START-05(005)
ステアはそう答えるキリムに、今度こそ呆れていた。
全く欲が無いのか、それとも頭が回らない馬鹿なのか。この少年はいつか誰かに利用されてしまうと思い、珍しく感情が乗った言葉を発した。
「いいか。俺は貴様の父親に頼まれたと言っている。町まで送るのは造作もない。さっさと行って、旅人として2、3個仕事をこなせば金が入るだろう」
「だから! 町まで送って貰って旅人になっても、間に合わない、どうしようもないって言っているんです!」
ステアは言葉の真意を汲み取って貰えず、少し口を開けたままキリムの返答に固まっていた。キリムは目の前にクラムがいるというのに、助けを求める事を思いつきもしていない。
通常、召喚士であれば呼び出したクラムに断られることを覚悟で、固有術を教えてくれと頼み込んでくるものだ。運良く承諾して貰えたなら、それだけでクラムの安定した強さを手に入れたも同然だからだ。
こんな駆けだしてもいない召喚士に自ら申し出る事は、通常ならばクラムのプライドが許さない。しかし、ステアは不憫な父親の願いを無下にすることも憚られた。
それに、クラムの利用価値を考えない少年へと不満を覚えると共に、興味も沸いていた。
「貴様は目の前にいるのが誰だか分かっているのか」
「も、もちろんです!」
「その俺が力を貸すと言っているんだ。何を悩む必要がある」
「俺は1日に3回召喚を唱えたら倒れちゃいます。力を貸すって言われても俺がもちません。そんなに戦いをこなせないです」
ステアはため息をついた。もう分かってもらう事を諦めようかと思ったくらいだ。
「無欲なのか、それとも馬鹿なのか。俺は瞬間移動もできる。町には1日も経たずに……すまん、この村を管轄する町はどこだ」
「ゴーンです」
「知らんな。瞬間移動で行くのは無理だが、帰ってくることは出来る。固有術を教えてやるから、1度唱えて俺を召喚したままにしておけば、帰りつくまで俺に戦わせて金を稼げばいい」
「えっ? でも、旅人としての経験を積まないと固有術は無理だって」
「確かに不慣れな主など積極的に受け入れはしない。だが俺の意識体を保つための能力の話なら、俺が本体で来れば問題ない。俺は貴様の力量で消えたりはせん」
キリムは話の流れで「あれ?」と気づいた。
力を貸してやるという言葉が、まるで町まで送り届けてくれるだけではないように聞こえたのだ。
いや、実際そうなのだが、キリムはそれを全く期待すらしていなかった。
「あ、えっと、つまり俺はあなたを召喚できるようになって、それで、お金を稼ぐのを……手伝ってくれるって事ですか!? なんとかなるって事ですか!?」
「最初からそう伝えているつもりだが」
キリムの今更な確認を、ステアはやや疲れたように肩を落として肯定した。
その瞬間、キリムの嬉しそうな顔は暗闇の中で僅かな光を捉える。光はそのまま幾つも溜まっては地面へと落ちていく。
「フン、俺を使役できる喜びをようやく実感し……」
「あ、ありがと……ございま……ずっ! これで、ごれで、父さんをずぐえまず……!」
声を詰まらせながらみすぼらしい服の袖で目元を拭き、キリムはステアへと深々と頭を下げた。
父親の頼みだから来たといいつつ、ステアはキリムの思いを救う事も忘れていなかった。キリムはそう解釈し、やっとこの追い込まれた状況から抜け出せると心の底から安堵していた。
「父親に話をつけに行くぞ。俺がクラムである事は伏せておけ。お前がいない間、自分で出来る事をさせろ。親しい者はいないのか」
「い、いまずっ、や、宿と食事処をしでい……いる」
「泣くな。何を言っているか聴き取れん」
今更ながら、ステアは言葉を選んで気を遣うようなタイプではない。
クラムの中で最も若いとはいえ、誕生してからおよそ200年の間、今の今まで誰にも固有術を教える事がなかった。無作為召喚で呼び出された時にも、せいぜい召喚士と挨拶を交わすくらいしか交流した事がない。
人付き合いが上手いとはとても言えないし、本人はそのつもりもない。
「頼れる人なら、グスッ、います。お願いしてみます」
