HAGANE-03(051)
「ハァ、ハァ、ハァ……イサ、さん! ハァ、ハァ、クラムワーフは!?」
袖なしのシャツに汚れた革製で灰色のエプロンを身に着け、頭にはお気に入りの赤いゴーグル。エンキの登場だ。
本当に犬のように早く走って来たようで、今にも倒れそうな荒い息で床に汗を垂らす。
「ったく、エンキ。やっと来たかい。ワーフ様がお待ちだよ!」
「やあやあ、君がエンキ君だね? おいらがワーフさ!」
エンキがまだ辛そうな顔を上げる。そこに麦わらのような帽子に長い耳のずんぐりむっくりなウサギ男がひょこっと現れた。
エンキの表情は驚きに固まり、微動だにしない。まさか信頼感のあるいかつい岩のような男を想像していた……という訳ではない。
ワーフの写真は店のカウンターのすぐ隣に堂々と飾られている。エンキはそれを幾度も悔しそうに羨ましそうに、しっかりと穴を開けそうなくらい見ていた。
「あ、あ……」
エンキは驚きの表情のまま、少しずつ口を開ける。もう視界にはウサギ男……いや、ワーフの姿しか映っていない。
「あ……あっ、ああぁクラムワーフ様ぁ! うっ、うああ……っく、どれ程、どれ程お会いしたかったか……!」
エンキは両目から滝のように涙を流しながら跪き、胸に手を当てて頭を下げる。その姿を見て、今度はキリム達が固まった。
絶対的な忠誠、全幅の信頼。この世で最も尊い存在との遭遇、神との邂逅。
ありとあらゆる崇拝の形容でも足りないくらい、エンキはクラムワーフを絶対的に崇めている事が分かった。
「お、おいらそんなに崇められちゃうと落ち着かないよ! 顔をあげておくれ、エンキ君」
エンキは感動のあまり涙が止まらない。手にはワーフに出来を見て貰いたいと思って慌てて掴んで来たネックレスが握られていた。
「お会いする時には……グスッ、自分の全力の品を……ズッ、見て頂きたいと」
「もしかして、その手に握られているネックレスかい?」
「はい……! ですが、申し訳ない事に材料が揃わず、まだ完成しておりません。手ぶらではワーフ様を慕う鍛冶師として面目が立たず……」
エンキはワーフにネックレスを渡し、そして床に頭を擦り付けるように土下座をした。このゴーン周辺では相手を敬う際、もしくは懺悔を行う際の最上級の礼にあたる。
「あるべき従者である俺と出会った時、あれくらい感動してくれても良かったのだが」
「ちゃんと感動してたよ、驚きの方が大きかったけど」
「無かった過去を話すのは嘘と言う」
「あったってば。俺がどれだけステアの事を信頼して、大事に思ってるかを気づいてくれていないなんて寂しいな」
「……気付いている」
「どうだかね」
キリムとステアの小競り合いをよそに、ワーフは手渡されたネックレスを持ち上げ、注意深く観察を始めた。純度の高い銀がリング状に加工されて連なり、更には細かな薔薇の銀細工が等間隔で繋がれている。
胸元を直径1セルテ程の大変形二十・十二面体に削った魔鉱(魔力を一時的に留める性質を持つ、紫色の鉱石)が飾り、精巧で旅人向けとは思えない気品を感じさせる出来だ。
「凄く綺麗ね。なんだか宝石みたい」
「アクセサリーってあくまでも実用的なのが前提だけど、唯一のお洒落よね。いいなあ、何か選ぼうかな」
「高いけど効果は色々あるな。例えばそこの棚のブレスレットとか。気力の均一化……? へえ、気力を維持させる効果だって」
「うわ、それ2万マーニもするのか! 余裕がねえな。こういうのをばーんと買えて一人前なんだろうな」
アクセサリーまではノーマークだったのか、ワーフが鑑定を行っている間、5人はアクセサリーのコーナーの品と効果を見ていく。
どれも装備を購入するのと同じ、もしくはそれ以上の値札が付いていて、まだまだ手が届きそうにない。
「いいなあ、俺もどれか買えるかな」
「命を守る方が先だ。俺がいない間に怪我などしたら許さん」
