dedication-03(102)

 * * * * * * * * *




 キリムが自身の現状を知ってから3日後。清々しく晴れ渡り、日中の気温が0度を上回り始めたノウイの町には潮の香りも戻って来た。


 今日、キリムは8時過ぎに長い間世話になったノウイ旅客協会、それに魔窟の入り口にいる警備の女性に挨拶を済ませていた。


 いよいよノウイを旅立つのだ。


 マーゴ達は一足早くパバスへと旅立っており、見送ってくれる親しい者はゴジェとミサくらいしかいない。


 旅立ちはキリムとステアだけでなく、エンキも一緒だ。と言ってもエンキはゴーンに帰るだけで、旅に同行する訳ではない。重くて輸送にコストがかかる材料と一緒に、工房へと瞬間移動してもらう事になっている。


 ゴジェとミサには2日前に報告していた。しかしいざ挨拶に向かうとゴジェが盛大に泣きだし、キリムとエンキを抱擁して放さない。その力の強さに窒息しそうになるも、やめてくれとは言い難い状況だ。


「ゴジェさん、また来ますから……ぐぇっ」


「うっ、うぅ……ああんやだぁ寂しいじゃなぁい!」


「今、俺の背骨がミシッて」


 店の前でゴジェが右手でキリムの後頭部を掴み、左腕でエンキの腰をしっかりとホールドし、逞しい胸板に押し付けている。人通りは少ないものの、ゴジェの男泣きは周囲に響き渡り、隣近所の玄関や窓からはどうしたものかと皆が顔を覗かせている。


「おい放せ。貴様我が主を絞め殺す気か」


「絶対、絶対また来るのよ? 来なかったらあたしが地の果てまでも追いかけるんだからぁ……!」


「おい、いい加減にしろ。俺ですらそんな抱擁を許されてはいない」


 仁王立ちで睨むステアは、キリムを助けたいのかと思えば、どうやら俺の主なのにずるいと思っているらしい。ミサがその辺でと苦笑いしながらゴジェの腕を引き、自身もまた目元を指で拭う。


「みんなのおかげで楽しくて充実した日々を過ごせたわ。本当に有難う、出会えてよかった。ほらゴジェさん、旅立ちが遅れてしまいますから」


「お、俺も楽しかった、です……うげっ」


「ゴジェさん、俺、背骨折れそう……だっ」


「おい泣くな聞くに堪えん。貴様さっさとキリムを解放しろ」


 まるで幼い少女のようにわんわんと泣いていたゴジェは、しばらくしてからようやくキリムとエンキを解放した。ステアはキリムをゴジェから守るように自身の後ろに隠す。


「いたた……じゃあ、俺達行きますね、お世話になりました」


「ええ、キリム君、エンキ君、元気でね」


「2人のために、あたしとっておきの服を仕立てておくから!」


「やった! 本当にお世話になりました! ゴジェさん、ミサさん、工房まで使わせてくれて有難うございました!」


 キリムとエンキは深々と頭を下げ、ゴジェとミサは笑顔で2人に手を振る。余韻というものを理解しないステアは、2人が頭を下げた状態のまま、そそくさと瞬間移動をしてしまった。


「ふふっ。なんだか寂しいけれど、クラムステアの安定した不愛想っぷりにホッとしちゃった」


「そうね。さ、あたしは顔を洗って来るわ。目元が熱くなっちゃった。服が出来上がったら送ってあげたいし……」


 ゴジェは力強く両頬を手でたたくと、可愛くスキップして店の中へと戻っていく。ミサがその姿に少しホッとしていると、ご機嫌で店の中に戻っていったはずのゴジェがとても野太い声で悲鳴をあげた。


 今度こそ周囲の建物から住民や店員が何事だと顔を出し、更には何があったのかと心配そうに尋ねてくる。


「ご、ゴジェさん!?」


「ミサちゃん、あたし……気が付いちゃったの」


「え? 何をです?」


 慌てて店から出てきたゴジェは、上げた悲鳴などどこへやら。両手を胸の前で祈るように組み、目を輝かせている。


「キリムちゃんって、もう体格が変わらないのよね」


「え? ええ、そうみたいですね。それが何か」


「うふふ、うふふふふっ! つまり採寸したサイズが、一生使えるってことよ!」





 * * * * * * * * *





 ノウイを出発したのは現地時間で午前10時だった。一方、西にあるゴーンはまだ午前7時。まだ陽は昇り始めたばかりで薄暗い。通勤する者や開店準備の商人達が慌ただしく、騒音の大きさはノウイが恋しくなるほどだ。


