TRANSIT‐12(017)


「目の前で大切な存在が死ぬ様子を、何度も何度も繰り返す事を想像してみなさい。君は耐えられる? それとも、どうせ死んでもまた呼び出せばいいだけと思うかしら。そう感じるようになった自分を許せる?」


「……」


「今は考えるだけでいい。願わくば、その状況に1度も遭わないように行動して欲しいの」


 キリムは職員が何を伝えたいのかを理解し、静かに頷いた。


 クラムは召喚主を助けてくれる。クラムは自らの存在よりも召喚主を大切にする。キリムが危ない目に遭うという事は、クラムを危険に晒すという事だ。


 そして、指令の通りに動くのではなく、意思疎通を図れる目の前のクラムステアは実体。つまり、消滅すればこの世からクラムステアがいなくなるという事。


 それをしっかり受け止めたからか、協会を出てから、キリムは神妙な面持ちでしばらく口を開かなかった。いつも不愛想なステアが、見かねて自分から話しかけたほどだ。


「幾ら貯まった」


「えっ」


「父親に渡す金だ。十分なのか」


「今日の宿代とかを考えると……1万マーニはある。こんな大金が手に入るなんて……生活費と合わせても3か月分以上あるよ」


 キリムはこんなにも稼げるとは思っていなかった。町で暮らせば1か月分程としても、辺境の村なら十分暮らせる。


「ならば一度村に戻るか。当面の心配がないなら早く安心させてやるといい」


 ステアはキリムの心を少しでも軽くしようと、ステアなりに精いっぱい気を使ったつもりだった。けれどキリムはその言葉に対し、少し間を空けてから頷いた。


「そう、だね。そのためにゴーンまで来たんだから」


「宿にも協会にも忘れ物がないのなら、瞬間移動して向かうぞ。掴まれ」


 キリムがステアの腕をつかむと、ステアは一度町の西門に飛んだ。そこでキリムが滞在終了として台帳にサインすると、ステアは再びキリムを連れて瞬間移動を行った。





 * * * * * * * * *





 周囲に何もない礫砂漠の地、ミスティ地区。


 すっかり辺りは暗くなり、村の家々からは暖かい光が漏れている。ウシ集落の門の脇に着いたステアは、そっとキリムの背を押して早く行けと伝えた。


「行ってくる!」


「ああ」


 キリムは照れ臭そうにはにかみながら、家まで走っていく。


 ステアは腕組みをし、村の石垣にもたれ掛かった。たかが数日離れていただけとはいえ、親子の感動の再会にはさほど興味がないらしい。


 クラムにとって、時の流れは然程苦になるものではない。悠久の時を渡る彼らにとって、時間などあってないようなものだ。実際、ステアは気にならないからか、時計を持っていない。


 けれど山の端にあった月の位置が明らかに高くなるほど経てば、流石に多少は気になるものだ。ステアは戻ってくる気配のないキリムを不審に思い、家まで向かうことにした。


「おい、金は渡したのか」


 小さな木枠の窓からは明かりが漏れている。という事は父親かキリムが中にいるはずだ。ノックをするというマナーを知らず、ステアは鍵が掛かっていない扉を押し開けた。


「おい、いないのか」


 ステアは不躾にも部屋を覗いて回った。父親はベッドにおらず、室内はどこも綺麗に整えられている。念のために井戸にも行ってみたが、誰もいない。


 しばらく考え込んだ後、ステアはキリムを探すことを諦め、瞬間移動でキリムのいる場所に飛んだ。キリムはステアが渡した腕輪をしており、ステアはどこからでも駆けつけられる。


 ステアは、何をしているんだと文句の1つでも言ってやろうと考えていた。けれど、瞬間移動した先の状況はステアが言葉を発せるものではなかった。


「ぅえっく、うぅぅ……」


「連絡してあげられなくてごめんね。お父さんっ子だったあんたの事を思うと、わたしもどうするべきだったか分からない」


 ステアはこの場所がどこかを知っていた。


 狭く薄暗いロビーに木製のカウンター、左手には食堂があり、右手には2階に上る階段がある。デル戦の後、負傷者を運び込んだ地区唯一の宿屋だ。


 キリムはそのロビーで泣き崩れており、女性が1人、その背をさすりながら宥めていた。女性は扉が開く気配もなく突然現れたステアに驚くも、顔を見ただけですぐにステアだと分かったようだ。