「ステアって、結構過保護だよね」
「怪我をするなと言っただけだ」
ステアは表情1つ変えず、ただ目線だけを向ける。けれど少し気恥ずかしいのか、その声色に冷淡さはない。
そうやって皆がアクセサリーを一通り見終わった頃、ワーフもようやく鑑定が終わった。
「うんうん、拘りを感じるね。材料も良いものを選べているみたいだ。細工や成形だけじゃなくて、鍛冶の仕事をきちんとしているよ」
「えっ! あ、ありがとうございます!」
意外な高評価に顔を上げ、輝いた目でワーフの顔を見上げ……いや、見下ろす。
厳しい評価を受けると思っていたのか、エンキはそれまで下を向いてきつく目を瞑っていた。キリっとした太い眉、大きく鋭い目は、今だけは怖そうな印象を全く与えない。
鍛冶の神は努力を必ず認めてくれる。目的によっては良い点だけを告げてくれるだろう。
しかし、他人に使わせる装備に対して、お世辞や甘い評価を下すことはない。ワーフは威厳を出そうとしているのか、腕を組んでうんうんと頷く。
「以前鎧も見せてもらったよ。君はとても才能がある。後は圧倒的に足りない経験をどう積んでいくか。技術的に分からないところがあるようだね、師匠はいないのかい」
「じ、実は父が……倒れてからは、頼れるのはイサさんしか」
「なんてこと! お父さんは大丈夫なのかい?」
「いえ、去年……突然倒れた後、そのまま目を覚まさずに死にました」
エンキは寂しそうに笑い、今は受け継いだ知識と本、それに父親が遺した作品から研究を重ねて製作しているのだと告げた。それを聞いたワーフは、とても悲しそうにエンキを見つめ、アドバイスを始めた。
流石は鍛冶の神。鎧1つ、それに作りかけのアクセサリーを見ただけで作り方や問題点、何に悩んでいるのかが全て分かっていたのだ。
的確にアドバイスをし、そして決して怒らない。それはエンキが手を抜いた訳ではなく、良いものを作り上げたいという気持ちが痛いほど伝わるからこそであった。
「ワーフは良い話し相手を見つけたようだ。あの様子だとあの鍛冶師の工房まで見せろと言って来るぞ」
「楽しそうだね。エンキさんも師匠が出来たみたいだ」
ステアの目にもキリムの目にも、エンキとワーフはいいコンビとして映っていた。ひたむきな若者と、自分の知識の伝授を惜しまない師匠。エンキはこれから間違いなく伸びる。
「おい、ワーフ。約束を忘れてはいないだろうな」
「約束……はっ、そうだった! キリム君の装備!」
ワーフはステアに睨まれ、ようやくジェインズに来た本来の目的を思い出した。慌ててキリムを連れて上の階へと向かう。勿論、エンキや野次馬と化しているイサとマルス達も一緒だ。
「上の階になったら一気に装備の値段が跳ね上がったな」
「4万マーニ……見て! 等級3~4向け、軽鎧6万マーニだって!」
「治癒術士専用ローブ……アークスパイダー糸製、ダマスカス鋼胸当て付き7万マーニ……」
「こりゃ、普通に等級上がるまで買えねえよ。俺達5人で武器や足具まで合わせりゃ50万マーニは稼がねえと」
上の階は装備が全てショーケースに入れられ、装備はマネキンに着せられている。イサに言わなければ触れる事もできない。
目玉の飛び出るような金額の装備は更に上の階からだ。それでもマルス達にとってはこの階の装備すら途方もない。
キリムにいたっては数か月前には1つ3マーニの牙を拾って喜んでいた。今では価値観の崩壊が止まらない。
そのいくつかの装備を見ていくうち、ワーフはふと1つのマネキンの前で立ち止まった。ガラス越しに見上げ、その造りを目視で確認している。
「おやや? もしかして、あの軽鎧は……」
「あ、はい。俺が先々週納品した軽鎧です。なんとか納得いく材料が揃ったので」
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