 鍛冶屋や小さな紡績工場などが立ち並ぶ、工業街の裏路地に瞬間移動したステアは、流石に重すぎた鋼材にため息をつき、エンキとキリムの肩から手を離した。


「着いたぞ」


「あー、久しぶりの故郷だ! ステア、本当に有難うな。この鋼材や原石を船と鉄道で運んでたらいつになったやら」


「構わん。俺のマントの礼だと思え。ジェランドではキリムも世話になった」


「ステアが瞬間移動してくれただけで、俺何も出来てないよ。お礼に何か出来ればと思うんだけど……」


「気持ちだけで十分だ、俺も返せねえくらい借りがある」


 レンガ造りの平屋の重たい木製扉を押し開き、キリムとステアはエンキが鋼材を運ぶのを手伝う。これだけの量があれば、数か月分の、それもかなり上級の装備が出来るという。


「流石にノウイで着ていた真冬の服装じゃ暑いね」


「そうだな。しっかし材料調達も費用も随分世話になっちまったなあ。その分を全て返せたとは全然思ってねえ。メンテナンスも装備更新も、イサさんに言ってくれたら特価で引き受ける」


「いいの? って、そもそもこの装備を他の人には任せられないかな」


「ワーフ様も昼頃には来ると思うし、俺はもう少し弟子として技術を伝授してもらう。キリム、お前に会えて本当によかった」


 エンキは大きな手でキリムに握手を求める。互いに力を込めて健闘を祈ると、エンキが少し恥ずかしそうに頭を掻く。


「あの……さ。カーズになってさ、お前は見た目とかずっと変わんねえのかもしれねえけど、変わらねえもんって、それだけじゃ、ないからさ」


「変わらないもの?」


「あーもう! 俺達、ずっと友達だろ! 俺だけ歳取ってジジイになってもさ、変わんねえつもりだから」


 照れくさそうに一生の友達でいようと言ってくれるエンキに、キリムは思わず笑みがこぼれる。変わらないのは自分の姿や力だけではない。変えようとしなければ変わらないものもあるのだ。キリムはそれに気が付いた。


「ステアも、色々有難うな。あんたいいクラムだよな、キリムの事宜しく頼む。友達として、そして客として」


「フン、言われずとも。ワーフの弟子なら、次はどれだけ金があっても買えん逸品を目指せ、金で買えるものなど所詮その程度だ」


 ステアは表情を変えることなく、ふんぞり返ってエンキを見ている。だが、ステアなりの激励だったのか、照れ隠しに時折視線を左右にそらす。


「じゃあ俺達は行くね。ちょっとパバスに向かう前に寄りたい所があるんだ」


「おう。元気でな」


 キリムは右手を上げ、笑顔で別れを告げる。エンキもまたいたずらっ子のようにニカっと笑って手を振る。不愛想が板について剥がれないステアも、去り際に右手を上げてさようならを表した。


 蝶番が軋み、扉が閉まる。ノッカーが揺れて数回コンコンと鳴った後、エンキは少し埃の被った静かな工房内でつぶやく。


「……すげえ、あのステアが挨拶したぞ。変わらねえもんもあるけど、変わる気がありゃあ変わるもんだな」


 エンキはフッと笑い、室内の明かりをつけて荷物の片付けと室内の掃除に取り掛かる。工房の隅にはノウイに向かう前に作りかけだった装備や失敗作が転がっている。


 どれも今見れば歪な部分があったり、鍛え方が足りなかったり、一目で分かる不備が多く見受けられる。エンキが成長したという事だ。


「しばらくオーダーメイドじゃなく規格サイズで作って稼がねえとな、質を安定させる修行は続行だ」


 そう決意して古くなって紙の角が破れかけた、小さな手帳程の寸法表を黒板から剥がす。以前は逐一寸法表を見ながら作っていたが、今はもう全て頭に入っている。


 そこでエンキはふと気付いた。


「そっか。キリムを採寸したやつってずっと使えるんだよな。いちいち測らなくていいぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る