Ⅱ【TRANSIT】彼にとってそこは、目的地ではない町

TRANSIT‐01(006)



【TRANSIT】彼にとってそこは、目的地ではない町。




 遠くに見える山以外、視界にあるのは茶色くゴロゴロとした岩や石、それにひび割れた大地だけ。空色との対比が美しい風景も、見慣れるとその過酷さにうんざりする。


 風が吹けば砂埃が舞い、目には塵が入る。何も気にしないクラムとは違い、人は環境に大きく左右される。


 照り付ける陽射し、それに降雨量が少ないせいで乾燥した空気は、喉の渇きを忘れさせてくれない。


「ああまた目に……」


「まだ目を凝らせばミスティの門が見える位置だぞ。もう少し歩く速度を上げろ、砂嵐でも来たら立ち往生だ」


「そんな事言っても……かなり急いでいるつもりです」


「お前を抱えて俺が走るか。もしくは俺だけ先に走って町まで行き、瞬間移動出来るように位置を覚えた後、お前を迎えに戻った方が早いな」


「そんな旅立ちしたら、旅人として笑われちゃいます」


「誰も見ていない」


 最寄りの町「ゴーン」はミスティから真東に位置する。


 街道に沿えば迷わず着く事ができるものの、肝心の街道は土を均しただけで、轍の跡や転がり込んだ小石が無数にあって歩く事に向いていない。キリムの足では普通に歩く速度を保つのもやっとだ。


