TRANSIT‐10(015)


「200マーニで3日分、宿代でお金使ったけど、昨日の1400マーニと父さんに渡した分で約1か月分。少し栄養のある食べ物も買えそうだ」


 キリムの表情はとても嬉しそうだ。万事休すと思っていた人生が、ステアの登場によってすべて好転している。そんなキリムの周囲に、ふと爽やかな風が舞う。


「ワーフから奪い取って来たぞ」


「あ、おはようステア。えっと……早速着ていいかな」


 ステアはワーフに仕立て直させた装備を抱えている。あまりデザインは変わっていないようだ。


「ああ」


「あっ、えっと……ここで着替えるのは流石にちょっと」


 ステアは腕を組んでキリムの着替えを待っている。見た目の良し悪しの区別はついても、羞恥心などには疎いらしい。


 路地裏に入ってコソコソと着替え始めたキリムは、最後に足具の留め具をパチンと止めた後、ステアと共に協会へと向かった。装備はとても軽く、胸のプレートの内側は緩衝効果を期待し格子状に組まれている。これからの旅に十分すぎる装備だ。


「どうしよう、目的地までの移動を考えて、4つくらいかな」


「そんなチマチマと選んでどうする。誰が一緒にいると思っているんだ」


 優柔不断なキリムに対し、忍耐力に難のあるステアの行動は早い。初心者向けのクエリを内容も見ずに8つ剥がすと、キリムの腕をひいて受注させた。


「あっ! あいつ! 昨日の召喚士だ!」


「なあ、おい、パーティー加入の申請は出すんだろ?」


 とそこへ、1組のパーティーが駆け寄ってきた。昨日居合わせ、キリムの顔を覚えていたのだろう。


「こらそこ! 協会を通さない勧誘は……」


「いや、俺達は確認しただけですって、へへっ」


 4人組の男たちは職員に注意され、そそくさと立ち去る。あわよくば程度のつもりだったのか、しつこく付きまとう気はないようだ。


 召喚士ギルドは旅人情報を公開しない。パーティー加入の申請を出して初めて、年齢、性別、等級区分、資質値のみが公開される。


 キリムは顔を知られているため、昨日出会った者には素性がバレてしまう。けれど殆どの者はステアを熟練の旅人と勘違いしているため、強引な勧誘をする勇気がない。


 もしもキリムが1人であれば、勧誘はもっと激しかっただろう。


「えっと……ダークウルフの群れ討伐×2つ、街道沿いのブルオーク討伐、ゴブリンの群れ討伐と、巣の討伐と……全部東門側だね。この沼のワニ退治って魔物じゃないんだけど……それと水質調査? あと何で馬小屋の掃除依頼まで剥がしちゃったのさ」


「内容まで見ていたら日が暮れる。口を閉じておけ、舌を噛むぞ」


「えっ? わっ!」


 ステアはキリムを脇に抱えると、近くの建物の屋根に飛び上がり、屋根の上を風のように駆け抜ける。


 歩けば数十分の距離を僅か1分程で稼いだステアは、速さと揺れのせいで顔色の悪いキリムを東門の前に立たせ、町から出る手続きをさせた。





 * * * * * * * * *





「す、凄い! 今日の稼ぎだけで5000マーニだよ! 宿代と飯代を抜いてもえっと、5900マーニ残る!」


「当面の生活費と薬代は大丈夫そうか」


「うん! 昨日買った装備のお金以上手持ちがあるなんて夢のようだ!」


 ステアが共にいて、更にはパーティーで配分しなくていい。旅人として稼ぐには条件が良すぎる事を差し引いても、新人として順調な成果だ。


 キリムも魔法や短剣で攻撃を重ね、いなくても問題はないが邪魔にはならない程度の戦いを見せた。ステアに頼りっきりであっても、道中よりは自信もついてきたところだ。


 そんな旅人生活2日目。今日はステアも鎧を洗ったり短剣の手入れをしたりで宿に泊まっている。


 人ではない事がバレない……少なくともシャワーの使い方が分からず全裸にずぶ濡れで立ち尽くし、キリムに使い方を訊くため瞬間移動で部屋に戻って来た以外、特に困ることもなかった。


