TRANSIT‐03(008)
* * * * * * * * *
「行くぞ」
「ねえステア。脇に抱えているのは何?」
「羊だ」
「……俺の知ってる羊って、そんな毛玉みたいな奴じゃない」
「お前が知っている限りの知識で判断するな。世界は広い」
3日目。
案の定、ステアは夜中にキリムを背負って随分と歩いていた。遠くにはもうゴーンの外壁と大きな門が見えている。それに感謝しつつも、キリムはステアがとても大きなものを抱えている事に気づいた。
黒っぽく汚れた大きく丸い毛玉。それは時折メェェと鳴き声を上げている。ステアが夜のうちに保護したのだ。
「この羊を売れば金になる。腹が減ったら肉として食えばいいが、焼くのには時間がかかりそうだ」
「いいよいいよ! 食べない……というか、誰かが飼っていた羊じゃないの?」
「だろうな。だがこの毛の量では逃げることも叶わない。近々水も飲めずに死ぬだろう。飼い主が見つかったとしても、助けたのだからそれなりの謝礼は貰う」
ステアは羊を重たいとも言わず、しっかりと脇に抱えて歩く。ゴーンの町の門をくぐり、すぐ脇にある農場や牧場を見て回りながら、キリムは牧草の手入れが良い1軒を訪ねた。
「ごめん下さい!」
白壁にノックをしても返事がなく、もう1度大きな声で呼びかけた時、右手の畜舎から1人の青年が出てきた。
「何か用? ……外から来たのか? 砂まみれじゃないか」
「あ、あの、俺達来る途中の街道で羊を見つけて連れてきたんですけど、どこか羊が欲しい家があったら飼ってもらおうかと」
キリムは現在羊を飼っていないと言うその青年に、連れてきた羊を見せた。
「え、こんなに毛を? どこからか逃げて野生化したんだな。だいぶ汚れて毛先が痛んではいるけど」
「どうでしょうか」
「昔はうちも飼ってたけど、今ゴーンに羊を飼っている家はないんだ。ちょっと親に確認をしてくる。幾らを希望しているんだい」
青年は親に確認を取るというが、肝心のキリムとステアは相場が分からない。そこそこの金になるのではと期待しただけで、具体的な金額はさっぱりだ。
「高ければ助かりますけど、言い値で結構です。どのみち連れて帰れません」
「ん~、じゃあちょっと待っていて」
しばらくすると青年が再び家から出てきて、その後ろからは母親らしき人物が現れた。青年は硬く絞ったタオルを持ってきてくれ、キリムとステアはお礼を述べて顔を拭き、髪や装備の埃や砂を払った。
「まあ、随分と立派な羊ね。この子は……雌ね。毛の質は悪くない品種だけど、この傷みようだと半分は使い物にならないかしら。今すぐだとあまり持ち合わせが無くて、高値では買えないけどいいかしら」
「はい。言うなれば拾い物ですから」
青年の母親は羊の性別を確認し、毛の質を眺めながらしばらく考えた後、6000マーニを提案してきた。
「この子の歳も分からないし、病気がないか費用を掛けて検査もしなくちゃいけないの。他所に頼めばもっと高く買ってくれるかもしれないけど、それでもいいなら是非譲ってちょうだい」
「十分です、有難うございます!」
しかるべき所に出せば、もしかしたら1万マーニか、もっと高値が付いたかもしれない。もちろん、この牧場の親子が安く買い叩いたという訳ではないが。
キリムは1つ3マーニの牙を集めるような少年だ。その彼にとって、6000マーニは途方もない大金である。急な申し出を受け入れてくれた事に感謝し、羊を売り渡した。
「有難う、余裕が出来たら何頭か手に入れて、仲間を作ってあげようと思う」
「是非お願いします。きっと荒野で1頭じゃ寂しかったと思うので」
「あと一応俺達に売ったっていう証明、何か書いてもらえる? いきなり飼いだすとさ、どっかから盗んだとか難癖が面倒くさいんだ。契約書出してくる」
「えっと俺、ミスティから来たんです。住所はこの町じゃなくて……ミスティ地区出身の、名前はキリム・ジジって言います」
「いいよ、十分だ」
