帯びた茶髪を後ろで1つに束ね、粗末な装いながら、どこか気品のある女性がそこに立っていた。


「えっ、母さん? 何で……」


 それは昨年死んだはずの母、イーシャだった。


「何で? 水汲みはあなたの仕事よ、今日はお休みなんて言ってません。寝ぼけていないでほら」


 キリムは状況がつかめず、そのままバケツを受け取る。


「俺なんで、あれ? 夢? これが夢? それとも、今までのが夢?」


 あまりにも違和感のない日常。キリムはおかしいと思いながらも井戸へと向かった。


「よう、キリム。はははっ、すげー寝癖! お前また寝坊したんだろ」


「ダ……ニヤ? ダニヤまでどうして」


「どうしてって、お前がこんな時間に水汲みに来るのは寝坊した時くらいだ」


 村でも数少ない同い年の友人だったダニヤが、井戸に腰かけている。黒い髪をやはりキリムのように寝癖だらけにして、粗末な服に裸足。いつもキリムが見ていた姿のままのダニヤだった。


「おかしい、みんな死んだはずなのに……どうして俺、ここにいるんだ? なあ、ダニヤ! 俺……」


「落ち着け、お前が望んだことじゃないか」


「望んだ事? 俺が望んだ事って何?」


 ダニヤが何を知っているのか。ステアの腕に包帯を巻いていたはずの自分が、なぜミスティで何事もないかのように朝を迎えたのか。キリムは焦りでダニヤに詰め寄ってしまう。


「キリム! 畑に来ないと思っていたら遊んでいたのか」


 ふと後ろから大声が聞こえ、振り向くとそこには半袖の白いシャツに麦わら帽子を被った男性が、くわを手に立っていた。


「うっ……そ、父さん?」


 体を壊し、杖なしでは歩けなかったはずの父親が、背筋を伸ばして仁王立ちしている。思い返すと、家中に張り巡らせた手摺代わりのロープは、今日の朝には見あたらなかった。


「違うんだ……これは俺が知ってる現実と、違う」


「そうか、もう戻るんだな」


 父親が静かにキリムに語り掛ける。いつの間にか母親も出てきており、見渡せばそれ以外にも大勢の姿があった。


 村の知恵袋だった老婆、力自慢だったオリガの夫、そして娘のカタリナ。良く見れば全員、デル戦が原因で命を落した者ばかりだ。


「皆の前で誓いたい。その決意に揺るぎはないな」


 父親の言葉に、キリムは墓前での言葉を思い出す。


「みんな、それを聞くために駆け付けて来てくれた?」


 キリムはもう人として死者の世界に行く事が出来ない。人ならざる存在となるキリムのため、皆が最後に背中を押そうと見送りに来てくれたのだ。


 ようやく事態を把握し、キリムの目からは涙が溢れる。


 アビーのように姿を現してくれたら、何度そう思った事か。


「あーあ、俺も召喚士として旅に出たかった。色んな所に行くんだろ、また聞かせてくれよ」


「うん、今度海の話をするよ」


「頑張って。あなたにはまだ行ってらっしゃいを言えていなかったわね」


「母さん……」


 キリムは鼻をすすりながら皆と抱擁をかわし、最後に父親と固い握手を交わす。


「お前が縋るべきは俺達じゃない。お前がこれから必要とするのは何だ」


「ステア……クラムステア」


「ああ。行って来い」


 ステアの名を口にした途端、キリムの全身が淡く緑色に光り始める。


「キリム! 俺達の分まで、頼んだぞ!」


「ダニヤ! 父さん母さん、みんな有難う! 行ってきます!」


 キリムの何処かに残っていた未練を断ち切るため、皆が夢に現れてくれた。キリムは覚醒していく意識の中で、そっと手を振った。

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