Outbreak-04(093)
ウーガよりも大きな巨人型の魔物は、キリムの姿を視認し、急に速度を上げ、走って近づいてくる。時々オォォォという声で威嚇をしてくるのは、このままキリムをひねり潰そうとする気満々ということだ。
魔物はキリムへと一瞬たりとも止まることなく走り寄り、そして左肘を上げて狙いを定めると殴打を繰り出す。キリムが後ろに飛び退いて躱すと、そこに魔物のストレートが直撃し、地面の土が抉れた。
避けたキリムの背が階段横の灯篭の石柱にあたり、ガシャンと軽鎧が音を鳴らす。
その避ける動きすら予測していたのか、すぐさま頭上から魔物の右ストレートがキリムを襲う。
「うわっ!」
「グォォォォ!!」
キリムは石柱を蹴るようにして勢いよく前へと飛び、前転して魔物の股の間をすり抜けて躱す。殴打を受けた灯篭の石柱は半壊し、少しの衝撃で燭台部分が落ちてきそうだ。
「危ない、危ない……」
ドキドキしている心を抑えるように魔物の後ろへと回り込むと、キリムは魔物が振り向く前に創波を繰り出す。しかし傷はついたが切断までは至らない。より憤怒した魔物は振り向きながら、その右足で土を掻いてキリムへ目つぶしを試みる。
「うへっ、目に入ったらまずい! こいつ意外と頭がいいな……」
キリムが一瞬怯んだ瞬間だった。
目潰しなどをするのは隙を突くための行動だ。その隙を見逃すはずがない。魔物はその右足を軸足として回転し、今度は左足でキリムを思いきり蹴り上げた。
空気を裂くようにブンっと音が鳴り、耳元の空気が揺れた事に気付いた瞬間、キリムは背中に強い衝撃を受け、そのまま蹴り飛ばされた。
「ぐっ……は」
魔物の蹴りは頑丈な軽鎧など関係ないと言うかのように容赦のないものだった。防御態勢を取っていなかったキリムは、数十メルテ先の家の壁を突き破ってしまった。
その衝撃で、木造家屋の厚さ2セルテもある壁に大きな穴が開き、キリムは居間の座卓の上に仰向けになって落ちる。
「くっそ、強……い、痛ぇ」
一瞬の出来事だった。キリムは自分が背中に攻撃を受けたことにようやく気付く。痛む体を奮い立たせて確認すれば、軽鎧のおかげか骨などに影響はないようだ。
このまま家の中に入って来られては、この家の者に迷惑が掛かる。蹴り飛ばされた時に出来た穴から急いで外へ出ると、魔物はこちらではなく、神社のある階段を見ていた。
「はっ、ダメだ! あいつがジンジャに上ってしまう! おい! こっちだ!」
キリムが大声で魔物へと挑発をするも、巨人型のその魔物はキリムを一瞥するだけ。再び階段に目を向け、その上に逃げた人の気配を探ろうとしている。
木々が生い茂る中を上がる階段は薄暗く、その上は鳥居と僅かな青空が見えるだけだ。上で静かにしていれば大丈夫ではないかという期待も空しく、魔物は階段を上り始めた。
「あああ! まずいまずい!」
キリムはすぐに転がった短剣を手に取って走り始めた。そして、持っていた短剣に力を入れ、魔物へと魔法を3つ立て続けに放つ。
「ファイア! エアブラスト! トルネードォォ!」
そして追いついた背中に格子斬を仕掛ける。とにかく魔物を引き留め、自分を狙わせなければならなかった。
幸い、魔物はその場に倒れ込んだ。衝撃で付近は揺れ、土埃が舞う。そこにキリムは立て続けに技を繰り出し、背中と足を斬り付けていく。
気力を乗せ、肉を絶ち、そして手数で圧して出血させる。いつもならそれで絶命させるか弱らせる事ができた。
魔窟の新種ドラゴンにすら勝ったのだから、攻撃さえ受けなければ勝てる。キリムはそう確信していた。
だが、体表が予想以上に固く筋肉質で、ドラゴンよりも傷が浅い。確かに大きな傷を負っているが、巨体に深刻なダメージを与えるには至らない。
「上達したと思ったら、それを馬鹿にするように強い魔物が現れる……クッソ!」
キリムは倒すつもりであったところを方針を転換し、足止めにかかった。衝撃音や振動によって、神社の境内にいる者は戦いに気付いているはずだ。必要であれば逃げる事も出来るだろう。
