Merkmal-07(086)
「別に優しい言葉を掛けてくれとは言わないし、逆にそれは落ち込みます。傷つけようとして酷い事言われると傷付きます。俺の事でステアが悪く言われるのは腹が立ちます!」
遥かに年下の新米に言い返されたのは予想外だったのか、剣術士の男はぽかんと口を開け、少しの間言い返すことも忘れてキリムを見下ろしていた。
周囲の者も寄ってたかって野次を飛ばす度胸はないのか、空間内に静寂が漂う。
キリムは傍からはひたむきな姿から優等生と思われがちだ。しかし実際のキリムは負けず嫌いである。ミスティでは村を駆け回って遊び、村になる木の実をコッソリ食べて怒られたりと、普通の少年時代を過ごしていた若者だ。
ふざける事もあるし、怒る事もある。間違う事もあるし怠けたい時もある。そして、優柔不断ながら譲れないものもある。
「ステア、一回召喚を解くから」
「断る」
キリムはステアの援護無しで魔物と戦う姿を見せると言いたいのだろう。ステアは間髪入れずに却下した。
今まで無茶は絶対するなと言ってくれた者が何人もいる。キリム自身のためではなく、ステアの為にその約束を破るのを黙って見ていられなかったのだ。
「じゃあ、手出しせずに見ていてよ。俺が負けたら噂通りのインチキ野郎ってだけだ」
そう言うと、キリムはライトボールを打ち上げ、安全区域の外に向かう。ただ少し馬鹿にしてやるつもりだった剣術士の男は、キリムの手招きに今更乗らないとは言えない。
周囲の旅人やパーティーの仲間の援護もなく、男は黙ってキリムの後に続く。
「い、いいだろう」
展開が気になるのか、他の旅人も数名が男の更に後をついてくる。暫くするとこの付近ではよく見かける中型の魔物、ブラックミノタウロスが現れた。
頭部は牛、体は強靭な肉体を持つ巨人のようだ。姿形はミノタウロスそっくりでも、ブラックミノタウロスは全身が黒く動きを把握しづらい。おまけに力強さや皮膚の硬さではミノタウロスを凌ぐ。
「お、おい……」
男はキリムが双剣を両手に持ち、本当に向かっていこうとする姿に内心ヒヤヒヤしていた。自分が挑発したばかりに若い旅人が無謀な戦いに出たとなれば、協会や他の旅人に何と言われるか。
おまけにキリムは旅客協会や旅人の間で一番注目を集めている。男はこの期に及んで、キリムに対しての申し訳なさではなく、予想外の展開となってしまい、自分が今後どうなるかを心配していた。
「ファイア! からの……
キリムは魔法を陽動に使い、怯んだミノタウロスの懐に潜り込んだ。そして双剣の刃を魔物に向け、体を回転させながら一気に剣を押し出した。回転の遠心力によって速度は増し、多段攻撃が肉の鎧を引き締める暇もなく切り裂いていく。
「ウオォォォ!」
ミノタウロスは腹を切り裂かれ、痛みと怒りで咆哮する。そしてすぐにキリムから見て右、左と拳を繰り出してキリムを殴り飛ばしにかかる。
「ひっ!? あぶなっ……ウインドカッター!」
キリムは左に避けて後ろに下がって、そして拳を繰り出した後の隙を狙い、再び左へと大きく飛びだす。今度は拳を繰り出した後、次のモーションに移れない右腕の後ろに回り、脇腹を狙った。
この位置であれば、振り向きざまの左手による殴打も、少し後ろに回避するだけでいい。案の定振り向いて殴打を仕掛けるブラックミノタウロスに、キリムはさらなる攻撃を仕掛けていく。
「
足に気力を溜める時間は僅かで、跳躍に十分だとは言えなかった。それでもミノタウロスの頭上に達するには十分で、キリムは頭部の角と角の間に思いきり両手の剣を振り下ろす。
刃渡りはせいぜい20セルテ程しかなく、ミノタウロスのような大きな魔物を一刀両断する事には向かない。双剣士は手数と機動力で相手を翻弄し、魔物の体力を削りながら戦うものだ。
おまけにキリムは斬撃に気力を乗せる訓練をあまりしていないため、まだ短剣の性能を完全には引き出せていない。
斬撃の威力は劣る。それでもその動きは見る者を圧倒していた。