「クラム、ステア……! ああ、キリムを旅に連れ出してくれたクラムですね。村の防衛の際、あなたに助けられた人がどれだけいたことか」


「キリムはどうした。何を泣いている」


 女性の感謝の言葉に特に何も反応せず、ステアは不愛想な顔のままキリムを見下ろしていた。


 何を悲しんでいるのか、悔しがっているのか。ステアはその答えを聞きたくないとも思っていた。数か月前、まさにこの村でステアが目にした状況が頭によぎったのだ。


 当時は今のキリムのように、この宿でも泣きじゃくる者が大勢いた。二度と目覚めない者が麻の袋に包まれ、宿の外に並べられていた。その名を呼ぶ者の悲痛な叫びは、今でもステアの耳にこびりついている。


「す、ステア……」


「なんだ」


 ステアが背後に立っていることが分かり、キリムは嗚咽混じりながらも少し体を起こす。


 やはり、その後に続いた言葉はステアが思っていた通りのものだった。


「と……父さんが……ズッ、父さんが、っく、し、死ん……だ、って」


「……そうだったか」


「俺たち……が、……っく、ゴーンに着いた日、オリガさんが……」


「落ち着いてからでいい。椅子に座れ」


 宿を経営している女主人オリガは、キリムを食堂へと案内し、近くの椅子に座らせた。


 ステアが何を考えているのか、その表情からは読み取れない。しかしキリムが落ち着きを取り戻すまで待っているのは、キリムの悲しみを理解しているからだ。


 暫くして嗚咽は止まったが、キリムは落ち着いたというよりは生気を失ったように見えた。


「……わたしから説明しようか?」


「時間はある。話せるまで待つ」


 どれくらい経っただろうか。息が整ってきたキリムは、消え入るような声で話し始めた。


「父さんは……俺たちが旅立って3日目のお昼、オリガさんが食事を持って行った時……死んでたんだって。ベッドの上で、眠ってるみたいだったって」


「……そうか」


「死んじゃうなら最期まで、最期まで一緒にいればよかった……」


 キリムの目には再び涙が溜まり始める。父親を助けるために旅に出たはずが、何の助けにもなりはしなかった。それどころか1人で慣れない暮らしを強いて、苦労させただけに思えた。


 キリムはつい2時間ほど前まで喜びと希望に満ちていた。約束の帰宅日は明後日で、これでも予定より随分早いのだ。


 まさかそんなにも死期が近かったとは知らず、今は絶望に打ちひしがれていた。ステアはどう声を掛けるべきか迷ったが、旅立つ前に言った言葉をもう1度放った。


「父親はお前を送り出し、父親としてやるべき事をした。お前は父親の意思を汲み、謝罪と後悔だけで過ごさせなかった」


「……俺、どこかで思ってた。これで全て上手くいくんだって。ステアに出会って、旅人になれて、お金の心配がなくなって……俺も父さんも、ようやく貧しさを理由にして何もかもを諦める生活から、抜け出せるんだって」


 今まで苦労してきた少年にとって、それは大きくも些細な願いだった。食べる物に困らず、健康の心配をしなくていい生活、たったそれだけだ。


 けれどそれを叶える寸前で、その先を共に過ごすはずの父親がいなくなった。


 頑張れば報われるのだとようやく思えるようになってきたというのに、現実はそれを否定した。キリムの口調は、また全てを諦めたものになっていた。


「お前が旅に出なければ生きていられたのか。薬が買えたのか。父親は父親として威厳を持っていられたのか」


「そうよ。キルミアは死んでしまったけど、その結果だけを見て全てを否定しちゃ駄目。そんな事を言ったら、朝から手伝いに行けなかったわたしだって……!」

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