TRANSIT‐11(016)
「くっ……」
「どうした」
「ごめん、足が……
キリムはブルオークを斬りつけた後で地面に転がった。背丈の短い草の上で、立ち上がれずに左足を押さえ、その場に蹲る。
ろくに回復薬も使わず、回復魔法も使えない彼の体は、一度止まれば再び動かせない程に悲鳴を上げていた。
「そこでじっとしていろ」
ステアは自分の相手を投げ飛ばして首を追った後、すぐにキリムが倒し損ねたブルオークの心臓を短剣で一突きした。周囲に魔物の姿はもうない。
「不調があるなら言え、人の都合は俺には分からん。立てるか」
「ゆっくりなら……」
キリムはステアの手を借りつつゆっくりと起き上がり、足の留め具を緩めて立ち上がった。
もうじき遠くの山に夕陽が隠れる。クエリは完了しており、今は町へと戻る途中だ。これ以上遭遇する魔物と戦う必要は無い。
だが町の外壁は僅か遠くに見えるだけ。街道でもない平原を歩けば1時間以上掛かりそうだ。
「背中に乗るか、俺に抱えられるか、瞬間移動か。選べ」
「……背中で」
キリムは体の軋みと筋肉痛で動きがぎこちない。ステアはゆっくりとキリムを背に負ぶって、それから瞬間移動でも良かったのではないかと思われるスピードであっという間に町にたどり着いた。
協会にたどり着くと、時計の時刻は18時になっていた。人を負ぶった旅人が堂々と入ってくれば、多少は目立つものだ。
ステアが受付前を通り過ぎ、召喚士ギルドへと入るまで、キリムは恥ずかしさのあまり一度も顔を上げなかった。もし抱えられる事を選んでいたら……そう思うと恐ろしい。
「我が主が負傷だ、治療しろ」
「負傷!? ど、どうされました!?」
両開きの扉を遠慮なく両方とも押し開け、ステアは偉そうな口調で当然のように言い放つ。それを聞いて驚いたのは職員だけではない。
「ちょ、ちょっとステア! ギルドは治療をお願いする場所じゃないよ!」
「召喚士ギルドは召喚士の世話をすると言っていただろう。他に誰が世話をするんだ」
キリムはステアがどこに向かおうとしているのかを深く考えていなかった。
「いや、足が攣ったとか筋肉痛とか、そんなの大げさに世話とか治療するものじゃないから!」
「何だかよく分からんが、歩くのもやっとなくせに何を強がっている。おい、筋肉痛とやらを治療しろ」
17時で通常業務が終わっているからか、残っているのは先日裏口を案内してくれた女性職員だけ。明らかに職務範囲外なのだが、ステアはさも当然のようにキリムを診せようとする。
自分が何かおかしなことを言っているなど、ちっとも思っていない。
「ステア、筋肉痛ってのは、鍛えて疲れるようなもんだよ。人の筋肉は鍛えて強くなるんだけど、強くなる過程で修復をしようとして痛くなるんだ」
「怪我や病気ではないのか」
「うん、足が攣ったのは無理し過ぎたせいだけど、それはもう大丈夫、ケアを貰うなら治癒士ギルドに行かなきゃ」
ステアはキリムが歩けない、すなわち大怪我だと思ったのだろう。人の体にはよくある事だと分かり、安堵や動揺など全く素振りもなく、キリムをそっと背から下ろした。
「せっかくなので、完了したクエリがあれば、ここで受け付けましょうか。有料になりますけど、治癒士も呼びますよ」
「あ、えっと……お願いします。色々とすみません」
「え、7つも受けてたの!? ちょっと頑張り過ぎね。そんなに長い時間クラムステアを召喚したままで、霊力切れは感じないの?」
「まったく……それよりも手足のまめと筋肉痛の方がつらいです」
女性職員は首を傾げながらもキリムの状態を確認し、そしてしばらく待っているように言うと奥へ消えていった。クエリの報告と、治癒士への依頼を代わりに行ってくれるのだ。