ミノタウロスが両手の拳を組み、キリムの頭上へと振り下ろす。それをキリムは脚力で左へとかわし、反撃を繰り出す。
「回転斬!」
キリムは誰の目からも互角、もしくは優位に戦っているように見えた。
もう実力に関しては証明したようなものだ。男はたまらずキリムに声をかけ、早く戦いを終える為に加勢しようと剣を構える。
ステアはそれを制止した。
「貴様、何をしている」
「な、何をって、これ以上はもういい、アイツの実力は分かった」
「だからどうした。貴様がけしかけておいて、キリムが倒しきるまで見届ける度胸もないか」
「優勢に見える、これ以上はいい。俺が悪かった!」
男は良心が痛み、キリムの戦いを止めさせたかったのだ。くだらない挑発で戦いを仕向け、後悔しているのはステアにも伝わっていた。だからこそ、ステアは駄目押しのように男を止めた。
「貴様のくだらん強がりのせいで、目の前で少年が戦っている。その事実に耐えられないからと逃げるな。よくその濁った目に焼き付けておけ」
ステアは怒気を孕むわけでもなく、代わりに刺すような冷たい口調で男を委縮させる。男は良心の呵責と羞恥に耐えながら、キリムの戦いを見守っていた。
「おい、あの坊主、仕留めるぞ」
「本当に召喚士かよ、双剣士としても新人の動きじゃねえ」
周囲からも動揺が伝わる。旅人達は魔物が襲って来るかもしれないという意識すらなく、いつの間にか戦いに見入っていた。
「双突剣!」
数度打撃を喰らったと思われる装備の金属音は聞こえたが、キリムは怯んでいなかった。
体中を切り刻まれ、抉られ、弱りつつあったブラックミノタウロスの胸元に潜り込むと、とうとう双剣を2本突き刺した。
魔物の巨体が沈み、キリムが双剣を拭いて鞘に納める。楽勝とは言えず戦闘時間も長いものの、そこに危なっかしさも恐怖心もなかった。
「終わりました。謝って下さい」
キリムは男にゆっくりと近づき、詰め寄る訳でもなくそう言った。
男は気まずそうにキリムとステアに頭を下げ、自身の発言を撤回する。そして自分のパーティーの許へとそそくさと戻っていった。
キリムは謝られたからと言って心が晴れたわけではない。静かに立ち去ろうとするキリムの代わりに、ステアが鋭い目と冷たい口調で言い放つ。
「貴様らは1人を代表にして謝罪を逃れるつもりか。我が主への心ない言葉、まさか我が主の代わりに誰かが許したか」
人は強くなればなるほど自分の過ちを認められなくなる。認めたとしても、それを謝れなくなる。ステアの言葉を聞いてもまだ、多くの旅人は誰かが先に前へ出るのを待っていた。
「あの!」
「はい」
そんな中、1人の剣盾士の女がキリムの前に意を決した顔で立った。深々と頭を下げると、同じパーティーの者がそれに続いて頭を下げる。
「年甲斐もなく新米のあなたの陰口を叩いてごめんなさい。あっちで私たちの使っていた休憩スペースがあるんです。滞在用の毛布とかもあるし、私たちは地上に戻るので、良ければ使って下さい」
「……いえ、先を急ぎますんで」
キリムはうつむいてその申し出を断った。ステアも特に足を止めようとはせず、先を急ごうとする。それでも剣盾士の女は引き下がらない。
「私達、疑っていました! 調子に乗った若い子が痛い目見るのは仕方ないとも思っていました。でもそうじゃないと分かったなら、あなたの名誉の回復に手を貸さないではいられません!」
「それは、キリムの為と言うよりは許されたいと思う、お前たちの自己満足でしかないだろう。勝手にするといい」
ステアは何も言い返せないような台詞で、女を絶句させる。それでも女はしばらくして再度口を開いた。
「そうかもしれません、私の気が済むか、済まないかでしかないのだろうと思います。それでも、償いたい。余計なお世話と言われようと、してしまった事は取り返しがつかないと言われようと、人を助ける側でありたいんです」
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