TRANSIT‐02(007)
完全に陽が落ちると北の山脈は空に影を作り、星が少しずつ吐き出されるように昇っていく。
キリムにとって見慣れた幻想的な景色でも、結界も家の壁さえない夜は初めてだ。当然心細く、すぐに眠りに就けるわけではない。
「本当に俺が寝た後で消えたりしませんか?」
「何度も確認するな。そんなに信用がないか、早く寝ろ」
眠れないキリムは固い地面の上に横になり、鞄を枕にしている。状況以前にその体勢で寝ろと言われても難しい。
「地面がゴツゴツしていて寝辛いし、下に敷くタオルを持ってくればよかった……おっと」
「お前は不満を抱え過ぎだ、少しは捨てる努力をしろ。……どうだ、幾分楽だろう」
ステアはキリムを強引にひっぱり、そして投げ出していた長い足の間にキリムを寝かせた。頭から背中がちょうどステアを背もたれにするような格好となる。
「あの……とても恥ずかしいんですけど」
「何がだ。寝られないというから考えてやったというのに」
「いや……この体勢はさすがにちょっと」
「はっきり言え、誰も見ていないのに何が恥ずかしい」
「……いや、いいです。有難うございます」
キリムが幾ら人の感覚を説明しても、きっとステアには伝わらない。諦めたキリムは素直に背中をステアに預けた。
体温を感じないのに冷たい訳ではない。不思議な心地よさにキリムは10分もしないうちに眠りに入る。
「寝たか」
返事がない事を確認し、ステアは珍しく僅かな笑みを浮かべていた。自分に全てを委ね、無防備に寝ているキリムを見ていると、クラムとして役に立っているという満足感もある。
呼び出されなければする事がなく、退屈な日々を毎日送っていたステアにとって、この2日間は一番人に近く、そしてとても新鮮だった。
ステアは自分の鞄から何かを取り出し、少し考えた後でそれをキリムの左腕にはめた。
「これでお前は固有術の詠唱なく、俺を呼ぶだけでいい」
腕輪、指輪、ネックレス……クラムによって様々だが、戦闘型のクラムがそれを渡すという事は、つまり自分の主として認めたという事になる。
固有術を渡されただけでは、あくまでも「呼び出し方を知っている召喚士」でしかない。
「お前の血の美味さ、俺が役に立つという確信。それに……俺が貸した短剣を当たり前のように使いこなす才能。これは化けるかもしれん」
短剣による戦闘をしたことがないキリムは、攻撃の型こそ滅茶苦茶だが、斬る角度、突き刺す力加減などは目を見張るものがあった。
ステアはキリムに何か他の召喚士とは違う可能性を感じていた。簡単に褒めず、そっと腕輪を填めたのは、ステアなりに照れ臭かったのだ。
ステアはそれからしばらくじっとしていたが、キリムが起きないようにそっと体を起こすと、寝ているキリムを背負って立ち上がり、歩き始めた。
「起きるなよ」
移動を頼ることが嫌と言われても、初めての長旅に不慣れな戦闘まで続いては、本当に4日で着くか分からない。文句を言われないうちに距離を稼ぐつもりだ。
「起きるなと言わずとも起きそうにないな。まったく呑気な奴だ。まあ、たった一歩踏み出しただけで背負っていた全てが解決したのだから、当然か」
魔物が襲い掛かって来ても、ステアの腕前なら背負ったキリムを揺らすことなく倒すくらい造作もない。北東の空が明るくなり地面が色を取り戻す頃、キリムはようやく目を覚ました。
「……あれ」
「起きたか」
「……もしかして俺を背負って出発しました? 俺、寝過ぎました?」
「座っているだけでは暇でな。先程歩き始めた」
「起こしてくれたらよかったのに……えっと、おはようございます」
「ああ」
クラムに挨拶の習慣がないせいなのか、それともこれがステアの性格なのか分からないが、特に会話を弾ませるつもりはないらしい。
けれど、夜からずっと歩き続けている事を伏せ、先程から歩き始めたと告げたあたり、クラムだって一応の気遣いは出来る。