ステアがまだ駆け付けてくれないという事は、まだ結界付近での戦闘が続いているか、目の前にいるような魔物が他の場所にもいて、そちらを倒しているかだ。それが終わるまで、どうしても持ちこたえなければならない。
細かな攻撃に苛々としだした魔物は、思惑通りキリムへと向き直り、そしていっそうの憤怒を見せる。
大きく叫びながら体を起こすと、階段の下へと距離を取ったキリムめがけて攻撃が再開された。
* * * * * * * * *
その頃、エンキは負傷者の手当てをしつつ、逃げ遅れた子供を連れて神社へと向かっていた。
自警団の武器を手入れしてやれる程のものは持ってきていない。これから戦場に戻っても大した役に立てないのなら、約束通り避難する町民を守る方がいい。
そう考え、避難を呼びかけながら町の中を駆け巡っていたところ、海沿いに停泊する船の前で、隠れて怯えている幼い子供を2人見つけたのだ。
「おめーら、神社までの道案内しろよ、俺わかんねえからな」
「あっち! なあ、怖い奴なん来るんけ? お、おれは怖ぐねえだども、ミツが泣くだよ」
「泣かん! おれ泣かん!」
「ミツ? ああ、そっちの弟か。大丈夫、俺が守ってやるから。注意して歩けよ」
怖くないという強がりとは正反対に、兄弟はエンキの両脇にしがみつく。エンキはそんな兄弟を庇うように、それぞれの肩を抱いて歩き出す。
左手に立ち並ぶ漁師の家々の軒先には、漁で使う網や籠が積まれていて、独特の磯臭さが鼻につく。干物にするため、魚を吊るしている家もあり、誰もいない隙を狙ったのか、猫がじっと見つめている。
「猫だな」
「あいつ、よう魚狙っとる」
「ははっ、常連ってことか」
時には幼い2人の恐怖心を取り除くため、見つけたものの話や、北の寒い土地や商人の町ゴーンなど、色々な話をする。そうしてようやく落ち着いてきたというのに、ふと前方で何かがガチャリと壊れるような音がした。
「お前ら、静かに!」
「ひっ……今なん怖いやつな? 俺達見づかっただか?」
「うぇぇ、やだぁおれ怖い! もう行げね、行ぎぎらね」
「くっそ、山に鳥居が見えてんぞ。もうちょっとなのにな……ちょっとそこの堤防を降りろ!」
エンキは船の係留場に降りる階段へと幼い2人を向かわせる。そして自分も用心しながら降りる所で、その音を出した正体が見えた。
「あれ、なんとかウルフじゃなかったか。隠れてやり過ごせるか……」
「まもの? 怖い奴だか?」
「ああ、まだ見つかってねえから音出すなよ」
ウルフ系の魔物は鼻がいい。風向きが少し変わればすぐに嗅ぎつけられてしまう。
それを恐れながら息を殺していると、遠くで先程よりも大きな音がした。
何かがぶつかるような音。
エンキがそっと顔を出して様子を見ると、魔物はその音がする方へと駆けていく。磯臭さが幸いしたのか、エンキ達にも気付かなかったようだ。
それが神社の方角であったことが気になりながらも、エンキは今のうちだと判断し、幼い子達に上ってくるよう伝えた。
「今の音、何だったんだ。ちょっと急ぐぞ、走れるか」
「うん!」
歩き始めて既に10分ほど、既に兄弟の動きは鈍い。このまま魔物に見つかればすぐに追いつかれる。エンキは兄を肩車し、弟を脇に抱えて走り出した。
「この先! すぐ神社なんある!」
「よし、ここまで無事だったな!」
海沿いの小屋を避けるような曲がり角を抜ければ、もうすぐ神社へと続く階段に差し掛かる。その最後の角を曲がろうとした時、肩車していた兄の方が「あっ」と声を出した。
「どうした」
「おれの高さから見えだども、誰か魔物さ退治しどる」
「ん?」
「知らねにいちゃんな、魔物さ相手すで、痛そうな、すでる」
「いたそうなすでる? 痛そう? 怪我か」
「お腹いでぇって、すでる、でっけえ魔物」
「ど、どんな奴か教えてくれ!」
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