TRANSIT‐05(010)


 旅客協会はヘルメスがいるからこそ成り立っている。協会の支部同士で情報を共有するため、ヘルメスが数日に1度、各地に手紙や文書を届けて回っているのだ。


 キリムは壁と羽毛の間に挟まれ、身動きができない。3メルテ四方ほどしかない待合スペースにヘルメスは大きすぎる。


 召喚主となる職員に呼びかけた後、ヘルメスは右の翼の脇にいるステアに気づいた。


「やあステア。君がこんな所にいるとは珍しい」


「ああ」


「ディンが大騒ぎしていたよ、ステアがあるじを持ったって」


「そこにいる」


 ヘルメスは鋭い目で左にいるキリムの存在を確認した。その精悍で少し恐ろしくもある見た目とは裏腹に、ヘルメスの口調はとても軽い。


「へえ、君が200年サボっていたステアをやる気にさせた召喚士さんか! さぞかし良い血をしていたんだね」


「あ、えっと……キリム・ジジです。宜しくお願いします」


「ふんふん、それで、ステアがどうしたんだい?」


 職員が訊ねるまでもなく、ヘルメスはステアをステアだと認めてしまった。呼び出した目的はもう達成されている。


「俺が本当にクラムステアなのか、確認したかったそうだ」


「君の偽物でも現れ……ああ、ステアがちっとも人の前に姿を現さないから、召喚士ギルドすら本物を知らないって事だね」


「ああ。という訳だ、証明はこれでいいか」


 職員が声も出せずにコクコクと頷く。


「用事が済んだのなら僕は配達を続けるよ、じゃあね」


 ヘルメスはキリムにウインクをしてその場から消えた。他のクラムがステアだと言うのだから、もうクラムステアである事に疑いはない。


 だが、職員が気になったのはステアがステアであるのか、という点だけではなかった。


「なぜ、戦いでもないのにクラムステアを呼び出しているのですか」


「え、だって、ステアが一緒に来てくれると言うので」


「……クラムをそんな、むやみに呼び出すことは感心しません」


 職員はキリムが興味本位でクラムを呼びつけたとでも思っているようだ。そんな理不尽に怒られてしまったキリムに対し、不満を漏らしたのはステアだった。


「おい、男。貴様はクラムを何だと思っている」


「は、はい?」


「この俺が我が主と行動を共にして何が悪い。俺の在り方を決めるのは貴様か、俺か、どっちだ」


「ちょ、ちょっとステア! やめてよ、旅人にしてやらないって言われたら父さんに薬が買えないよ」


 ステアが納得しているのなら、職員はそれ以上何も言うことができない。ステアが何故「我が主」と言うのか、それも訊ねてみたかったが、これ以上ステアの機嫌を損ねる度胸は無かった。


「それで、旅人の登録は済んだのか」


「ううん、まだ途中」


 職員はキリムとステアのやり取りを聞いて我に返り、慌てて測定を再開する。


「し、失礼しました!」


 もう測定をするまでもなく、どう考えてもキリムには召喚士としての能力が備わっている。ただ形式的に測定して、ギルド員名簿に転記するだけだ。


 召喚士になる前から、最強なのではと噂されるステアを使役しているどころか、霊力切れも起こさずに連れ歩いている者など前代未聞だ。


 職員はいったい何が起きているのか、一度に全てを把握することは無理だと判断した。


「霊力は確認できました。資質値は後でお知らせしますね」


「ししつち?」


「霊力の量と流れの均一性、それに速度を係数で掛けた……まあ要するに適性がどれ程あるかを示すのものです。さて、キリム・ジジさん。召喚士ギルドとして、霊力を有するあなたの旅人登録を歓迎します」