暫くしてやって来た治癒士にケアを唱えられ、キリムの体は随分と軽くなった。新しい傷や疲労、骨折などは自己治癒力を高めるヒールやケアという魔法で回復出来る。
キリムは習得していないが、魔力があるなら今覚えておきたい魔法である。
回復を施され、謝礼として50マーニを渡すと、治癒士の青年は真面目な顔を崩し、堪えきれずに笑いだした。
「ごめんごめん。君が元気よく召喚士になりにきましたって答えた少年だね。毎日朝から夕方まで、君がパーティー加入の申請を出すんじゃないかって、ずっと張り込みしてるパーティーもあるんだ」
「うう……お騒がせしてすみません」
どうやらキリムは協会の中で、ちょっとした有名人になっているらしい。
「でもまあ、その恰好なら欺けるかな。上手く考えたものだよ、召喚士が軽鎧を着て、短剣を脇に差しているとは思わないからね。髪型でも変えたら気づかないよ」
変装のつもりではないと言いかけたが間に合わず、治癒士は「じゃあ」と手を振り、自分のギルドの部屋へと戻っていった。後は女性職員にクエリの報酬を貰うだけだ。
「はい報酬。受け取りのサインはこの紙に。本当によく稼いだわね、クエリ7つ、4850マーニ。こんな事を言う資格は無いんだけど、急に大金を持てるようになって遊ぶことを覚えて、堕落してしまう旅人もいるの。くれぐれもお金に飲まれないように」
「それは……心配ないです。これは父さんの薬代と生活費だから」
女性職員はキリムがミスティ出身だと思い出したのか、「しまった」と慌てて口を押えた。ミスティがどんな村かではなく、どんな悲劇に見舞われたのか。この世界の誰もが知っている。
目の前の少年は、自分の為に稼ぐことを決めた訳ではない。その可能性は容易に推し量れるはずだった。チラリと見たステアはキリムを愚弄したと判断したのか、目つきが鋭い。
「ごめんなさい、若いうちから道を間違える人もいるから……余計な事を言ってしまったわね」
「いえ、忠告ありがとうございます」
「それと……君は1人で旅をするのかもしれないけど、信頼できる人と出来るだけ沢山知り合って。困った時に助けてくれる人を、君も助けて。魔物との戦いを甘く見ないで」
「貴様に言われずとも俺がついている」
職員の言葉に、ステアは自信満々で答える。もちろん、ステアに敵う魔物などそういない。けれど、それが慢心だと言って職員は言葉を続けた。
「ミスティを襲ったような事態がふいに訪れたら? クラムステアが……君を守るために犠牲になったら?」
「ステアが……」
「主を守る事に躊躇いはない」
「そうじゃないの。クラムステア、きっとあなたも知らない事でしょう。旅人の10人に2人は3年以内に亡くなっているの。そして召喚士も5年以内に2人が旅をやめている」
職員はキリムとステアに旅人の実態を告げ、そして召喚士が旅をやめる理由を考えさせた。
命を落とすのではなく、やめるのであればその動機は様々だ。負傷、仲間割れ、それとも結婚か……人の事にあまり博識でないステアは早々にお手上げとなった。
キリムも幾つか挙げたものの、そのどれもがハズレだった。
「正解はね、召喚されたクラム……詳しく言うと固有術で呼び出されたってことになるんだけど、そのクラムの消滅よ」
「クラムの、消滅?」
「自分の為に戦い、傷つき、意識体を保てなくなったクラムは消える。それに耐えられなくなるの」
「ちょっと待て。意識体が消えてもクラム本体は消えん。召喚士なら知っているはずだ」
ステアが言う通り、固有術はクラムの分身を呼び出すようなものだ。数体同時に現れる事も可能で、クラム本体には影響がない。
だが、人や獣と姿が等しい存在が、目の前で傷つき、倒れたとしたら。
それが1度や2度ではなかったなら。
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