青年と母親が持ってきた簡素な契約書にキリム、そして青年の母親が記入をする。サインを終えて6000マーニを受け取ると、キリムは道中で手に入れたなけなしの魔物からの戦利品も一緒に渡した。
「こんなものしかないけど、おまけです。検査代に充ててください」
「あら、有難う。うん、叔父の弓矢に使えそう。もしまた立ち寄ることがあったら羊ちゃんを見に来てね」
「はい」
キリムとステアが町の中心部へと歩いていく姿を見送りつつ、青年と母親は契約書に書かれた内容を見つめる。
「キリム・ジジ、16歳。ミスティ地区ウシ集落……召喚士……志望? もしかして、これから旅人の登録をするのか!」
「道理で初々しいと思ったら、物入りだったのね。もう少し持ち合わせがあれば助けてあげられたけど、隣にいた男の人は兄弟か親戚かしら」
「兄さんか誰か、登録のために連れて来たんだろ。しっかし召喚士が来たとなれば、今日は旅客協会が荒れそうだ」
「だとしたらあの恰好はきっと、周りの目を欺くためね」
若干の勘違いを招きつつも、そんな会話などまるで知らないキリムは、臨時収入を得ることが出来た事もあって足取りが軽い。そのまま入って元気よく協会に用件を伝えてしまえばどうなることか。
親子は忠告をすべきだったかと苦笑いをしつつ、さっそく羊の毛を刈る道具を用意し始めた。
* * * * * * * * *
「駄目です! 押さないで! ほらそっち! 相手は一般人です! 捕まえて衛兵所に突き出しますよ!」
「何してるのそこ! 下がりなさい! 加入申請していない人を勧誘しないで!」
旅客協会のロビーは今、大勢の旅人パーティーが受付のカウンターを取り囲んでいる。
大理石の床に、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わせて作られたコンクリートの壁。黒く光沢のある塗料で塗られた木製のカウンターやシャンデリア、白い石の柱は確かに目を惹くが、いつもなら殺風景な空間である。
そんな空間に集まった旅人は300人程いるだろうか。
「ほら君! 早く、そっちの通路から! もう、押さないで! 勧誘しないで! 下がって! この子から2メルテ以上離れなさい!」
なぜこんな事態になったのか。それは田舎者がゆえに勝手が分からなかった数分前のキリムに原因がある。
『ここが旅客協会……だよね、そう書いてある』
『さっさと入れ、登録を済ませろ。小汚い革鎧を捨てて金を稼ぎに行くんだろう』
『小汚い……。このお金を持って、一回村に帰っちゃ駄目かな』
『それからまたその貧弱装備で旅を始める気か? 効率と順序を考えろ』
先に薬を買いに行こうと言い出すキリムを強引に協会まで引っ張ったステアは、そのままキリムを建物の中に押し込んだ。
ロビーには木製の5人掛けの長椅子が並び、背もたれに体を預けて暇そうに座る旅人の姿がある。時折旅人が名前を呼ばれ、受付のカウンターに向かう。
嬉しそうに戻る者や、肩を落として戻る者、用件も様子も様々だ。
しかし、勝手が分からないキリムは、どのように受付をしていいのか、どこかに並ぶ必要があるのか、皆が何を待っているのか、判断できずにいた。
横にいるステアも、ここに来れば旅人になれるのだろう程度の知識しかない。そんな時、親切な職員が扉を入ってすぐの所でモジモジしているキリムに気づいてくれた。
……ところまでは良かった。
『もしかして、新人さん? 何かお困りですか?』
長い金髪を後ろで1つに束ね、優しそうに微笑む女性職員は、キリムにとって救いの神に見えたのだろう。これでようやく旅人登録ができる。お金を稼ぎに行ける。きっとそう思ったに違ない。
キリムは全く困っていないような笑顔で首を振り、目を輝かせ、そしてハキハキと自分の目的を告げた。
『あの! 召喚士になりたいので、登録に来ました!』
そう。
召喚士が引く手あまただという情報だけは何となく知っていたが、キリムは実際にどれくらい歓迎される役割なのか分かっていなかったのだ。
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