「良かった……有難うございます!」


 職員は受付の書類に判を押し、そして新規加入者として台帳に記入していく。今この時から、キリムは正式に旅人として名乗ることが出来るのだ。


「登録料はここで支払いますか? それとも後日ですか? その時に領収書と旅人証パスポートをお渡ししますけど」


「えっと、登録料って……」


 キリムは左に置かれたパンフレットに載っている金額を見て、内心とても驚いた。


 登録料は税込で800マーニ。お金が掛かると思っていなかったのも勿論だが、途中でもしステアが羊を見つけていなければ、旅人になることすら叶わなかった事になる。


 ダークウルフの牙が1つ3マーニ。数百体狩って、状態のいい牙を集めたらやっとの金額だ。


 どうするかを即答しないキリムを見て、職員は安心させるために微笑んで補足した。


「大丈夫ですよ、登録料には旅人証の発行費用も含まれていますから。旅人証は5年更新で、次回の更新時は400マーニでいいんです。クエリ完了報告用の専用写真機も無料で貸し出します」


「あ、いや……そういう事では」


 800マーニという金額自体がキリムにとって大金なのだと分かって貰えず、キリムは渋々100マーニ紙幣を8枚渡す。残りの所持金は5000マーニほどになってしまった。


 召喚士ギルドが薦める「クラム全書・霊力維持の護符付き」の価格は700マーニ。体力回復薬ヒールポーションは50マーニ、魔力回復薬マジックポーションは150マーニだ。霊力回復薬スピリットポーションは300マーニもする。


 何もかもがキリムの金銭感覚では高過ぎて、装備が買えるかどうか不安になる。そんな心中で強張った顔のまま写真を撮られ、写真入りの旅人証を渡されたところで、奥からもう1人の職員が駆けてきた。


「大変です! 資質値出ました!」


「何が大変なんだ……あ~あ! 本が落ちた! ちょっと、あーもう!」


 慌てる職員のローブの裾が積み上げられた本に当たり、塔のように積まれた本が埃を巻き上げながら崩れ落ちる。


 その様子を心配そうに見ているキリムに対し、職員は少し恥ずかしそうに笑いながら資質値の書かれた紙を受け取った。


「コホン……失礼しました。資質値が出たようですね。言われてもピンと来ないかもしれませんが、キリムさんの資質えええええ~!?」


 測定結果に目を落とした瞬間、職員は目をまんまるに見開き、声を上げた後で口を開いたまま固まった。


 良い結果なのか悪い結果なのか、それすらも分からず、キリムは職員の言葉を待っている。


「きゅ、きゅ……」


「きゅ?」


「99です……」


 99と数字だけを聞いても、初めてのキリムにはそれが一体どう驚きなのかが分からない。高過ぎるのだろうか、それとも低過ぎるのだろうか。


「もしかして、何かあと1足りない……とか? それともあと1で等級区分が上がるんですか?」


「違う違う! 100までで表される適性の割合ですよ! 通常の召喚士の平均は40程、資質値10台で召喚をしている人もいるんです!」


「えっと、つまり凄いって事ですか?」


「凄いどころの話じゃないですよ!」


 職員の男は見せつけるように大きくため息をつく。目の前にいるのは間違いなく逸材なのに、本人がそれを全く理解していないのだ。


「いいですか? 私の資質値は70です。100分の70。これでも測定当時10本の指に入る値と言われたほどです。まあ、あなたの登場で10本の指から漏れたと思いますけど」


「はあ……でも、召喚士は召喚士ですよね? 適性があるから召喚士なんですよね?」


「我が主が分かるよう、もっと分かり易く話せ」


 ステアも資質値の事はあまり把握していないのか、説明を補足する気はないようだ。


「適性が100というのはつまり、クラムという事です。先程呼んだヘルメスも、時々寄ってくれるニキータも100でした。先程はクラムステアを召喚していたせいで、100以上の値になって計測不能になったのです」


「ステアは測ったら100なの?」


「さあな、試したことはない」


 いまいち実感もなく、どれほど凄いかと言われようと現状が何か変わる訳でもない。キリムは喜びたくてもその加減を測りかねていた。

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