「あの、自分で歩けるので、降ろしてもらえませんか」
「分かった」
辺りはキリムが覚えていた景色とは違い、北に見えていたはずの山の形ははるか後方、西に位置を移している。ステアがついさっき歩き始めた訳ではない事はすぐに分かった。
そしてキリムはステアと並び、鞄にしまっていた革の手袋をはめようとしたところで、ふと左の手首に何かがついている事に気が付いた。
幅は5セルテ(1セルテ=1センチメートル。100セルテ=1メルテ)ほどで、厚みは殆どなく、鉄のようだがとても軽い。赤い光沢のある表面には金色で文字が彫られていた。
「これ、何ですか……いや、ちょっと待った」
キリムは鞄の中からボロボロのノートを取り出し、ステアから口頭で教わって書き写した固有術を確認した。
「これ、固有術が彫られています! 一体……」
「気にするな、我が主の印だ。外すなよ」
キリムは理解出来ていなかった。なぜ町まで送ってくれるだけなのにこんなものをくれたのか。
けれど多くを語らないステアにわざわざ訊ねるのは不躾だと思い、キリムはその真意を聞く事をやめた。
もし不測の事態で固有術のメモをなくし、はぐれでもしたら……きっとそのような優しさだろうと思ったのだ。
「ステア、あの、気を使って下さって有難うございます」
「……!」
キリムから名を呼ばれた瞬間、ステアは自分の体内に何かが巡るような感覚を得た。
今までそのような経験は一度もない。例えるなら体の隅々まで昨日の血が行き渡ったかのようだ。
「どうしましたか?」
「何でもない。それより、そろそろ他人行儀な言葉遣いを改めろ」
「え?」
「畏まった喋り方は必要ない。それとも召喚士とクラムの関係からして、お前をキリム様と呼ぶべきか」
「いや、いいですいいです! わ、分かりました」
「分かった、だ」
「分か……分かった」
何故そのように言われたのか、キリムはその理由が分かっていない。戸惑うような声色に、ステアは流石に説明不足だったかと思い直し、理由を告げた。
「他人行儀に喋っていれば見た以上に、不慣れな旅人という印象を周りに植え付ける。お前には不利になるぞ」
「なる程……。なんか、しばらく慣れそうにない」
「クラムは召喚士の従者だ、慣れろ」
「俺の想像してる従者と全然違う」
「雇ったことはないだろう、これが従者だ」
ステアが200歳超えだとしても、見た目は20代後半に差し掛かったかどうかだ。なかなかお目に書かれない程端整な顔立ちに、落ち着いていて、堂々とした振る舞い。
こんなステアと対等に話していれば、いくら駆け出しとはいえ牽制にもなる。
「それと、町についたらその装備をなんとかしろ」
「装備、ですか」
「みすぼらしい。我が主の姿として許容できん」
「……そうですか。あ、じゃない、そうかな」
キリムはまったく自覚していないが、みすぼらしいと言われると確かにそうだろう。
継ぎはぎだらけの革鎧に、膝に穴が開いた作業ズボン。いくら態度や言葉遣いを気にしても、これでは初心者丸出しだ。普通の服を着て歩いた方がまだハッタリにもなる。
ステアはまたもや言葉が足りなかったと思い、先程の発言に補足した。
「何を暗くなっているのか分からんが、見た目の問題だ。お前にはもっと上等なものが似合うと言っている」
「そう……有難う。でもやっぱり稼いだお金は先に薬に使いたい」
「ならば急ぐぞ。もう半分くらいの距離には来ているはずだ」
自分達がどれほど歩いたのかは正確には分からない。キリムが最後に見たのは、夕暮れ時に街道にあった「ミスティまで25キルテ」と書かれた木製の杭だ。
けれど2時間程歩いた時、そこに見えた杭には「ゴーンまで50キルテ」と書かれていた。キリムは、ステアが自分を背負い、夜通し歩いてくれたのだと分かって心の中で感謝した。
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