「ステア、何か欲しいものはないの?」


「特にはないが、血は欲しい」


「血はもちろんだよ。買えるものは? これだけ頑張ってくれたのに、お金だけ貰えないよ」


「余ってから考えろ、そのうち強請る」


 キリムはステアに腕を差し出し、一瞬の痛みに耐える。鋭い牙が刺さった個所から血がゆっくりと湧き出し、ステアはそれを1滴も零さずに啜る。


 今日は消耗が激しかったのか、2日前よりも量が多い。


「ステア、そろそろ……気分が悪くなってきた」


「ん? ……む、すまない。お前の血は格別に美味くてな、つい」


「明日からはもっと血になるものを食べるよ……ちょっと横になる」


 本当なら一口で良い。献血のように袋いっぱい必要な訳ではない。けれどステアは自身でも説明が付かないほど、キリムの血に対しては飢えを感じてしまった。


 先ほど血をもらったばかりなのに、まだ足りない気がしてしまう。寝息を立て始めたキリムをしばらく不思議そうに見つめながら、ステアは珍しく睡眠をとることにした。





 * * * * * * * * *





「北に逃げたぞ、追えるか!」


「任せて! ファイアーボール!」


「唱えて安心するな、唱えながら追って斬り付けろ。術は剣撃の補助として使え」


「そんな、難しいことを……!」


 翌日、クエリの系統によって紙の色が違うことを学習したステアは、キリムの要望を聞く前に7つの紙を剥ぎ取ってキリムに受注させた。


 討伐クエリは茶色い紙、採取、調査は緑、それ以外は白。ステアはもちろん茶色い紙だけを選んでいる。


「腕力がないうちは突き刺した角度から捻ったり、斬り上げたりするな! 剣を引き抜けなくなるぞ」


「そんな難しい事、そもそもできないってば!」


 本来なら、召喚士は召喚したクラムを維持するため、詠唱に集中する。勝手に現れるヘルメスやニキータとは違い、戦闘型のクラムの意識体は召喚主に依存する。


 けれどステアは今召喚されていても、言わばヘルメスらと同様、実体で勝手についてきた状態だ。


 資質が高く召喚にも苦労しないキリムが、意識体ではないステアだけに戦わせるなら、もうまさにすることが何もない。


 ステアに形だけでも剣を習っていれば、今後村との往復が必要になった時、魔力が切れても武器で戦える。キリムはそう考えていた。


 その……武器さえ買えるなら。


「斬り払え! 首が無理なら足を刎ねろ!」


 ステアが言う通りに動くのはまだ難しい。動き回るダークウルフの急所を一突き出来るステアとは違い、まだ狙う場所や斬り付けるタイミングにズレもある。


 それでも2日、3日も付きっきりで実戦指南を受けていれば、随分と様になってきた。


「足を……狙う!」


「そうだ、斬り付ける際には声を出せ。魔物は人の言葉など理解せん。ただの斬撃でも、技でも、周囲の者に自分の攻撃を知らせるんだ」


「技の名前って言ったって……1つも知らないよ」


「とにかく無言で戦うな、それだけ覚えておけ。自分の攻撃に周囲を巻き込まないよう、それに自分の攻撃の隙をカバーしてもらえるよう」


「分かった! ……ふんぬ! 斬るー!」


 クラム……とりわけ戦闘型のクラムに関しては、存在自体が人の理想の具象化である。


 人は理想を超えることはできない。そんなクラムに教われば、どんなど素人でもコツを掴める。キリムは短剣の扱い自体に慣れていたためか、上達も早い。


 日が暮れる頃には、もうステアが目を離し、魔物の相手を任せる程に成長していた。


「ブルルル……」


「斬る……破ッ!」


 二本足で立ちあがり襲ってくる豚型の魔物「ブルオーク」の足目掛け、キリムが姿勢を低くしたまま突進し、右手を水平に振り切る。


 手足が短いブルオークは、その巨体による体当たりこそ恐ろしいが、避ける事さえ事前に考えていれば攻撃を当てるだけでいい。


 さらにブルオークは急には止まれない。その巨体による体当たりのエネルギーだけで、こちらが剣を振り回さずとも勝手に剣の刃が突き刺さる。


 魔物の特徴、動きのパターン、それらを叩き込まれ、おおよその動きは「理解」できた。


 けれど、慣れない戦闘を続けたキリムの体はそろそろ限界だった。

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