 そんな景色よりも足元に注意しているキリムは、周囲の状況を把握しているとは言い難かった。


「おい、狼モドキがこちらに近づいているぞ。時々は顔を上げろ」


「えっ……」


 ステアに言われてキリムが急いで顔を上げる。こちらへと駆けてくるのは昨日戦ったダークウルフだ。


 キリムはその左手前方に現れた1頭へと右手の平を向けた。自ら戦うため魔法を使う気だ。召喚士は召喚能力だけでなく、魔力を持っている者が多い。


 いや、仮に今この場において物理攻撃をしようにも、キリムは干し肉を削るためのナイフくらいしか持っていないのだが。


「魔力を手の平に……きた、炎のイメージで一気に」


 キリムは体内の魔力の流れを魔法へと変換するため、術式を思い浮かべながら炎の魔法を発動させた………かったのだが。


「ファイ……」


「遅い」


「あっ」


 魔法をすぐに発動させることが出来ず、ダークウルフはキリムの間近に迫っていた。見かねたのか、ステアは片手の剣を一振りしただけでダークウルフの首を刎ね飛ばした。


「もうちょっと……でした」


「ちょっととは、お前が噛みつかれるまでの時間の事か? 魔法の事は分からんが、もっと時間の掛からん魔法にしろ」


「これが、一番発動が早い魔法、でした」


「……冗談か?」


 発動させようと手の平に溜めていた魔力を体に戻す為なのか、キリムは腕をこすりながら手を下ろした。


 倒す筈だった魔物を倒せなかったからなのか、その顔はどこか不満そうで、悲しそうにも見える。


「キリム、お前はそもそも召喚士だろう。なぜ俺に戦えと指示しない」


「いや、だって……」


「自分の能力で戦う事をなぜ躊躇った」


 ステアが戦うという事は、つまり呼び出した召喚主の力で戦っている事に等しい。


 ステアは間違った事を言ったつもりはないし、実際に正しい。召喚士が何たるかを理解していないようなキリムの表情を、怪訝そうに見ていた。


「何だ。何か不満があるのか」


「いや、有難うございます……」


 落胆したように感謝を伝えると、キリムは革鎧の小手を外し、ステアに腕を差し出した。戦って貰ったのだから血をどうぞ、という事らしい。


「……まさか、だから俺を戦わせなかったのか」


「言ったじゃないですか。1日に3回も召喚すればフラフラだって」


「ハァ。お前は頭が固すぎる。誰が戦う度に血を寄越せと言った」


 ステアはキリムが「毎回血をあげていたら身が持たない」事を心配し、自分で対処しようとしたのだと理解した。


 その通り、キリムは危機的な状況に陥るまで、召喚と血を温存するつもりだったのだ。


「倒してもらう度に血をあげてたら、失血死してしまうって不安に思ってました」


「よほど激しい戦いでもなければ、数日に1度でいい」


 キリムは恥ずかしそうに良かったと胸をなでおろす。ステアはため息をつき、次回からは戦わせろと念押しをした。


「魔法はどれくらい使える。1度召喚してしまえば暇だろう」


「暇って……。魔法なら1日に5,6発はなんとか」


「話にならん。魔力切れで突っ立っているくらいなら武器を使え」


「え、ええ……?」


 ミスティを出て数時間。夜になれば闇にまぎれた魔物は増えるし、キリムは早々に魔力を使い果たすだろう。


 道中は満足に食べる事も出来ず、町に着くまでにはステアも1度血を貰う事になりそうだ。できれば切り札の魔力は温存して欲しい。


「魔物の動きが活発な夜の荒野で、ベッドの上と同じ休息は取れん。魔力を温存しろ」


「でも、武器は何も持ってないし」


「俺の双剣を片方貸してやる。今倒した狼モドキで斬る練習をしろ。数日も訓練すれば傷くらいつけられる」


 キリムの手に、ステアが使っている赤みを帯びた禍々しい双剣が渡される。もちろん、キリムは武器を持つ事すら初めてだ。


「えっ、いや、あの……召喚士って、普通は物理攻撃しないんですけど」


「してはいけないのか」


「いや、そういう訳じゃないんですけど」


「人はなぜ自由を枠にはめたがる。嫌なら戦闘中は背筋を伸ばす練習でもしておけ」


 きっとステアはキリムがいてもいなくても、戦力として気にもならないのだろう。むしろ、突っ立っているだけで邪魔かもしれない。


 ただ、これからという駆け出しの旅人として、まだ何もしていないのに何もできない奴だと思われるのは癪だ。悩んだ結果、キリムはひとまず動かないダークウルフの死骸で練習するべくひと突きした。


「あっ、なんか意外と固い……けどサクッと入る!」


 キリムは短い毛に覆われた皮に対して垂直に刃を入れ、引く力で肉を切り裂いていく。使い方を理解しているのか、切り口も見事だ。


 いくらとびきり上等な短剣だと言っても、扱い方でその威力は雲泥の差が生じる。キリムはとびきり筋が良かった。


「……短剣を使った事があるのか」


「ないです。でもナイフで皮を剥いだり、肉を切り分けたりするのは幼い頃から得意でした。父さんが器用だって褒めてくれたんです、キリム、お前は狩人の才能が……」


「よし分かった、そこまでだ。……おい何をしている、解体しろと言ったわけじゃない」


 楽しそうに解体ショーを始めるキリムの手を止めさせ、ステアは先へ進むことを促した。真っ赤に染まった手は一体どうするつもりなのか。


 斬撃に関しての腕は分からないが、短剣の扱いに関してだけなら心配はなさそうだ。


「……クラムが持つ短剣を、自在に操る、か」





 * * * * * * * * *





 道中すれ違った者は1人もおらず、追い抜いていく者もいなかった。この付近にはキリムとステア……厳密に言えば人はキリムだけ。


 夜になればそんな状況下、冷え込む礫砂漠のど真ん中で野宿をする事になる。燃やせるものなど周囲にはない。


「ところでキリム。ダークウルフの牙をそんなに集めてどうする」


 キリムは途中で倒したダークウルフから、獲り易ければ牙を抜いて集めていた。


「あー寒い。えっと、やじりとして需要があるんです。警備の担当になった時、余裕があればいつも集めて商人に売っていました」


「1つ幾らで買い取られるんだ」


「3マーニです! 1体で2つ獲れるし、昨日倒したダークウルフからも、形のいいのを20個も取ったんですよ! 道中と合わせて37個! えっと、111マーニ! 薬が2日分買えます!」


「……そうか」


 キリムが目を輝かせて嬉しそうにするも、ゴーンの物価なら子供の菓子代程しかない。貧しい村の金銭感覚のまま町に行けば、どれだけショックを受けるのだろうか。


 ステアは200年の間に人の商売や町の売り物を見てきた。ぎっしりと牙が詰まったその袋を見ながらため息をついたのは、キリムよりはその価値を理解しているという事なのだろう。

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