TRANSIT‐13(018)


 オリガの目も赤く潤んでいる。友人だったキリムの母、そして自身の夫と娘を亡くし、今度はやはり友人だったキルミアを失った。


 親子の絆程ではないとはいえ、何とかして救いたい気持ちは一緒だった。



「オリガさんのせいじゃない。俺がお願いしたんだ、父さんを助けてほしいって。俺に出来ないことをオリガさんのせいになんてしない」


「後悔はどうしてもせずにはいられない。それはわたしもよく分かるわ。わたしに出来るのなら仇討ちに向かいたいくらいよ」


「……」


「どうして、どうしてわたし達だけがこんな目に……? 確かに夫も、イーシャもキルミアも、わたしだってみんな召喚の力を持っていたわ。でもカタリナは召喚の力もない普通の子だった! デルを殺してやりたいと思わない日はなかったわ!」


「オリガさん……」


 このミスティの活気のなさは、このままクラムへの期待や感謝の希薄化に繋がるのではないか。ステアはふとそう思った。


 デル戦で確かにクラムは住民を救った。けれど目の前にいる2人に対し、生きていられただけで良しと思えなどとは言えない。


 生きていればこそ。しかし生きながら抱えるもの、背負うものを本人たちは代償として、甘んじて受け入れなければならないのだろうか。


 ミスティが直面した現実を、ステアは本当の意味でようやく理解した。敵討ちに出て勝てる相手ではない。住民は悔しさと絶望を心に繋いで生きていくしかないのだ。


「クラムとしての意見と敢えて言っておくが、この村の現状、お前と父親の状況から考えて、お前は父親にとって最善な行いをしたと」


「……傍にいないことが最善な訳ない」


「傍にいて何が出来た。無一文に近いお前を、1人遺して逝く不安を与える事か」


「傍に誰かいるだけで安心できるんだ。最期を1人で迎えるなんて悲しい事だよ」


「本当か。傍にいて安心したかったのはお前だろう。生きたかったはずだが、親の願いは本当に死の淵までお前に見送ってもらう事か」


 口調は相変わらずだが、ステアはキリムの悲しみが理解できない訳ではない。


 けれど、キリムの消極的な思考には賛同していなかった。キリムを任せた父親が、とても穏やかで清々しい表情だったのを覚えていたからだ。


 ステアに託した時点で、もう自分が数日も生きていられない事を悟っていたのかもしれない。相手がクラムであれば、きっとキリムを守ってくれると。


「……そうか。なぜ俺の正体がクラムだと気付いていたのかが分かった」


「父さんが?」


「おそらくは俺を呼び出した事がある。旅立ちの日、俺は名を呼ばれた。お前の父親は、俺の事をクラムだと知った上でお前を任せたんだ」


「ステアだと知っていたとして、それが一体何なのさ」


 父親を失った悲しみから、まだキリムは立ち直ろうとさえしていない。余裕のない彼は、ステアの発言の真意を見極めようなどという気はこれっぽっちもなかった。


「クラムは召喚主を裏切らない。それは絶対だ。俺はキリムを裏切らない。目が見えない彼が、お前の事において村の外で唯一信頼できる存在だ」


「それは確かにそうかもしれないけど」


「そうだ、そうだわ! キリム、あなたに渡さなきゃいけないものがあるの!」


 キリムとステアの会話で何かを思い出したのか、オリガは食堂を小走りで出ていく。暫くして戻ってきた彼女の手には、1枚の紙切れがあった。


「キルミアがあなたに宛てた手紙よ。彼なりに一生懸命書いたんだと思う」


「父さんの……遺書?」


 キリムが慌てて受け取ると、そこには目が見えていた頃の勘を頼りに書かれた、不格好な文字が並んでいた。


 行が重なっていたり、紙からはみ出していたり、お世辞にも読み易いとは言えなかったが、おおよそは読み取れる。


「キリム、お前が旅立ってくれて……これでようやく、父さんも……安心して、旅立てる……」


「やはり自分の死期を悟っていたか」


「もう、薬は先月から効いていない。必死に看病してくれるお前に言い出せずすまなかった。お前を誇りに思う……」


