dedication-02(101)



 ステアの言葉にエンキはふと疑問を持った。


 あるべき主人と従僕、その関係において、あるべき主人の方だけ何かを失うという構図がしっくりこないのだ。エンキが出そうで出ない答えに唸っていると、食事まで終えたキリムが戻って来た。


「あれ? あ、おはよう」


「おう、おはよう! 元気になったようで良かったぜ。装備は修理のために預かるからよ、明後日まで待ってくれ」


「あ、うん。わざわざ有難う。新品なのに早速修理なんて申し訳ないな」


「装備は飾りじゃねえ。この軽鎧が命を守れたなら褒めてやってくれ」


 エンキはキリムと会話をしながらもステアに視線を送り、ステアもじっとエンキの言葉を待っている。ステアはまだ答えを聞いていないと言いたいのだろう。


「あるべき主人の方だけ何かを失うのか? ステア、あんたは何かを失うのか? じゃなけりゃ、キリムは何も失わねえよ」


 エンキはそう告げて扉を閉め、自分の部屋へと戻っていく。何の話なのかさっぱり分からないキリムをベッドに座らせ、ステアは窓際の壁に寄りかかり、腕組みをした。


「昨日の話をしたい」


「あ、うん。話があるって言ってたよね、何?」


 疲れも取れ、腹も膨れたキリムは穏やかだ。これからの話がどれ程ステアを悩ませているか、考えてもいない。


「お前の自己治癒力の低さの原因についてだ」


「え、原因? あー……体質、それか回復薬に抗体があるとか」


「違う」


 やはりキリムは自身の事を何も分かっていなかった。心当たりがありそうな素振りでもすれば、答えを自ら導き出させたいところだが、ステアは早々に諦めた。


「俺とキリムがカーズとなっていない事に対する悪影響だ。事実かどうかを確かめるすべはないが、昨日エンキやワーフ、あの服屋どもとそのような仮説に至った」


「悪影響……ステアが調子を崩した時みたいな事?」


「俺はそうだと考えている」


 言われてもピンとこないのか、キリムは自分の手を見つめながら考えている。昨日あれだけ皆で話し合って導き出した答えだ。急に言われて理解できないのは仕方がない。


「俺が召喚されずにお前の血を飲んだせいで、衰弱したというのは分かるな」


「うん。召喚士に求められて血を飲まないと、クラムは存在意義につながらないって」


「正しくはあるべき主従の場合、だ。だがそれはクラムにだけ現れる悪影響なのだろうか。人であるキリムに、何か影響が出ているのではないか。そう考えるべきだった」


「俺への悪影響は、自己治癒力の低下ってこと? 確かにステアだけ影響が出るってのはおかしい。でも、それは何故?」


 何故自己治癒力に影響したのか、その真実を知る者はいない。けれどステアは昨日導き出した仮説と共に、その理由を説明する。


「あるべき主従はクラムにとって、召喚士にとって、理想の主従である事は理解しているな」


「うん。ステアは俺の理想だし、必要としているクラムで間違いないよ」


「俺にとっても、キリムは俺の理想の召喚士という事だ」


 キリムもそれは分かっている事だった。ステアは自分を窮地から救い出し、更には目標へと共に進んでくれる存在だ。そこにもはや疑いはなく、だからこそカーズとなる事も覚悟している。


 ステアが自分の願いを叶えてくれる存在ならば、きっとデル討伐も出来る。キリムはそう信じて今までやって来た。


「端的に言えば、キリムが俺の理想とする主人から外れつつあるという事だ」


「え、俺が……ステアの理想と違ってきた? どうして? それで俺の自己治癒が遅れるってどういう理屈?」


 ステアの主なら、自分はステアの理想のはず。キリムは不思議に思っていた。ステアはその答えを言わない。キリムに少し考えてみろと言いたいようだ。


「ステアを呼ばないと、ステアは俺にとって必要ないって事になって、調子が悪くなったよね」


「ああ、そうだ」


「俺は、ステアにとって必要ないって事になって……自己治癒が遅くなる、あれ? 自己治癒できないって事は……調子が悪くなって俺が死ぬ、というか消える?」


「あくまでも推測だが、そうなのではないかと考えた」


 キリムはようやく事の重大さを悟ったようだ。自己治癒できないという事は、これから衰弱していく可能性もあるという事だ。まだ日常の活動や戦闘に大きな支障は出ておらず、回復薬を飲んで1晩寝たら次の日には元気になれる。


 しかし、この事実が分かってもなお同じことを続けていたら、それがどうなっていくかは目に見えている。そして、それ以外にも確認したい事があった。


「俺が理想から外れるってどういう事? 俺が引き延ばしにしている事で、ステアに影響が出るのは分かるんだけど」


「今のお前の状態が俺の理想だからだ」


「俺が、もう強くなってるって事?」


「ああ、だが俺にも主に対する理想像があったらしい。俺はキリムを崇めると言うよりは、師として必要とされたいのだと分かった。キリムはそろそろ師を必要としない存在になりつつある」


 ステアの理想の主について聞き、キリムはようやく把握した。ステアの描く主がキリムの姿と掛け離れつつある。キリムが完璧を目指せば、ステアはキリムを育て導くような存在でいられなくなる。


 つまり、ステアはカーズとなる前に、これ以上成長することを望んでいないのだ。


 キリムにとって、それは簡単にはいそうですかと片付けられる問題ではなかった。


 秋に17歳になり、今年ようやく18歳になるという若者と、例えば20代も後半に差し掛かるような者は、とりわけ旅人の間では体格が違う。


 キリムは身長の伸びが止まった訳でもなければ、髭が生えてきた訳でもない。体は軽くしなやかで双剣士として適した体だとしても、永遠にこのまま取り残されるのだ。


「俺に、これ以上強くならないでって、そういう事?」


「成長だって出来るなら存分にすればいいと思っている。ただ、俺の強さを必要としなくなる事に不安があったのは事実だ」


「俺の願い、ステアの願い、その両方を合わせるなら、もう今しかないって事だよね。俺、今の強さでデルと戦えると思う? カーズになったとして、俺はこれ以上強くなれないんだ。未熟な部分があるからこそ、ステアを必要としているんだし」


「俺だって戸惑っている。俺がまさか主人であるお前の志を半ばで折り、苦しめるような事態になるとは」


 エンキやマルス達は、数年もすればキリムからみて大人の姿になっていくだろう。カーズとなるのに1年と言った以上、もはや自分もその仲間入りが出来るとは思っていなかった。


 ただ、早めたはずの覚悟の日が、更に前倒しになって今訪れるとなれば、やはり衝撃が大きい。


 人ではなくなる。


 覚悟は出来ていたはずなのに、猶予が無くなると途端に恐ろしくなる。食事をしてもしなくてもいいクラムのように、キリムも食欲がなくなるのか。睡眠が不要になるのか。キリムはそんな具体的な変化について、今まで目を瞑ってきた。


 漠然とステアのため、デルを倒すためと言ってきただけだった。


「キリム、今決めろと言っているのではない。俺はお前の好きなようにさせたい。ただ、次に同じ事があったら、目覚める保証はない」


「俺、ほんとに大人になれないんだ……」


 人が成長にどれだけ重きを置いているか、クラムには分からない。キリムが何を1番大事と考えているか、ステアはそれを訊くのも怖かった。


 キリムの落胆したつぶやきが、ステアの胸に突き刺さる。


「キリム」


「あの、さ。装備を直して貰ったら、少しだけでいいから行きたい所があるんだ」


 キリムの声色には感情が窺えない。ステアは自分のせいでという言葉を飲み込み、分かったと言って頷いた。

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