「そうしろ。覚悟を決めるんだ」
キリムは深く息を吐き、そして少し静止した後で井戸から水を汲んだバケツの紐をほどいた。
ステアへと向き直って顔を上げ、そしてはっきりとした声で言う。
「キリム・ジジです。お世話になります!」
「ああ。ようやく自分の口で名乗ったな」
「そう言えば……そうですね」
「名乗られるまで、クラムは召喚士の名を呼ぶことが出来ん」
「そうなんですね、なんだか色々とすみません」
キリムは少しだけ笑顔を取り戻し、しっかりとした足取りで家へと戻っていく。まだ眠っていなかった父親に事情を話すと、父親は視力のない目から涙を流して喜んでくれた。
それから手探りで歩くのは危険だからと、キリムは父親のために壁にロープを這わせた。時折結び目をつけてそれがおおよそ何処なのか分かるようにしていく。触れば分かるよう、台所の戸棚には文字を彫る。
ステアは帰るタイミングを逃して座っていたが、手伝うにも勝手が分からず、少々退屈そうにキリムの姿を目で追っていた。
「お前の息子はよく働く」
「ええ、自慢の息子です。妻とわたしで命を懸けて守った息子です」
「……あいつが、いや、キリムがお前との生活にこだわるのはそこだろうか」
「はい。自分のせいで母親が死に、わたしが傷を負ったと思っているようです」
「目に見えない傷の方がよほど恐ろしい。あいつの傷を抉りたくなければ達者で暮らせ。お前にも覚悟が必要だ」
父親が寝た後もキリムは作業を続けた。途中でキリムはしばらく外出したが、ステアはそれを追おうとはしなかった。
外がうっすら明るくなった頃、キリムはようやく最低限の物の在り処に困らないよう、父親を1人で過ごさせる準備が出来た。
一睡もしていなかったが、キリムの表情はとても清々しい。
キリムは昨日の昼間に着ていた不恰好な革鎧を着て、悩んだ結果、手持ちの金はすべて父親に預けた。自分はくずのようなパンを1欠片だけ口に入れ、朝食の代わりにする。
キリムはステアに朝食をどうするのかと尋ねたが、クラムは食事をしないらしい。キリムはくずのようなパンをもう2つ手に取ると、みすぼらしい麻の肩掛けカバンに入れた。
「それじゃあ、食事はテーブルの上にあるから。昼までにオリガさんが来てくれる」
「オリガか、あいつも大変だというのに。わたしが出来る事は何でもするから心配いらない。キリム、お前には本当に苦労をかけた。旅へと送り出すのがこんなにも遅れてすまない」
「それは違うよ、俺は残りたくてここにいたんだ。薬を買うお金、持って帰って来るから」
キリムは父親と軽くハグをする。
「旅の方、本当に有難うございます。キリムが旅人となり、召喚士として活躍することはわたしの夢でした」
「そうか」
キリムの父親は深々と頭を下げ、そして扉を開けて外で待っているキリムに聞こえない程度の声で感謝を述べた。
「クラムステア、心優しいあなた様の加護で、どうかキリムを」
「……正体に気付いていたか」
ステアの驚きに何も答えないまま微笑み、そしてキリムの父親はステアを扉の外へとそっと押し、扉を閉めた。
「……お前の父親はお前が思うよりも強い。それはそうと、昨晩のうちに助けてくれる者へと話をしていたのだな」
「はい。宿屋のオリガさんは父さんの……亡くなった友人の奥さんです。帰ってきたら宿の食事をめいっぱい頼むって約束で」
キリムは少し名残惜しそうに家の扉を見つめる。石灰石を原料に壁を白く塗った粗末な家の中、父親は早速1人での生活を始めている事だろう。
「時間が惜しいです、行きましょう」
「負ぶって町まで走ってやってもいいが」
「旅立ちは自分の足で。そんなに何もかも頼れません」
「昨日の意気地なしも、今日の心がけは大したもんだ。行くぞ、キリム」
2人の姿が村の門から次第に小さく見えなくなり、地平線から抜け出た朝日の中に溶けていく。
召喚士のタマゴは見かねたクラムに力を借り、皆からおよそ3か月遅れでようやく第一歩を踏み出した。
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