 父親はステアがいようがいまいが、キリムがいようがいまいが、もう長くはなかったのだ。


 ステアが言う通り、覚悟が出来ていないのはキリムだけだった。父親にとって、旅立てないキリムは足枷となっていたのだ。


「私もそんなに悪かったなんて知らなかった。無理をしていたのよ。キルミアは嬉しそうに言ってた。やっと息子を送り出せたんだって。クラムステアと知り合える幸運を渡せたって」


「……父さんは、こうなる事を望んでいた、のかな」


「お前が1人でやっていける、その安心こそ最期に望んだものだったという事だ」


 キリムは、もっと早く立派な姿を見せるべきだったと後悔していた。せめて1か月前に旅人になるための登録だけでもしていれば、旅人になった自分を見せる事ができた。


 自分が離れたくないばかりに、父親からそのチャンスを奪ってしまった。取り返しのつかない状況になって初めて、キリムは自分の甘さに気づいた。


「……火葬は、お墓はもう大丈夫ですか」


「ええ。この地区の掟に従い、次の日には火葬して納骨したわ。イーシャと共に安らかに眠っていると信じてる」


「そう、ですか。色々と有難うございました」


「食事を何か用意しようか? 今から支度は出来ないでしょ」


「いえ、今日は……食欲がないので。お礼には後日改めて伺います」


 キリムは立ち上がると頭を下げ、ゆっくりと宿を出ていった。泣き止んではいたが、その様子はとても気を持ち直したとは言い難い。


「クラムステア」


「なんだ」


「どうか……イーシャとキルミアの子を、キリムをお願いします」


「お前も召喚士だったな」


「……はい。デル戦では私も固有術でクラムサラマンダーを呼び、前線におりました。クラムグラディウスを無作為召喚ランダムで呼び出したのは夫です」


 消滅したグラディウスの名を聞き、ステアの眉が僅かに動いた。


「……分かった。任せておけ」


 ステアはゆっくりと宿を出ていく。その背を見送りつつ、オリガは目元を指で拭いながら扉の鍵を閉めた。





 * * * * * * * * *





「やはりここだったか」


「ステア……」


 キリムは家には戻らず、両親の墓を訪れていた。花など用意していなかったが、キリムは少し考えた後、ゴーンで買ったポーションを1瓶開け、墓石にふりかけた。


 月明かりに照らされただけの静かな墓地に、また1人デル戦での犠牲者が眠った事になる。ステアはクラムとして、召喚士を守れなかった不甲斐なさを感じていた。


「……召喚士の霊力の謎を解こうと、病院やどこかの研究所が遺体を提供してくれと言って来る事があるんです。酷い時には墓を掘り起こすことも」


「不謹慎な話だ」


「だからこの村では亡くなった翌日、死者への別れを惜しんだ後ですぐに火葬します」


 そう言うとキリムは手を合わせ、そしてゆっくりとステアへ体ごと向き直った。そして深々と頭を下げる。


「有難うございました。父の願いを叶えてくれて、俺を旅人にしてくれて、本当に感謝しています」


 キリムは左の腕を捲った。世話になったのだから、血を差し出すつもりなのだろうか。


 ステアは流石にこの状況で血を寄越せと言うつもりはなく、差し出されたとしても断るつもりでいた。


 けれど、キリムの意図はそうではなかった。


「随分と他人行儀だな」


「これから、ゆっくり自分の将来を考える事にします。お金はあるし、目標を失った今、何をしていいのか分かりません」


 キリムはステアが渡した腕輪を外し、ステアへ返そうと差し出した。


「……!」


 腕輪を外された途端、ステアの胸には突き刺すような痛みが走る。主従が解けたということなのだろうか。


 ステアは生憎他に主を持った経験がない。痛みの理由は分からなかった。


「お返しします。約束を果たして下さって、本当に有難うございました」

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